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高校野球あれこれ 第68号

【来春センバツ出場校予想】

大阪桐蔭神宮大会Vで近畿が1枠増に

 

◇24日 明治神宮野球大会高校の部決勝 大阪桐蔭6―5広陵(神宮)

 

 大阪桐蔭広陵(広島)を破り、高校の部では大会初の連覇を達成した。今大会の優勝校の地区に与えられる来春センバツ神宮大会枠は近畿地区に与えられる。

 

 来春センバツは記念大会のため一般選考と神宮大会枠の合計は33枠。選考委員会は来年1月27日に開催される。21世紀枠3校を除いた出場校予想は次の通り。◎は当確、○は有力、△は微妙。地区の下のかっこ内の数字は枠数。

 

【北海道】(1)

 

◎クラーク

△北海

 

【東北】(3)

仙台育英(宮城)

◎東北(宮城)

能代松陽(秋田)

聖光学院(福島)

 

【関東・東京】(7)

◎山梨学院

専大松戸(千葉)

○慶応(神奈川)

健大高崎(群馬)

作新学院(栃木)

△横浜(神奈川)

△昌平(埼玉)

山村学園(埼玉)

東海大菅生(東京)

二松学舎大付(東京)

 

【東海】(3)

◎東邦(愛知)

常葉大菊川(静岡)

大垣日大(岐阜)

加藤学園(静岡)

 

北信越】(2)

◎北陸(福井)

敦賀気比(福井)

松商学園(長野)

福井商

 

【近畿】(7)

大阪桐蔭

報徳学園(兵庫)

龍谷大平安(京都)

智弁和歌山

彦根総合(滋賀)

履正社(大阪)

△高田商(奈良)

△社(兵庫)

 

【中国・四国】(6)

広陵(広島)

○光(山口)

鳥取城北

高川学園(山口)

◎英明(香川)

高松商(香川)

○高知

△鳴門(徳島)

 

【九州】(4)

沖縄尚学

長崎日大

○海星(長崎)

○大分商

△明豊(大分)

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第67号

5年前、大阪桐蔭で起きた“選手間の対立”…いま明かされる「最強チーム」の転機とは? 山田健太「癖が強い選手ばっかりでしたから」

 

 

大阪桐蔭OBの小泉航平は、同校の監督である恩師、西谷浩一の言葉に耳を疑った。

 

「まだ弱い? なのに優勝したんですか?」

 

西谷が「まだ弱い」と評したチームは、昨秋の明治神宮大会で初優勝を遂げた。だからこそ、小泉はそう訝しがったのである。

 

昨年の大阪桐蔭にあった「力がない」自覚

 チームに力がないことは、身内での会話だけでなく公に西谷が話していたことだ。東北や関東など各地区を制した強豪が「秋の日本一」を争う舞台で結果を残してもなお、監督は気持ちを引き締めていたほどである。

 

「謙遜しているわけではなく、大阪府大会も近畿大会もチームが不安定だったことは選手たちが一番わかっていると思います。そのなかで、誰かがバントミスしたら誰かが繋ぎのバッティングをしてカバーしたりと、修正しながら戦えたことが、最後に相手より勝った要因かな、と思っています」

 

 この世代は「力がない」ことを自覚していた。そのことは、キャプテンの星子天真が何度も唱えていたほどだった。

 

「自分たちに力がないことはわかっているので、『全員で束になって、泥臭く戦っていこう』とずっと話してきています。チームのしぶとさは成長してると思っています」

 

 明治神宮大会を制した昨年のチームは、選手たちの結束で技術不足を補い、翌春のセンバツ優勝へと繋げた。

 

 後輩の功績に、小泉が目じりを下げる。

 

「勝っても負けても、月日が経つごとにレベルアップできる。それが大阪桐蔭の強みなんだなって改めて感じました」

 

対して、根尾昂らがいた5年前のチームは…

 小泉たちの同学年には、根尾昂、藤原恭大、中川卓也ら、中学時代から名を馳せる選手たちがおり、「世代最強」と呼ばれてきた。そんな強者ぞろいのチームであっても、秋の覇権を握ることが叶わなかったのである。

 

 根尾、藤原、中川に加え、山田健太、宮﨑仁斗、柿木蓮、横川凱。下級生の頃からスタメンで試合に出る選手が多く経験豊富ではあったが、新チーム始動時に足並みが揃っていたかと言えば、決してそうではなかった。

 

 2年夏の甲子園後に藤原が日本代表に選ばれチームを離れ、なおかつ前チームが国体に選ばれたこともあって準備不足は否めなかった。新キャプテンとなった中川は、そのことを誰よりも肌で感じ取っていた。

 

「なにせ秋の大会まで時間がなかった。自分もキャプテンとして、チームを引き締めるために厳しいことを言っていたつもりではあるんですけど、他の選手からすれば焦りがあってそれどころじゃなかったと思います。それで結局、技術だけで勝負して」

 

 秋の大阪大会と近畿大会で優勝したとはいえ、能力が高いが故に現在地の判断を見誤ってしまっていた。そのことに気づかされたのが、明治神宮大会だったわけである。

 

 創成館との準決勝。大阪桐蔭は柿木、横川、根尾の「3本柱」が打ち込まれ、3-7と劣勢のまま迎えた9回裏。1点を返した後、2アウト満塁と長打が出れば同点のチャンスで打席に立った青地斗舞は、この試合で3安打と当たっていながら緊張で足がすくんでいた。

 

 結果、セカンドゴロで試合終了。青地が自分の慢心を恥じるように回想する。

 

「正直、『絶対に負けない』と思っていたなかで、最後に緊張して自分のスイングができなかったどころか、ただバットにボールを当てにいくだけのバッティングで終わってしまって。すごく心残りでした」

 

大阪桐蔭コーチが放った“痛烈な一言”

 負けたとはいえ、「世代最強」と呼ばれたチームがすぐに足元を見つめ直したわけではなかった。監督の西谷からは「お前たちの実力は、歴代のなかでも10番に入るか入らないかくらいだ」と口酸っぱく説かれてきても、選手のなかには、まだ「自分らは強い」と信じている者もいたという。

 

 秋は控えメンバーとして途中出場が多かった石川瑞貴は、客観的にチームの気質を観察していたひとりだった。

 

「個の技術がありすぎて一体感がなかったです。いくら口では『まとまって戦おう』とか言っても、そこはあんま出なかったですよね」

 

 石川のように少しずつチームの本質に気づき始めている人間がいるなか、橋本翔太郎コーチのド直球のひと言で、最強の男たちの鼻っ柱がへし折られたことが決定打となった。

 

「こんなもんか」

 

 宮﨑はその言葉を受けた際の危機感を、今でも覚えているのだという。

 

「あんだけ騒がれて入ってきた世代なのに、神宮大会で早々に負けて。橋本コーチだけじゃなくて、多分、指導者の方みんなにそんなようなことを言われたんじゃないですかね。自分でも『頑張んないといけないな』っていう気持ちになりました」

 

個か、チームか…選手間で意見が対立

 この頃の大阪桐蔭のシーズンオフは、個々が自分で考え、足りないところを強化する慣例があった。しかし、選手間ミーティングでは、キャプテンの中川が「それじゃあダメだ。チーム力を高めよう」と訴えかけた。

 

 意見が対立する。

 

 藤原や宮﨑、青地、石川は「個人で足りないところを補えれば、チームとしても強くなる」と主張する。

 

 中川や副キャプテンの根尾は、福井章吾を中心にまとまりのあるチームでセンバツ優勝を果たした1学年上の先輩を例に挙げ、「一体感がないと勝てない」と説得する。自身も主力として歓喜を知っていた山田が言う。

 

「自分もチームのほうを優先していました。本当に癖が強い選手ばっかりでしたからね。『個人プレーをしていたら勝てない』ってわかっていたんで」

 

 個と和の丁々発止。最終的に中川たちが、秋に負けたこと、勝てた前世代の歩み、指導者たちの言葉などの現実を突きつけ、「だからこそ、チームで戦おう!」という熱量によって、チームの足並みが揃っていった。

 

 中川が言う。

 

「自分たちの弱さにも気づくことができたんで、あそこがターニングポイントでした。神宮大会での負けがなかったら、センバツの優勝も春夏連覇もなかったなって思います」

 

 歴史の転換期となった、2017年の秋。5年が経過した今年も、大阪桐蔭明治神宮大会の舞台に立ち、連覇を目指す。

 

 敗れて無力さを知った「最強世代」。

 

 勝って兜の緒を締めた「力なき世代」。

 

 大阪桐蔭は勝敗に関係なく、神宮の杜で成長の果実を収穫する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第66号

新チームを挟んで夏、春の2季連続甲子園出場を果たす難しさ 今夏出場校が続々と敗退

 

来春センバツ出場の重要な参考資料となる高校野球の秋季東京大会の決勝が13日に行われ、東海大菅生が2年ぶり4度目の優勝を果たし、来春選抜出場の当確ランプをともした。これで各地区大会の全日程が終了したが、都道府県大会では今夏の甲子園に出場した高校が続々と敗退。新チームに移行しての2季連続で甲子園に出場する難しさを実感した。

 

 青森大会では、八戸学院光星弘前東に初戦の2回戦で敗戦。滋賀大会では今春センバツ準優勝、今夏の甲子園4強の近江は3回戦で彦根東に敗れた。福岡大会では、注目のスラッガー・佐倉侠史朗内野手(2年)を擁する九州国際大付も北筑に初戦の3回戦で敗退。対戦相手はいずれも県内で上位に入るチームだったが、早期で敗れた。なぜ、勝ちきれないのか。その理由の一つに、甲子園に出場したチームは、新チームに移行する期間が短かったことが、挙げられるのではないだろうか。

 

 今夏の甲子園に出場したが、秋季近畿大会で1回戦負けと来春センバツ出場は絶望的となっている京都国際(京都)の小牧憲継監督(39)は「甲子園に出場して、新チーム始動までの時間は大きい。だいぶ遅れる」と話す。また、「愛工大名電の倉野監督も言っていたけど、うちがこの春は辞退したけど(昨春から)3季連続で甲子園出場を決めて『すごいよな』と真剣に話してくる。『愛知県で3季連続は無理。夏出たら秋は捨てる』と言っていた。間に合わないから」と強豪校の監督も夏、春と2季連続で甲子園に出る難しさを痛感している。

 

 甲子園出場期間中、新チームは練習こそしているものの、原則試合を組むことができない。そのため、下級生が実戦経験を積むことが難しくなる。「下級生だけの試合とかを認めてもらえたら」と小牧監督。「反省を生かしてではないけど、5月ぐらいから新チームに向けたチームを作っておいて、秋に向けてゴールデンウイークぐらいから試合を始めていました」と、スムーズに新チームに移行できるよう試行錯誤している。

 

 今秋の関東大会4強で来春センバツ出場に当確ランプをともしている慶応(神奈川)。森林貴彦監督(49)も春夏連続で甲子園に出場した18年を振り返りつつ「(甲子園に出場すると秋は)1、2年生がなかなか練習ができていないので技術、体力がどうしても落ちているところがある。あとは『甲子園に出た』というところで、もう一回そこを目指してやろうというところが精神的にも難しいかなと。1回穴が開いちゃうとか」と達成感を得た選手らのモチベーション向上の難しさも語る。

 

 続けて、「新チームは、技術、体力プラス精神的にも、いろんな意味でハンディを背負いながらスタートする。そこを埋めて行くには、2年生で中心になって出ている子たちが何人かいるのが大きいかなと思います」。大幅な戦力ダウンを避けるためには、試合経験のある下級生の存在が大きい。

 

 また、軸となる投手が残っている高校は、比較的勝ち上がっている印象がある。森林監督は「秋はどのチームも学年が一つ下がるので打力も下がる。0に抑えなくてもいいけど、2、3点に抑えられる投手が何人いるか。何人でそのくらいに相手を抑えられるか、計算が立つのはすごく大事かなと思いました」。実際に秋季大会は、背番号1の松井喜一投手(2年)と小宅雅己投手(1年)の2人を軸に勝ち上がってきた。

 

 全国屈指の強豪校・大阪桐蔭もプロ注目の最速148キロ左腕・前田悠伍投手(2年)を軸に大阪、近畿を勝ち抜いて来春センバツ出場を当確させた。東海大菅生もエース右腕・日当直喜投手(2年)以外は経験値の少ない選手ばかりだったが、東京の頂点に。夏の甲子園に出場し、新チームでもセンバツ出場を目指すには、いかにスムーズに新チームへと移行できるか。軸となる投手陣を形成できているか。少なくともこの二つが、甲子園切符をつかむカギになるだろう。

 

高校野球あれこれ 第65号

3季連続準決勝の壁に阻まれた帝京 甲子園へドラフト候補の主戦・高橋蒼人は「高校野球人生のすべてをかけて取り組む」/高校野球リポート

 

名将からつながれたバトン

 

帝京高は2011年夏以来、甲子園から遠ざかっている(春のセンバツは2010年)。春1度、夏2度の甲子園優勝へ導いた前田三夫監督は昨夏の東東京大会限りで勇退し、教え子である金田優哉監督にバトンがつながれた。

 

 以下は、金田監督が母校を指揮して以降の公式戦の結果である。

 

▽2021年秋(東京大会)

準々決勝敗退(4-7国学院久我山)

▽2022年春(東京大会)

準決勝敗退(5-8関東一)

▽2022年夏(東東京大会)

準決勝敗退(4-7二松学舎大付)

▽2022年秋(東京大会)

準決勝敗退(3-8二松学舎大付)

 

 3季連続で準決勝の壁に阻まれている。金田監督は二松学舎大付高に敗退した準決勝(11月12日)後、無念を語った。

 

「悔しいですね……。(準々決勝から準決勝までの)この2週間、二松学舎さんの対策に時間を使い、準備を進めてきました。私の持って行き方が悪かったのか、力を出させてやれなかった。選手を勝利へ導けなかった……」

 

 147キロエース右腕・高橋蒼人(2年)は2回4失点降板。記者会見の場で涙を流した。

 

「この2週間、チーム全体で『打倒・二松学舎』でやってきた。サポートしてくれる人がいた中で、チームの勝利に貢献できなかった。二松学舎さんには圧があった。甘くいけない……。今までやっていたことがうまくいかず、焦りが出てしまった」

 

一歩ずつ頂点へと前進

 高橋は1年夏の東東京大会から強豪校の主戦投手として投げており、ストレートの質、カーブ、スライダー、カットボールと精度が高く、2023年のドラフト候補にも挙がる。

 

「プロは目指していますが、このままでは、(プロ志望)届を出す話にもならない」。自身の高校卒業後の進路よりもまず、最優先となるのはチームを勝たせることである。

 

「甲子園を狙えるチャンスは一つ(来年夏)しかないので、一段階、二段階もレベルアップして、誰からも信頼されるピッチャーになりたい。自分たちの代、高校野球人生のすべてをかけて取り組んでいきたいです」

 

 金田監督は高橋蒼について「夏に比べてボールの質が良くなっている。でも通用しなかった。もう1回、やらせたい。並のピッチャーで終わってしまう。私自身も責任を感じています」と、危機感を募らせている。

 

 3季連続4強。その理由を問われると、自戒の念を込めてこう語った。

 

監督(の差)じゃないですかね……。この冬、私自身を含めて、鍛えないといけない

 

 来年夏に結果を残すために、厳しいオフシーズンに入る。二松学舎大付高との準決勝は序盤から劣勢の展開となっても、ベンチでは誰一人として、下を向く者はいなかった。前向きな声が、最後まで出ていた。名門復活へ道は険しい山が続くが、金田監督の下、一歩ずつ、頂点へと前進しているのは確かである。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第64号

大阪桐蔭のエースも…この秋のプロ入りが叶わなかった高校生の逸材たち

 

◆ まさかの“指名漏れ”

 

 今年は10月20日に開催されたプロ野球のドラフト会議。

 

 育成ドラフトを含めて126名が指名を受け、夢へのスタートラインに立った。

 

その一方で、指名が有力視されていながら、見送られた選手も少なくない。

 

 ここでは、今年のドラフトでは縁がなかった有望選手にフォーカス。今回は高校生編だ。

 

◆ “順位縛り”はなかったが…

 

 投手で最も驚きだったのが、大阪桐蔭のエース・川原嗣貴だ。

 

 春夏の甲子園だけでなく、その後に行われたU-18・W杯でも好投を見せており、190センチ近い長身ということもあって高く評価する声も多かったが、蓋を開けてみれば指名がなかった。

 

 関係者の話を総合すると、何位以下ならプロ入りせずに進学するといういわゆる“順位縛り”もなかったとのことで、めぐり合わせの問題だったと考えられる。

 

 ピッチングにまとまりがあるため、逆に将来性に対する評価が低くなったとも言われている。ただ、昨年秋から比較すると最終学年での成長は見事で、体格的なことを考えても、まだまだこれから伸びていく投手のように見える。

 

 大学や社会人で川原を欲しいチームは多いと予想される。数年後には再び、ドラフトの有力候補に浮上してくることも十分期待できるだろう。

 

 

◆ 高校球界を代表する実力派右腕

 

 このほかの投手では、金子翔柾(花咲徳栄)や榎谷礼央(山梨学院)、米田天翼(市和歌山)の実力派右腕も指名がなかった。

 

 金子は層の厚い投手陣の中で2年生の頃からマウンドを任されており、140キロ台中盤のストレートと鋭く変化するスライダーは高校生では上位のレベルにある。昨年秋の関東大会は腰を痛め、不本意な投球に終わったものの、春から夏にかけて見せた投球は見事だった。

 

 榎谷は春夏連続で甲子園のマウンドに立った右腕。昨年秋からもうひとつスピードが上がらず、最後の夏はエースの座を譲ったが、それでも癖のないフォームは目立ち、まだまだ球速が上がりそうな雰囲気は十分だ。

 

 米田はレベルの高い近畿でも屈指の好投手。選抜では花巻東や明秀日立の強力打線を抑え込み、夏には150キロもマークしている。

 

 3人とも比較的オーソドックスな右投手で、いずれも上背がないことから、高校からのプロ入りはならなかったとはいえ、実力は申し分ない。それだけに、大学野球や社会人野球で結果を残せば、再びプロから注目される可能性は高そうだ。

 

 

◆ 外野手の指名漏れは“市場”の問題が影響…?

 

 続いては野手。ともに侍ジャパンU-18代表に選ばれた海老根優大(大阪桐蔭)や黒田義信(九州国際大付)を筆頭に、田中多聞(呉港)や前田一輝(鳴門)と、外野手の指名漏れが目立った。

 

 海老根は入学前から評判だった選手で、特にセンターから見せる返球の勢いはアマチュア全体でトップクラスだ。たくましい体格でも脚力は十分で、積極的な走塁が光る。打撃の確実性が今後のカギとなりそうだ。

 

 一方、黒田は圧倒的なスピードとパンチ力が光る左打者。夏の甲子園は不発に終わったが、選抜では3試合で5割を超える打率を残している。まだ体つきが細いだけに、スピードを残したままパワーをつけられるかに注目だ。

 

 田中は中国地区を代表する左のスラッガー。遠くへ飛ばす力と強肩は定評がある。また、前田は日本人離れした体格で、パワーと強肩が持ち味。海老根と同様にミート力を上げられるかが重要になるだろう。

 

 4人とも能力と将来性は申し分ないだけに、本人の問題というよりも、今年は外野手に有力候補が多かったという“市場”の問題が大きく影響しているように感じられる。

 

 支配下だけで見ても、指名された外野手は11人。そのうち社会人は1人も指名されていないのを見ても、高校生と大学生の外野手が豊作だったことがよく分かるだろう。

 

 

 捕手では、ともに甲子園で活躍した高山維月(浦和学院)と片野優羽(市船橋)。内野手では、強打が魅力の坪井蒼汰(山村学園三塁手)や、ヤクルト・村上宗隆の弟として話題を呼んだ村上慶太(九州学院一塁手らも指名がなかった。

 

 打撃に関してはいずれも魅力がある選手たちだけに、打つ以外のプレーがレベルアップしてくれば、将来的に面白い存在となりそうだ。

 

 

 思えば、日本ハムにドラフト1位で指名された矢沢宏太(日本体育大)も高校時代は指名がなく、大学の4年間で大きく力をつけて最高評価を得た。過去にもそのような選手は少なくない。

 

 今回紹介した選手たちも、今年の悔しさをバネにして、次のステージでさらにレベルアップした姿を見せてくれることに期待したい。

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第63号

名勝負列伝-【29】花巻東×明 豊

 

<花巻東・菊池が降板、奮い立つ仲間「自分たちの力証明」>

 

最大の試練が訪れた。2009年8月21日。岩手代表の花巻東は、大分代表の明豊と4強の座を争っていた。4点リードの五回裏。それまで1人の走者も許していなかったエース、菊池雄星の様子がおかしい。

最初に気づいたのは二塁手の柏葉康貴だ。「腰を手で触ってましたから」。無死一、三塁で6番打者への2球目の後、菊池は両ひざに手をついた。「呼吸をするのも痛かった」。4人目を遊飛に仕留めた後、佐々木洋監督は三塁手・猿川拓朗への投手交代を決めた。

左腕から繰り出す150キロを超える剛球が持ち味の菊池は、この世代のナンバーワン投手だった。選抜大会は準優勝。満を持して迎えた最後の夏、岩手で生まれ育った花巻東の選手たちは、岩手の高校野球史上初めて、本気で、自信をみなぎらせて、深紅の大優勝旗を取りに来ていた。

その最強エースが、もうマウンドにいない。苦闘が始まる。明豊とは選抜でも二回戦で対戦した。4―0で退けていても、「あのときは雄星がよかった。今宮(健太、ソフトバンク)もいて、手ごわい」と猿川。緊急登板で、変化球のコントロールに苦しむ。

必死で止めるのは、捕手の千葉祐輔。腰を落とし、ときにグラウンドにへばりつくようにして、体を張った。「ずっと監督さんに、『負けるとしたら、お前で負ける』と言われていたから」。意地でも後ろへそらさない。

じわじわと追い上げられ、八回、逆転を許した。2点を追い、残された攻撃は1イニング。九回無死一、三塁で、5番の横倉怜武が偽装スクイズに成功し、二、三塁。ここで、横倉は緊張のあまり硬直する。ボール球に手を出してファウル。佐々木監督は伝令に菊池を送り出した。

伝令を託す選手には、こだわりがあった。「暗い顔や心配そうな顔はダメ」と佐々木監督。いつも朗らかで、大黒柱として信頼も絶大の菊池は最適だった。横倉が漏らした言葉を菊池はよく覚えている。「『打ち方忘れた』って。こんなときに、って思った」

菊池は横倉の肩を抱き、笑顔を交え、佐々木監督の指示を伝えた。「顔を残して、球を上から見てたたけ」。果たして、横倉はその通り、顔を動かさず、体も開かず、右翼へ打ち返した。ずっと練習してきた打球だった。同点だ。

十回。2死二塁で打席が回ってきた主将の川村悠真は、初球を振ると決めていた。選抜大会決勝。1点を追う八回2死一、三塁で、ちゅうちょした。「重盗もあるかな、振らないほうがいいかな、と思っていたら」。つい初球に手が出て、三飛に倒れた。だから、もう迷わなかった。中前安打で決勝点を挙げた。

試合後、お立ち台で報道陣のインタビューを受ける川村をちらちらと見て、横倉は誇らしかったという。「あそこに立っているのは、いつも雄星だった。やっと、自分たちの力を証明できた」。菊池の途中降板という大ピンチを、野手の総力で乗り切った。

延長十回、2時間49分に全精力をつぎ込んだ花巻東は、準決勝で中京大中京(愛知)に1―11で敗れた。菊池のケガが肋骨(ろっこつ)の疲労骨折と判明するのは大会後だ。日本一には、あと一歩、届かなかった。しかし、選抜で5試合、選手権大会で5試合。甲子園で戦った計10試合は、この年、全国のどのチームよりも多かった。

本日は以上です。

 

Number(ナンバー)983号「高校野球が教えてくれた。」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))を紹介します。

 

夏の高校野球特集 第1弾! ◆

高校野球が教えてくれた。

花巻東出身のメジャーリーガ Wインタビュー

【自律の3年間を語る】

大谷翔平「『楽しい』より『正しい』を」

【覚悟の夏を語る】

菊池雄星「監督を男にしたかった」

【チームメートが語る】

雄星と翔平と花巻東と──「目標設定シート」で実現する夢

■甲子園常連校のDNA

【我らの最強高校論】

大阪桐蔭高校「ほとばしる情熱と常勝の宿命」

根尾昂/中田翔/西岡剛

【超名門の極意】

横浜高校「誰よりも走って、頭を使え」

涌井秀章/近藤健介/渡邊佳明

【プロ量産高の秘密】

広陵高校「帰りたい場所がある」

有原航平/小林誠司/佐野恵太

【昭和の象徴を問う】

PL学園 研志寮

「理不尽の先の光と清原和博

【徹底検証】

甲子園常連校のプロ選手輩出ランクと活躍度

【沖縄出身初のホームラン王】

山川穂高「日本最強スラッガーのかけがえなき原風景」

【甲子園への憧憬を語る】 菅野智之「遠回りは、意外と近道」

【届かなかった甲子園】

“悲願校"からプロへの道

【強豪校出身! 芸人座談会】

ココリコ遠藤章造×TIMレッド吉田×ジャングルポケット斉藤慎二

「僕らの人生を変えた、遥かなる甲子園」

【異端から最先端へ】

慶應義塾高校「Enjoy Baseballの正体」

高校野球名言録】

名将たちの教え

木内幸男(常総学院)/馬淵史郎(明徳義塾)/山下智茂(星稜)

香田誉士史(駒大苫小牧)髙嶋仁(智弁和歌山)/我喜屋優(興南)ほか

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【王座奪回を語る】

村田諒太「僕は勝つべくして勝てた」

NBA短期集中連載 最終回】

八村塁「僕は何でもできるから」

ウィンブルドン決勝・敗者の名言】

フェデラー「37歳でも終わっちゃいない」

【芝の王者に追いつくために】

錦織圭「克服した難題と見えた課題と」

【連載ノンフィクション最終回】

2000年の桜庭和志クインテット

【連載第25回――独白]

桑田真澄「アピールとアクシデント」

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高校野球あれこれ 第62号

甲子園、国際大会大活躍の大型右腕、U-18代表外野手など指名漏れとなった超高校級の逸材たち

 

10月20日、ドラフト会議が行われ、支配下登録選手が69人、育成選手は57人の計126人が指名された。多くの選手が華々しい指名の瞬間を迎えた中、指名漏れしている選手も多くいる。

 

 プロ志望届を提出したのは高校生が154人、大学生が187人だった。

 

 指名数を見ると絞られた指名をしている。改めてプロの厳しさを実感させられた。今回は惜しくも指名漏れになった逸材たちを紹介していきたい。

 

 高校生では大阪桐蔭(大阪)の主力選手たちが指名漏れとなった。特に、センバツ優勝に貢献し、U-18代表にも選ばれ、投手のベストナインを獲得。さらに国体も優勝に貢献したエースの川原 嗣貴投手が指名漏れとなった。

 

 スペックとしては、

 

・188センチの大型右腕

・140キロ後半の速球

・130キロ後半のカットボール

・3年春夏の甲子園四死球率1.80

・U-18では、防御率0.00

 

 以上、能力的、成績的には文句なしであった。長身の大型投手としては、ここまで実戦的になったのはさすがと思った。

 

 もちろん高校生投手なので、細かいところに要求をつけていけば、物足りなさを感じる点はあるだろう。それでも他に指名された高校生投手と比べると、リスクになるようなところはないと思った。

 

 ただ、いろいろ天秤をかけた結果、指名を見送ったのだろう。改めてプロの厳しさを実感させられた。ぜひ次のステージではドラ1候補として呼ばれるほどに成長することを期待したい。

 

 その他、U-18代表の外野手・海老根優大外野手(大阪桐蔭)、黒田義信外野手(九州国際大付も指名漏れとなった。

 

 海老根は変化球の見え方がかなり気になった。木製バットの対応を含め、時間はかかる素材と見る。今の時代、高卒でも3年で結果を残せなければ戦力外、育成枠になる時代だ。海老根は次のステージでもセンターを任せられるほどの守備力はある。あとは次のステージで対応力が高まったとスカウトに証明するだけだ。黒田も総合力は高いが、突き抜けたものはなかった。他では公式戦11本塁打の坪井 蒼汰内野手山村学園や、センバツでバックスクリーン弾を放ち、全国レベルの捕手である高山 維月捕手(浦和学院も次のステージでプロを目指す。

 

 今の時代、本指名は、かなり厳しい。プロに入っても故障や、全く通用しない成績であれば、あっさりと戦力外がちらつく時代である。指名漏れとなった選手は同世代でも群を抜いたパフォーマンスを見せてドラフト候補に名乗りを上げることを期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第61号

須江航監督の「予感」を外した仙台育英の「弟ズ」 来春の選抜選出当確に「短い時間で選手が頑張った」

 

◇秋季東北大会準決勝 仙台育英 2―1 能代松陽(2022年10月14日 荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)

 

 今夏の甲子園で東北勢初の日本一に輝いた仙台育英(宮城)が14日、秋季東北大会準決勝で能代松陽(秋田)を2―1で下し、2年ぶりの決勝進出を決めた。東北地区は来春選抜の出場枠が3校で選出を決定的とした。明治神宮大会(11月18日開幕、神宮)の出場が懸かる16日の決勝は宮城大会決勝で敗れた東北との「宮城勢対決」に挑む。

 

 歴史をつくった「日本一」から12日後、新チームは9月3日に始動した。須江航監督は当日、「日本で一番始動が遅い」と笑ったが、内心は「良いことがあれば悪いことがある。それがこの秋になるんじゃないか」と不安だった。指揮官の予感は良い方向に外れた。

 

 引っ込み思案な性格から「弟ズ」と須江監督が命名した新チームは、一戦ごとにたくましくなった。能代松陽との大一番も1点差で競り勝ち、2季連続の甲子園出場を当確とした。指揮官は「想定した以上の成果。そんなに甘くないです。人生と野球って。それを短い時間の中で選手が頑張った。努力が素晴らしかった」と称えた。

 

 「甲子園を知る男」のマウンドさばきはひと味違った。今夏の甲子園では4試合の登板で防御率0・75とフル回転した新エース・高橋煌稀(こうき・2年)は、4回1死一、二塁から2番手で登板し、5回2/3を2安打無失点で7三振。最速146キロ右腕は6回に勝ち越した1点を守りきり「どんな場面でも落ち着いて投げることができた」と振り返った。

 

 16日の決勝は、9月26日の宮城県大会決勝で1―2で惜敗した東北と再戦。先発が予想される東北のエース右腕・ハッブス大起(2年)との投げ合いに向けて高橋は「負けてからみんなで“東北大会でリベンジするぞ”と頑張ってきた。何としても神宮に行きたい」と言った。再スタートを切ったその日、ゼロから再び頂点を狙うために須江監督が立てた目標は「2回目の初優勝」。来春選抜での挑戦権を手中に収めた。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第60号

名勝負列伝-【28】松商学園×四日市~ 

 

<本格派投手同士の対戦>

1991年夏の大会。松商学園四日市工戦をとりあげます。大会屈指の好投手上田佳範と井手元健一朗の投げ合いとなったこの試合は延長16回に及ぶ死闘となりました。

 

 <甲子園のスター・上田佳範選手>

1991年の選抜高校野球大会が開催された時、上田佳範選手はまだ全国区の選手ではありませんでした。長野県の名門・松商学園のエースとして、この年の選抜大会で初めて甲子園の土を踏んだ上田佳範選手は、初戦で愛知県代表・愛工大名電高校と対戦し、3-2で勝利します。ちなみにこの時の愛工大名電高校のエースはあのイチロー選手でした。上田選手は、投手・イチロー選手からタイムリーヒットを放ち、打者・イチロー選手をノーヒットに抑えたのです。

以後、上田選手は天理高校大阪桐蔭高校、国士館高校という強豪チームを3試合連続完封。35イニング連続無失点という大記録を打ち立て、チームを決勝に導きます。この無失点記録は、初回に内野ゴロの間に1点を取られて途切れ、試合はもつれにもつれていきます。

春の選抜大会、決勝戦で降板し、ライトに回った上田選手の頭の上を打球が通りすぎて松商学園の春は終わりました。この借りを返す為、同年夏の大会、甲子園に再び上田選手は戻ってきます。春の選抜大会開始時点ではまだ全国区とは言えなかった上田選手ですが、夏の大会では各校からマークされる存在になっていたのです。

 

<春の借りを返しに>

甲子園に戻ってきた上田佳範選手は好投。初戦の 岡山東商戦を6-2。八幡商戦を8-3と退け、3回戦で 三重県代表・四日市工と対戦します。この試合が延長16回の死闘となり、高校野球史に残る名勝負として語り継がれていくのです。

試合は、上田佳範選手と、四日市工の井手元健一朗選手の投手戦で進んでいきます。均衡が破れたのは5回表。四日市工が2死3塁から、2ランホームランと井手元選手のタイムリーヒットで3点を先制します。井手元健一朗投手に完璧に抑えられていた松商学園が反撃に出たのは7回裏でした。連続ファーボールをきっかけにチャンスを掴み、一挙3点を挙げて同点に追いつくのです。試合は9回で決着が着かずに、そのまま同点で延長戦に突入。その後両チームともにチャンスは掴むものの、あと1本が出ずにゼロ行進が続きます。しかし延長16回ウラ松商学園の攻撃で、1死満塁から上田選手への初球(井手元選手がこの試合で投げた238球目)が、上田選手の利き腕となる右肩に当たってデッドボールとなり、押し出しのサヨナラ勝ちで松商学園が勝利を収めるのです。

 

<激闘、その後> 

こうして、延長16回の死闘を制した松商学園でしたが、決着の場面で上田投手がデッドボールを受けた右肩の箇所はボールの縫い目がはっきりとわかるくらいのひどい状態になっていました。それでも上田選手は監督に直訴して、翌日の準々決勝の対星稜高校戦に登板します。試合は星稜に2-3で惜敗。上田選手はこの2試合で(正確に言えば24時間の間に)328球を投げています。それでも上田選手は「右肩は痛くないと言えばウソになるが、それを負けた理由にはしたくない」と、四日市工戦のことを一切言い訳にはしなかったのです。

ちなみにこの時、星稜高校には当時2年生だった松井秀喜選手がいました。松井秀喜選手は後に著書の中で「野球人生で初めて壁を感じて大きな影響を受けたのがこの上田さんとの対戦だった」と記しています。(1990年秋の北信越大会とこの第73回選手権大会で対戦)

春の選抜大会に続く大活躍で、この年のドラフトの目玉となった上田選手を獲得したのは、日本ハムファイターズでした。投手として指名されたのですが、肩の怪我により1993年から外野手へ転向。1995年に初めて一軍に昇格し、106試合に出場、49安打を記録。1997年には規定打席にも到達し打率3割をマークしています。その後度重なるケガや不振の為レギュラー定着とはいかず、2005年のシーズンオフに日本ハムから戦力外通告を受けるのですが、かつて日本ハムで共にプレーした落合博満が監督を務める中日ドラゴンズと契約。2008年まで現役でプレーします。

プロに入ってから外野手に転向した上田選手ですが、投手出身の強肩と好守には高い評価をされていて、現役引退後すぐの2009年から二軍外野守備走塁コーチへ就任。その後2015年まで中日、2016年度から横浜DeNAベイスターズの一軍外野守備走塁コーチを務めています。

上田投手と延長16回の死闘を演じた井出元投手も1991年のドラフト5位で中日に入団。主に左のワンポイントやリリーフ投手として起用されたのですが、怪我が重なり本来の力は発揮できず、1999年10月に戦力外通告。入団テストを受けてより西武ライオンズに移籍するものの翌2000年オフに再び戦力外通告を受けて退団します。

翌2001年からJR東海に入社し、社会人野球に復帰した井出元選手は、三菱自動車岡崎の補強選手として第72回都市対抗野球に出場。準優勝に貢献。2002年の都市対抗野球予選敗退をもって引退しました。

本日は以上です。

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高校野球あれこれ 第59号

大阪桐蔭4人衆はどうなる ドラフトで「1チームから3人以上指名」“総崩れ”の例は

 

毎年多くの選手がドラフトで指名されてプロ入りを果たしているが、強豪チームとなると同じ年に複数の候補選手がいることも珍しくない。昨年も小園健太(DeNA1位)と松川虎生(ロッテ1位)が市和歌山から揃って1位指名を受けているが、同時に3人以上の指名となるとやはりなかなかあるものではない。古くは法政三羽ガラスと言われた田淵幸一阪神1位)、富田勝(南海1位)、山本浩二(広島1位)の例があるが、揃って活躍しているケース、また逆に総崩れとなっているケースはどの程度あるのだろうか。2000年以降の主な例から探ってみたいと思う。

 

大学球界で“松坂世代”が話題となったのが2002年で、多くの大学生が高い順位でプロ入りすることとなったが、中でも多くの選手を送り出したのが日本大だ。主砲の村田修一は自由枠で横浜、エースの館山昌平は3巡目でヤクルトに入団。さらに正捕手の大野隆治はダイエー(5巡目)、投手の堤内健も横浜(9巡目)から指名を受けている。村田は1年目から25本塁打を放つなどプロでも早くからその長打力を発揮し、館山も度重なる故障を乗り越えてエース格となるなど、ともにタイトルホルダーとなっている。村田は大学時代と変わらないスタイルで結果を残し、館山はフォームを大きく変えながらプロで生き残ったという点も対照的で面白いところだ。

 

 この日本大を上回る最大の成功例と言えそうなのが翌2003年の早稲田大だ。この年の目玉だった鳥谷敬は自由枠で阪神へ入団。それ以外にも比嘉寿光が広島(3巡目)、青木宣親がヤクルト(4巡目)、由田慎太郎(8巡目)がオリックスに指名されている。投手が1人もおらず、野手4人が指名されるというのは極めて珍しいケースである。比嘉と由田は一軍の戦力となることはできなかったが、鳥谷は長年阪神のショートとして活躍。青木は2年目にシーズン202安打を放って大ブレイクすると、その後はメジャーでも活躍し、ヤクルトに復帰した現在もチームの精神的支柱となっている。ともに通算2000安打(青木は日米通算)をクリアしており、球史に残る選手であることは間違いないだろう。

 

同じ早稲田大でこの年以上に大きな話題となったのが2010年だ。大石達也に6球団、斎藤佑樹に4球団が1位競合となり、抽選の結果大石は西武、斎藤は日本ハムに入団。大石を外した広島も2人のチームメイトである福井優也を指名し、3人の投手が1位でプロ入りを果たしたのだ。しかしプロ入り後の活躍度で言うと、前に挙げた2例と比べるとかなり寂しい結果となっている。大石は中継ぎで戦力になった年はあったものの、故障もあって大学時代の球威が戻ることなく2019年で引退。斎藤も1年目に6勝、2年目には開幕投手を務めて5勝と滑り出しは悪くなかったが、同じく故障に泣き、昨年オフに通算15勝でユニフォームを脱いだ。福井は楽天に移籍して現役を続けているが、広島での5年目に記録した9勝がキャリアハイであり、今年も一軍と二軍を行き来している状況だ。高い評価でプロ入りしても揃って活躍することが難しいことを実感する例と言えそうだ。

 

 高校は大学に比べると例が少ないが、史上最多の4人をプロに送り出したのが2001年の日大三だ。チームはこの年、夏の甲子園でも圧倒的な強さで優勝を果たしている。特に評価が高かったのが3番センターの内田和也で、4巡目でヤクルトに入団。夏の甲子園で16安打を放った都築克幸は7巡目で中日、控え投手の千葉英貴は6巡目で横浜、そしてエースの近藤一樹が7巡目で近鉄に入団となっている。内田、都築、千葉の3人は結果を残すことができなかったが、近藤は着実に力をつけ、吸収合併後のオリックスでは二桁勝利をマーク。その後は中継ぎに転向し、トレードで移籍したヤクルトではプロ入り17年目にして最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得したのだ。2020年限りで退団となったが、現在も四国アイランドリーグplusの香川でコーチ兼任として現役を続けている。

 

 そして高校で今後の出世レースに注目が集まるのが2018年の大阪桐蔭だ。この年のチームは史上初となる2度目の甲子園春夏連覇を達成。根尾昂(中日)と藤原恭大(ロッテ)の2人が競合1位となり、横川凱(巨人4位)と柿木蓮日本ハム5位)の投手2人も揃って指名されている。高校からの同時指名人数は前述した2001年の日大三と並んで最多タイだが、1位が2人いるということからも華やかさでは明らかに上回っている。

 

しかしプロ入り4年目の現段階で、期待通りの活躍を見せているかと言われるとノーと言わざるを得ない状況だ。藤原は1年目にいきなり開幕スタメン出場と華々しいデビューを飾ったものの、なかなかバッティングが安定せず、外野のレギュラー争いを勝ち抜くことができていない。早くからセンターに定着することを期待されていただけに、現状に満足しているファンはいないはずだ。

 

 根尾も二軍では多くの打席を与えられ、昨年はようやく一軍の戦力になりつつあるように見えたが、今年は度重なるポジション変更で最終的には投手転向が決まった。ピッチャーとしても高いポテンシャルを見せているものの、チームとファンが思い描いていた姿でないことは確かだ。横川も2年目に一軍デビューを果たしたが、フォームが安定せずに二軍暮らしが続いている。チームは若手投手がどんどん出てきているだけに、そろそろ結果を残したいところだ。

 

 そんな中で、今年ようやく希望が見えてきたのが柿木だ。高校時代はエースながら指名順位は低く、プロ入り後もフォームを崩して心配な状況が続いていたが、今年は6月11日の一軍初登板で最速150キロをマークするなど成長ぶりをアピールしたのだ。まだ目立った結果を残したわけではないが、多くの選手を試すビッグボスの方針もあるだけに、このチャンスをものにすれば一気に一軍定着も見えてくるだろう。

 

 こうして改めて振り返ってみると、全員が揃って活躍することが難しいことがよくわかる。そんな中でも法政三羽ガラス、2002年の日本大、2003年の早稲田大などプロでも一流となった選手が複数いるケースがあることも確かである。今後もここで挙げた例を上回るようなスター軍団が出てくることを期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第58号

夏の甲子園で「世紀の落球」 元開星中堅手「野球、今も好き」


仙台育英(宮城)の初優勝で幕を閉じた夏の甲子園。全国の高校球児憧れの大舞台で「世紀の落球」をした人がいる。松江市の会社員、本田紘章(ひろあき)さん(29)。2010年、開星(松江市)の中堅手として夏の甲子園に出場。九回表2死で平凡なフライを捕球できず、チームは逆転負けを喫した。「あの落球があったからこそ、今の自分がある」。苦い経験を糧に、現在も故郷で野球を楽しんでいる。


◇平凡なフライだったのに
 10年8月11日、開星は1回戦で強豪の仙台育英と対戦し、1点リードで九回表2死満塁のピンチを迎えていた。あとアウト一つで勝利が決まる。張り詰めた空気の中、相手打者の打球は当時3年の本田さんが守るセンター高くに飛んできた。平凡なフライだった。本田さんが落下地点で捕球体制に入ると、当時2年生だったエースの白根尚貴投手は早くもガッツポーズ。誰もが開星の勝利を信じて疑わなかった。本田さんの頭には、チームメートと校歌を歌う姿が浮かんでいた。
 だがボールはグラブからこぼれ落ち、グラウンドを転がった。頭が真っ白になり、何が起きたのか分からない。必死でボールを追い、本塁に投げたが、走者2人が還り、まさかの逆転を許した。
その裏、チームは2死一、二塁の好機を作るも相手の好守に阻まれ、5-6で惜敗した。
 チームメートには後にソフトバンクDeNAでプレーした白根さんや、現在も阪神で活躍する糸原健斗選手らがいた。本田さんは09年のセンバツで公式戦で初めてベンチ入り。優勝候補だった慶応(神奈川)との1回戦で逆転の適時二塁打を放ち、一躍ヒーローになった。その後もレギュラーに定着し、チームの柱の1人として春夏合わせて3回、甲子園に出場した。


 ◇仲間は誰一人責めず
 そんな本田さんにとって、高校最後の夏は華々しい実績とはかけ離れたものとなった。小学4年で野球を始めて以来、平凡なフライを落としたことはなかった。「油断していたからだ。チームに申し訳ない」。試合終了後、肩を落とす本田さんを、チームメートは誰一人責めなかった。糸原選手は「お前がいなかったら甲子園に出られなかったよ」と励ましてくれた。
 だが松江に戻っても、家から出ることができなかった。「普段は引きずらない性格だけど、この時ばかりはさすがに落ち込んだ。誰とも会いたくなかった」と振り返る。
 夏休みが終わって恐る恐る登校すると、同級生もチームメートも今まで通り接してくれた。そうするうちに、だんだんと元気を取り戻していった。
 卒業間際になって、後輩に交じって練習する機会があった。本田さんのところにフライが飛んできた。チームメートから「捕れるかー?」とおどけて声がかかる。しっかりとキャッチした本田さんも思わず苦笑い。卒業アルバムには「大学では落とすなよ」と仲間からのメッセージがあった。「苦い失敗」はいつしか「思い出」に変わっていた。「いい仲間たちに恵まれた。彼らと野球ができてよかった」と実感している。
 進学した大阪体育大でも野球を続け、レギュラーを獲得したが、本格的に練習するのは大学までと区切りをつけた。「木製のバットは自分には合わなくて。やはり、高校時代の金属バットがしっくりきます」


 ◇故郷で社会人生活
 卒業後は松江に戻り、自動車販売会社の営業を経て、現在は山林調査などを行う会社で働く。あの時の反省を踏まえ、目の前の仕事に集中して取り組むように心がけている。たまにミスをしても、「大観衆の前で落球したあの時と比べたら、怖いものはない」と気持ちを切り替え、前向きになれるという。
 仕事の傍ら、地元にある軟式の草野球チームに所属し、主に投手として活躍。休日は練習や試合で忙しく、新たな仲間たちと野球を楽しんでいる。「今でも野球が大好き。体がしっかり動くうちはプレーを続けたい」と目を輝かせた。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第57号

ますます二極分化の進む

令和時代の高校野球の現実

 

仙台育英(宮城)が、東北勢としては悲願でもあった全国制覇を果たして第104回全国高校野球は幕を閉じた。一昨年は新型コロナウイルスの影響で春夏共に中止ということになったため、令和時代になって、春夏合わせて5校目の優勝校ということになった。令和になってからの優勝校は大阪勢で履正社大阪桐蔭の2校。あとは東海大相模(神奈川)、智辯和歌山(和歌山)、そして仙台育英ということになった。いずれも、全国的にもよく知られている、いわゆる高校野球の強豪校という呼ばれ方をする学校である。

 

ことに今大会は、今春のセンバツで圧倒的な強さを示して優勝を果たした大阪桐蔭春夏連覇があるのかどうかという一点に興味は絞られた。その大阪桐蔭を準々決勝で下したのが、山口から4年ぶり3回目の出場を果たしていた下関国際だった。下関国際は2017年夏に初出場を果たして以降、翌年の春夏連続出場を含めて、ここ数年の間に春2回、夏3回目の出場となっている。

 

 大阪桐蔭を下して勢いに乗った準決勝では、春の準優勝校の近江(滋賀)も下して決勝進出を果たした。春の決勝進出の両校を下しての決勝進出ということになった。振り返ってみれば、結果として決勝進出すべくして最後まで残ってきたとも言える。

 

 ここ数年の間に一気に躍進してきた中国地区の新鋭校という位置づけになるのだが、2005年に就任した坂原 秀尚監督が、野球部の状態としては、ほとんどゼロに近い状態からチームを作り上げて、この位置に辿り着いたと言っていいであろう。

 

 山口には宇部鴻城高川学園など強豪はあるが、今回躍進した下関国際が山口県内では安定した強豪校として定着していきそうな気配も十分にある。今大会の選手の内訳を見てみると、山口県出身者は1人で、隣県の広島県、福岡県をはじめ、兵庫県大阪府といった地域からの選手で固められていた。

 

優勝した仙台育英は、1989年夏に初めて決勝進出を果たして以降、春夏合わせて3度決勝進出を果たしていたが、いずれも最後の壁を破り切れないでいた。それだけに、今回4度目の正直という形での初優勝での喜びは大きかった。選手は、系列中学の秀光中出身者を含め、宮城県出身者が多いが、東北全県や関東などからの入学者もいて、チームの核を担っている。特に今大会では、投手陣の層の厚さは圧倒的だった。全部員82人のうち、19人が投手だということで、まさにプロ野球顔負けの「投手陣」ということになるのだけれども、こうしたチームのあり方というのも、これからの高校野球のスタイルとなっていくのであろうと思わせた。

 

 つまり、圧倒的な戦力を作り上げるためには、同世代の能力のある選手を積極的に集めていき、投手複数制は当たり前のことで、投手陣だけではなく、野手も含めて、いかに正選手と控えの選手との差を少なくしていけるかということが、戦力充実への近道ということになる。

 

こうなってくると、2000年以降の高校野球界の雄とも言える大阪桐蔭に見られるように、全国の有望中学生の中でも、最も能力の高い選手たちが、集まってくるような環境作りが一番大事ということにもなる。二極分化の進んでいる現在の高校野球では、全国各地でこうした形で有望選手に声を掛けていくスカウトシステムを取っている学校が多くあり、実績も挙げている。

 

 そうした学校の多くは、有望中学生をチェックして、中学生のスカウトをメインとする役割のコーチを置いているところもある。そして、最終的には監督がチェックして獲得するかどうかということを決めていくのである。つまり、「中学生選手に対して、いかに確実な情報収集ができているのか」ということが、それぞれのチーム作りの根幹になってきているということである。

 

 そうして見ていくと、今の高校野球の上位レベルの学校というのは、いかに好素材を集めてくるのかというところから始まる。というよりも、もっと言えばそのことがチームの浮沈の大きな要素となっているのだ。

 

 よく、人材育成の3要素としては「見つける」「育てる」「生かす」ということが言われる。その比重が、現在の高校野球の上位校の場合で言えば、「見つける」が6割、「育てる」と「生かす」が2割ずつというような気がしてならない。もちろん、人材発掘というのは、企業経営としても最も重要な要素でもある。だから、高校野球でも好素材を見つけてくるということは、チーム強化ということから言えば極めて当たり前で重要なことではある。

 

 しかし、「たたき上げ」という言葉もあるように、いわゆる並の存在だった者が、努力と経験を積んでいきながら、学習していきながら成長していくというケースもある。ただ、高校野球の場合、毎年毎年選手が入れ替わる。一つの素材をじっくりと育てていくには、あまりにも時間がないというのも現実だろう。長く見ても2年4カ月でチームを作り上げていかなくてはいけないのだ。

 

 まして、野球は経験値も大事な要素となるスポーツである。だから、有望な人材を発掘して、早くから経験を積ませていくということが最も手っ取り早くて効果的なチーム作りということになる。それができる学校と、なかなかできにくい公立校との格差は、実際の現場では、ますます差が開いていくというのは否定できない現実となってきている。

 

 それでも、そんな格差のあることも分かっていながらも対等の条件で戦っていく。それが、高校野球の魅力の一つとなっているのかもしれない。令和時代の高校野球は、夏の大会の開催方法も含めて、改革へ向けて議論されていく課題も多くありそうだ。今後、どういう方向へ進んでいくのだろうかということは分からない。だけど、100年以上の歴史を重ねて積み上げてきた高校野球の文化をどう維持していくのかということも、常に考慮してほしいとも思う。

 

 

 四字熟語で言えば「不易流行」という言葉が、今こそ高校野球にとって、最も必要な考え方なのではないかと思っている。

 

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高校野球あれこれ 第56号

さらば“高校野球界の増田明美” 。

今夏、甲子園を去った名解説者

 

NHKの春夏甲子園の高校野球解説者は、社会人野球の監督経験者などを中心に、約10名ほどの顔ぶれが、各大会、それぞれ数試合ずつを担当している。その中で最年長が大矢正成さん(元JR東海監督)だ。“高校野球界の増田明美”と親しまれた大矢さんは、今大会の決勝戦の解説を最後に、甲子園での解説を勇退することになった。

 

大矢が甲子園で解説者デビューしたのが2013年春の選抜大会。今年でちょうど10年目となる。節目の年だから引退するわけではない。任期のある仕事ではないが、NHKには「63歳の誕生日を迎える前の大会まで」という内規がある。

 

4月に63歳になった大矢は本来ならば選抜までで卒業だったのだが、この夏、1大会だけ延長を依頼されて引き受けた。

 

解説者としてのスタートは地元のNHK名古屋放送局。愛知県予選で解説をしていた母校・東邦高校の先輩で元プロ野球選手の柘植康之が、2003年に東海REXの監督に就任。前年秋にJR東海の監督を退任した大矢に、「東邦の枠が空いたから、お前がやれ」と後任の白羽の矢が立った。

 

何年かすると、実況でコンビを組むことが多かったMLB中継などでお馴染みの森中直樹アナウンサーが、NHK名古屋から大阪に異動。甲子園の実況も担当するようになった。

 

名古屋での解説が10年目となった2012年、森中から「甲子園でも解説をやってみる気はありますか?」と電話をもらった。当時53歳。甲子園の解説者はほとんど四十代だった。

 

「こんな歳で大丈夫ですか?」と不安になって聞くと「私に任せてください」と言われ、翌13年から春夏の甲子園に呼ばれるようになった。「周りは長くやっている人ばかりですから、あの歳で新参者で、ちょっと異質なヤツが来たな、という雰囲気でしたね」と就任当時を振り返って言う。

 

異質という意味では、大矢はそれまでの高校野球解説にはあまりなかった、選手やチームのパーソナルなエピソードを織り込むことが多い。コアな高校野球ファンからは「高校野球界の増田明美」と呼ばれていたが、注目されるようになったのは、昨年春の準優勝校・明豊(大分)の〝カード事件〟(*)あたりから。

 

(*)寮で禁止されているUNOをやっていた部員に、監督が「そんなに好きならとことんやれ」とグラウンドにカードを持ってこさせ、マウンド付近で車座になってやらせた。チームの練習が出来なくなったことで他の部員に迷惑がかかる。ルールを破ると組織に迷惑がかかるということを身を以て示したというエピソード。

 

増田明美さんみたいだとよく言われましたが、そんなつもりは全然なくて、解説にちょっと色づけをしたかっただけなんです」と言う。そんな〝大矢スタイル〟のきっかけになったのは、2017年夏の大会のことだ。

 

地方予選でキツネにグラブを盗まれる

北北海道代表の滝川西高校の試合を担当することになり、渡された資料の中にある選手アンケートを読んでいると、レフトの佐野大夢選手の「地方予選でキツネにグラブを盗まれる」という妙な書き込みを見つけた。興味を持って試合前取材で本人に聞きに行くと、詳しく説明してくれた。

 

試合中にベンチにグラブを置いていたら、キタキツネが現れて、くわえて逃げて行ってしまったという。「なぜキミのグラブだけ?」と聞くと、「キツネが僕の匂いを好きだったのでしょう」と言い、二人で大笑いした。

 

他の記者はバッテリーなど主力選手の話を聞いていて、佐野のところには誰もいなかった。佐野はおばさんに新たにグラブを買ってもらって甲子園に来たという。中継スタッフに「試合のどこかで話していいですか?」と確認し、その黒いグラブをチャンスがあったら映してもらえないかと頼んでいた。

 

すると、3回表にレフトフライがあり佐野が捕球。そこでテレビ画面に黒いグラブがアップで映し出された。「まだ試合序盤で心の準備もできてなかったんですが、放送席のモニターを見たらアップで映っている。観ている人も『なんで?』と思うはず。ここで言わきゃいかんと思って」と慌ててエピソードを披露した。

 

その後、佐野は守備機会がないまま交代。結果的に、ここが唯一の話すチャンスだった。それ以来、チャンスがあったら躊躇せずに話すように心掛けてきた。

 

明豊のカード事件は、コロナ禍で試合前取材が出来ず、担当が決まった初戦を前に監督の著書などを読んで事前学習していた。しかし試合が延長戦の熱戦となり、話すチャンスがなかった。準々決勝でも担当になったが、また接戦で切り出せなかった。準決勝で、この大会3試合目の解説となり、ここでようやく披露出来た。

 

一大会で同じチームの試合を3試合も解説するのは珍しい。だからこうして放送で出てきた話は、どれも運良くタイミングが合ったものであり、綿密な事前取材の中でストックしていながら出せずに終わった話はいくらでもある。

 

しかし、そうした軽妙な話術とは別のところに、本当の〝大矢スタイル〟がある。

 

スコアブックと蛍光ペン

 

大矢は試合中、常にスコアブックを付けながら解説している。それも一球一球を記録するだけでなく、机の上に蛍光ペンを何本か並べて置き、球種やボールの特徴などをわかりやすく色分けし、ポイントになる場面は赤ペンで詳細に状況を書き込む。「観て、書いて、しゃべって。めちゃめちゃ忙しいんですよ」と苦笑する。捕手出身ゆえに身に付いた性分かもしれない。

 

ゲーム内容をしっかり分析し、丁寧に説明すること。ネタの披露はあくまで付録と考えている。名古屋で解説を始めた時からずっとそうだった。それを横でずっと見てきた森中アナは、その真摯な仕事への取り組みを信頼し、推薦してくれたのだろう。

 

自らの高校時代は、高校野球の光と影をともに経験した3年間だった。希望に燃えて名門・東邦に入学したが、1年生の6月、部内で暴力事件が起こる。連帯責任の時代。一年間の出場停止処分となった。

 

甲子園の望みを絶たれた先輩たちは何人も退部していった。「奈落の底に突き落とされた気分だった」と振り返る。落ち込む部員たちを励ますように、柘植が当時監督を務めていた新日鐵名古屋(のちの東海REX)の選手を連れて何度もグラウンドを訪れ、練習を見せてくれた。この時の恩義があるから、柘植に言われたら二つ返事で解説者を引き受けた。

 

3年夏の最後のチャンスに甲子園出場を果たす。そして1年生エース〝バンビ〟こと坂本佳一投手とのバッテリーで勝ち進み、あれよあれよという間に決勝進出。坂本は空前の大フィーバーを巻き起こし、試合以外では宿舎から一歩も出られなくなった。

 

宿舎で相部屋だった大矢は、外出時に坂本のために菓子やジュースを買ってきてやったという。「遠足のような、本当に楽しい時間でしたね」と、今も昨日のことのように思い出す。

 

勝戦サヨナラ本塁打を打たれ準優勝。優勝した東洋大姫路のスタンドで応援していた1年生部員の中に、のちに履正社高校の監督となった岡田龍生(現・東洋大姫路監督)がいた。岡田率いる履正社が初の日本一を勝ち取った2019年夏の決勝、履正社-星稜戦は、大矢にとっても解説者として初めての決勝戦だった。

 

「そうやって人の縁で生きてきた。18歳で甲子園に行って良い思いをさせてもらって、こうして解説をやるようになって、もう45年です。幸せな野球人生ですよ。甲子園からたくさんの力をもらいました。応援の雰囲気や選手たちのプレーを見ていると、違う世界にいるような気持ちになります。夢の世界で高校野球に関わっているんです」

 

大矢は言う。最後の解説となった決勝戦の日、閉会式が終わると、最後にアナウンサーから、球児たちへのメッセージを求められた。

 

高校野球は後々の人生に生かされることが、たくさん詰まっています。世の中、社会に出ると、思い通りにいかないこと、つらいことがたくさんあります。そんなとき、高校野球で学んだこと、そして野球を通して鍛えられた強い心があれば、きっと乗り越えられると思います

 

そんな自らの野球人生を投影させたかのようなメッセージは、多くの視聴者の感動を呼んだ。放送終了後、大矢はもう一度、放送席から甲子園のグラウンドをしっかり目に焼き付けて、球場を後にした。

 

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高校野球あれこれ 第55号

激減した完投数 勝ち上がりに複数投手制は不可欠か 夏の甲子園

 

第104回全国高校野球選手権大会仙台育英(宮城)が初優勝し、東北勢初制覇で優勝旗の「白河の関越え」を達成して幕を閉じた。今大会の完投数は21と前回の30から激減し、過去10年でも最も少なかった。1人につき1週間500球以内の投球数制限が2020年に導入されて2年あまり。各校が複数の投手を育て、連投を回避する傾向が強まっていることが数字からも見える。

 

仙台育英は全5試合を5投手の継投で勝ち上がり、投手層の厚さが際立った。決勝で先発の背番号「10」の左腕・斎藤蓉は準々決勝から中3日で登板した。2番手の高橋煌稀は背番号「11」で、エースの古川翼は登板しなかった。須江航監督は「状態の良い方を起用した」と説明したが、5投手の能力差が小さかったことからできた采配だった。球数が200球を超えたのは213球の斎藤蓉のみだった。

 

 準優勝の下関国際(山口)も左腕・古賀康誠、右腕・仲井慎の二枚看板を擁し、今春のセンバツ優勝の大阪桐蔭、準優勝の近江(滋賀)を連破した。完投数はゼロだったが、決勝は130球を投げた準決勝から中1日の2番手・仲井の状態が万全でなく、球威に欠けた。

 

 4強の近江もエース右腕の山田陽翔が全5試合で先発したが、左腕・星野世那が準々決勝で好救援した。今春のセンバツのような「山田頼み」からの脱却は見られたが、既に512球を投じていた山田は準決勝で疲労困憊(こんぱい)だった。

 

 休養日が3日あるが、3回戦以降は日程の間隔が短くなる猛暑の甲子園。複数投手制は必須となりつつあるが、優勝には仙台育英のようにエース格の投手を可能な限り多くそろえることが必要だ。

 

 失策数は139で前回の100から大幅に増加し、00年以降でワーストだった。3年生は新型コロナウイルスの感染拡大と同時に高校生活をスタートさせた。練習時間が制限され、公式戦など実戦経験も乏しかった。そんな選手たちが大勢の観衆が見守る甲子園で普段通りの力を発揮するのは簡単ではない。

 

 総本塁打数も28本で、過去10年で最少だった。新型コロナの影響で実戦での生きた球を見る機会が減少したことも無関係ではなかった。

 

 新型コロナ感染拡大「第7波」の中でスタートした大会だった。6校が集団感染と判断されたが、日程変更や選手の入れ替えで対応し、前回大会や今春のセンバツのような辞退校はなかった。負けて涙する姿もあったが、晴れやかな表情で聖地を後にする選手が目立った。新型コロナに振り回された世代だけに、憧れの甲子園で伸び伸びとプレーできたことが幸せだったのだろう。

 

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高校野球あれこれ 第54号

年間予算60万円の公立校が「夏の甲子園」を制覇!ノーマークから栄冠をつかんだ

“ミラクルチーム列伝”

 

ダークホースにも挙がっていなかった

今年の「夏の甲子園」は、「史上最強チーム」の呼び声も高い大阪桐蔭春夏連覇が注目される。その一方で、過去にはノーマークから1戦ごとに力をつけ、優勝まで駆け上がったチームがあった。今回は、夏の甲子園で奇跡を起こした記憶に残る“ミラクルチーム”を振り返ってみたい。

 

エスエスエス」のフレーズが印象的な校歌とともに、夏の甲子園で初出場初Vの快挙を成し遂げたのが、1976年の桜美林である。

 

 同年は春の覇者・崇徳が本命で、柳川商(現・柳川)、銚子商原辰徳(現・巨人監督)の東海大相模などが優勝候補だった。春の関東大会を制した桜美林も攻守のバランスが取れた好チームながら、大会前はダークホースにも挙がっていなかった。

 

 ところが、初戦の日大山形戦で2本塁打が飛び出し、4対0と快勝すると、あれよあれよという間に市神港、銚子商、星稜を連破し、東京勢では1925年の早稲田実以来51年ぶりの決勝戦に駒を進めた。

 

 相手は、甲子園の常連校・PL学園。初回に4番・片桐幸宏のタイムリーで先手を取った桜美林だったが、4回にエース・松本吉啓が集中打を浴び、1対3とひっくり返される。

 

 だが、「もう点をやるな。必ず取り返してやるから」という浜田宏美監督の激励を背に、松本は4回以降無失点と踏ん張り、相手に傾きかけた流れを必死に食い止める。

 

「カーッと燃えました」

 エースの粘投が報われたのが7回。入学時に「将来の4番」と期待されながら、故障などで控えに回っていた代打・菊池太陽が「待ちつづけた出番。カーッと燃えました」と甲子園初打席で二塁打を放ち、反撃の狼煙を上げる。内野安打で1死一、三塁とチャンスを広げたあと、2番・安田昌則の2点タイムリ二塁打で一気に追いついた。

 

 3対3で迎えた延長11回、途中出場の本田一の安打で無死一塁、ラッキーボーイ・菊池が左翼ラッキーゾーンを直撃する快打を放つ。左翼手がもたつく間に、本田が俊足を飛ばし、最後はヘッドスライディングでサヨナラの生還をはたした。

 

 控え選手も含めてベンチ入り14人全員がヒーローとも言うべき栄冠。最後まであきらめない粘り強さが売りのチームは、スマートな一方で、ひ弱さも感じられた東京代表のイメージを大きく変えた。

 

“のびのび野球”で全国制覇

 県大会でも優勝候補に挙げられていなかったのに、明るい“のびのび野球”で、佐賀県勢では初の全国制覇を成し遂げたのが、94年の佐賀商である。

 

 ノーシードから佐賀大会を勝ち上がった佐賀商は、甲子園でも開幕試合となった1回戦で浜松工に6対2と打ち勝つと、2回戦では大会屈指の左腕・吉年滝徳(元広島)を攻略し、関西に6対1と快勝。2年生エース・峯謙介も2試合連続完投を記録した。

 

 その後も那覇商、北海を下して4強入りしたあと、準決勝の佐久(現・佐久長聖)戦では、0対2と敗色濃厚の9回裏に山口法弘の三塁打などで追いつき、延長10回に再び山口のタイムリーでサヨナラ勝ち。毎試合のように「負ける気がしないんです」「自由に野球が楽しめるんです」と明るさ一杯のナインは、接戦になればなるほど無類の勝負強さを発揮した。

 

 決勝の樟南戦も序盤に3点を失いながらも、6回に集中打で一気に追いつき、スクイズで勝ち越された8回にもラッキーボーイ・山口が中前に同点打と粘りに粘る。

 

 そして、4対4の9回2死満塁、主将の西原正勝が福岡真一郎の初球をジャストミートし、左越えに神がかりとも言うべき大会史上初の決勝満塁本塁打。その裏の樟南の攻撃を、決勝まで一人で投げ抜いた峯がピシャリと抑えて、佐賀に初の大旗をもたらした。

 

 試合前、「大差で負けるかも」という不安で一杯だった田中公士監督も「奇跡としか思えない。子供たちの最後まで勝負を棄てない執念が勝利をもたらしたのだと思います。普通の高校生でも、やればできるということを目の当たりにした」と感無量だった。

 

「野球の神様が味方してくれた」

 佐賀商の奇跡から13年後、優勝旗は“がばい旋風”(佐賀の方言で“とても”の意味)の佐賀北によって、再び佐賀にもたらされる。

 

 2007年、馬場将史、久保貴大の必勝リレーがハマり、7年ぶり2度目の甲子園にやって来た佐賀北は、13年前の佐賀商同様、開幕試合となった1回戦で福井商を2対0で下すと、2回戦では、延長15回引き分け再試合の末、宇治山田商に9対1と快勝する。

 

 強豪私立校の特待生問題が社会現象化した同年、年間予算60万円で活動する公立の佐賀北を応援するファンも日に日に増えていった。そんな追い風のなか、佐賀北は前橋商、帝京、長崎日大を下し、決勝進出をはたす。

 

 準々決勝で延長13回の末敗れた帝京・前田三夫監督は「“負けてもともと”という捨て身のノリのあるチームなので、前半で試合を決めて、相手に『ひょっとしたら勝てるかも』と思わせる展開にしたくなかった。ところが、5回を過ぎても同点で、延長戦に入ったでしょ。15回引き分けで、この流れを一度切らなければ勝てないとまで思いましたね」と無欲で向かってくるチームを相手に戦うことの難しさを吐露している。

 

 決勝の広陵戦も、7回を終わって0対4の劣勢から“奇跡”を起こす。7回まで野村祐輔(現・広島)にわずか1安打に抑えられていた佐賀北は、8回1死から連打と四球で満塁と反撃開始。

 

 そして、次打者・井出和馬のカウント3-1からの5球目、野村の速球が外角低め一杯に決まったかに見えたが、球審の判定は「ボール!」。結果的にこの“微妙判定”が流れを大きく変えた。

 

 押し出し四球で1点を返したあと、なおも1死満塁で、副島浩史がドラマ以上にドラマチックな弾丸ライナーの左越え逆転満塁弾。13年前の佐賀商同様、栄冠はグランドスラムによってもたらされた。百崎敏克監督も「佐賀商の再現ビデオを見ているようだった。野球の神様が味方してくれたとしか思えない」と信じられないような表情だった。

 

 今夏も1戦ごとに力をつけ、甲子園で成長したチームの快進撃が見られるだろうか。

 

 

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