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高校野球あれこれ 第146号

センバツでまた「不可解選考」 東海地区の“逆転現象”に「理解できない」との声も…なぜ、選考過程を透明化しないのか?

 

過去には「国会」で取り上げられたことも

1月26日、第96回選抜高校野球大会の選考委員会が大阪市内で行われ、出場する32校が発表された。今大会から“選出枠”に変更点があった。「21世紀枠」は3校から2校に減り、「一般選考枠」は、東北地区と東海地区が2校から3校に増えた。さらに、中国地区と四国地区は、「両地区で計5校」から「各地区から2校ずつ」に変わった。選考委員会の結果は「21世紀枠」から発表され、別海(北海道)と田辺(和歌山)が選出。続いて、「一般選考枠」は北海道地区から順に発表されたが、高校野球関係者から驚きの声があがったのが“東海地区”だった。

  まず、昨年の東海大会で優勝した豊川(愛知)が読み上げられた。続く「二枠目」は同大会の準決勝で敗れた宇治山田商(三重)。そして「三枠目」は、準優勝の愛工大名電(愛知)だった。愛工大名電より、東海大会の成績がよくなかった宇治山田商が「二枠目」で選出される“逆転現象”が起こったのだ。

 

 筆者をはじめ、多くの高校野球関係者は、東海大会の優勝校・豊川と準優勝校・愛工大名電が当確で、残る1枠を準決勝で敗退した宇治山田商藤枝明誠(静岡)が争うと考えていた。

 

 しかし、蓋を開けてみると、選抜の“不可解な選考”がまたも浮き彫りとなった。前述したように、今大会は東海地区の選考枠が増えたため、愛工大名電が落選するという事態は避けられ、大きな騒ぎにならなかったが、高校野球関係者にとって腑に落ちない結果だったといえるだろう。

 

 東海地区の選考を巡っては、一昨年の第94回大会において、前年秋の東海大会で準優勝した聖隷クリストファー(静岡)が落選し、準決勝敗退の大垣日大(岐阜)が選出される“逆転現象”が起こっている。これに納得できない聖隷クリストファーのOB会が33校目として出場を求める1万人以上の署名を集めたほか、国会でも、この問題が取り上げられるなど社会問題に発展している。

 

「これ以上の説明を差し控えたい」

 結局、聖隷クリストファーの出場は認められることはなく、大会を主催する日本高等学校野球連盟高野連)と毎日新聞社は「(選考についての)詳細な内容は公開になじまない」、「当該校にもこれ以上の説明を差し控えたい」との方針を発表しただけで、この件は“幕引き”となった。

 

 改めて、宇治山田商愛工大名電東海大会での結果を見てみると、宇治山田商は準決勝で5対6、愛工大名電は決勝で7対8といずれも1点差で、優勝した豊川に敗れている。

 

 亀井正明選考副委員長は、それでも宇治山田商を上と評価したことについて、以下のように説明した。

 

宇治山田商愛工大名電は優勝した豊川に対してともに1点差の惜敗でありましたが、宇治山田商は9回まで2点をリードし、終始互角の戦いを繰り広げました。その戦いぶりから宇治山田商投手力、守備力を評価して2校目として選出することとしました」

 

 この説明の通り、確かに宇治山田商は9回表まで2点をリードしており、一方の愛工大名電は初回に一挙6点を奪われるなど、5回までに8点をリードされる展開だった。

 

指導者からも疑問の声

 ただ、繰り返しになるが、最終的な得点差は1点差だ。見方を変えれば、宇治山田商は最終回の詰めの甘さが出て、豊川に逆転を許した一方、愛工大名電は、大差のリードをつけられながらも試合を諦めることなく、1点差まで豊川を追い詰めたと評価することもできる。

 

 選抜高校野球の選考については数字などで示せる明確な基準はなく、最終的な判断は選考委員に委ねられるとはいえ、「宇治山田商の方が上」と判断した説明を聞いて納得できた人は少ないのではないだろうか。

 

 実際、筆者は、甲子園出場経験を持つ複数の指導者に、今回の選考結果について、感想を聞いてみた。いずれも納得がいかない様子だった。ある指導者は以下のように、選考委員会に対して、疑問を呈している。

 

愛工大名電が選抜に出場できるので騒ぎにはなっていませんが、正直、理解できませんね。決勝で0対10といった大差で愛工大名電が負けていたら、まだ分かりますけど、最終的には1点差ですから。ちょっと穿った見方かもしれませんが、(選考委員会は)『(地区大会の)決勝に進出しても、選抜は当確じゃないんだぞ』と世間に対して言いたいのかなとも思いました。また、聖隷クリストファーの時の選考について、正当化したい意図もあったのかもしれませんね……」

 

「当落線上の場合は、あまり期待しない」

 2年前にあれだけの問題になりながらも似たような選考が行われているというのはやはり気になるところだ。一方、別の指導者は、こうも話してくれた。

 

「選抜については、地区大会で優勝して『選考間違いなし』というケースであれば、当然選ばれるつもりで待ちますけど、当落線上の場合は、あまり期待しないようにしています。選手にも絶対的なところまで、勝ち上がれなかったのだから、選ばれなくても仕方がないということも話しますね。一喜一憂して、チームが締まらない方がマイナスですから……」

 

 裏を返せば、それだけ選抜の選考というのはどう転ぶかよく分からないものであると認識されている。ただ、それに振り回される現場の指導者や選手がいることは確かだ。

 

 2年前の聖隷クリストファー落選の際には、末松信介文部科学大臣(当時)からも選手への丁寧な説明や会議録の公表などが必要ではないかという話があったが、その後、選考委員会の運営について何か変わったようなことはなく、会議録も公表されていない。

 

 スポーツに限らず、あらゆる分野で透明性が求められる時代において、少なくとも出場校の選考過程を明らかにする必要があるのではないだろうか。来年以降は、より多くの人が納得できる十分な情報開示と説明が行われることを望みたい。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第145号

センバツ】耐久&田辺の和歌山W公立校の旋風に期待! 智辯和歌山、市立和歌山以外の学校2校出場は32年ぶりの快挙!

今年のセンバツ出場校の中でも注目が集まるのは和歌山の2校。伝統校である田辺、耐久が同時出場したことだ。田辺は明治29年(1896年)に前身である田辺中が創立され、田辺中時代に2度の選抜に出場。昭和23年(1948年)4月に同校が創立された。

1996年夏に甲子園出場しており、今回の選抜は76年ぶり。現校名となってからは初の選抜出場となった。

 

 一方の耐久は1852年(嘉永5年)に創立された長い歴史を誇る学校だが、初の甲子園出場となった。

 

 和歌山県から智辯和歌山、市立和歌山の2校以外の学校が出場するのは、2022年の和歌山東以来、2年ぶり。そしてこの2校以外の和歌山の学校が2校同時出場するのは、1992年の南部、日高以来、32年ぶりとなった。

 

 1992年の大会を振り返ってみよう。当時近畿は7枠あり、元広島の黒田 博樹投手などがいた上宮が不祥事で推薦を辞退したことで、多くの学校にチャンスが広がり、91年の秋季近畿大会ベスト8の南部、日高が選ばれる形になった。

ちなみに日高は初戦で優勝候補・帝京と当たり、0対1の惜敗。南部は初戦で水戸商を2対1で破ったが、2回戦で東海大相模に0対4で負けている。

 

 田辺、耐久の話を戻すと、両校の強みは好投手を擁していること。また、ともに実力校を破っている点も健闘を期待できる。

 

 田辺の130キロ後半の速球を投げ込む寺西 邦右投手(2年)は、内外角を徹底的に突く投球が持ち味。和歌山県大会で市立和歌山、智辯和歌山の2校を破っており、強豪校に対しても怯むことなく、試合運びができるため、躍進が期待できる。

 

 耐久はエース・冷水 孝輔投手(2年)が142キロ右腕として注目され、昨秋の近畿大会では社、須磨翔風を破り、ベスト4。準決勝の京都外大西戦でも0対1と1点差勝負を演じており、こちらも強豪校に対抗できる投手がいる。

 

 智辯和歌山、市立和歌山以外の和歌山の公立校も強いということをこのセンバツでも証明できるか注目だ。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第144号

高校野球】常に求めるのは「甲子園基準」 創志学園門馬敬治監督が短期間で成果を残せた理由

 

技術以前の取り組み

当たり前のことを、当たり前にする。常に求めているのは「甲子園基準」。

 

 創志学園高野球部のテーマだ。活動拠点の赤坂グラウンドは、緊迫感にあふれていた。極端な話、仮に明日、センバツ初戦が組まれても、心身ともスタンバイは十分にできている。

 

 朝8時に練習スタート。定期試験後の12月9日以降、朝から夕方までの強化練習が年末まで20日間続き、疲労はピークだった。しかし、そんな言い訳は通用しない。新3年生25人、新2年生15人は、約90分に及ぶウォーミングアップ兼強化トレーニングを全力で消化。寒さを吹き飛ばすほどの熱気が満ちていた。

 

 2022年8月の新チームから指揮する門馬敬治監督が、このメニューを陣頭指揮。「さあ、行くぞ!! 気持ちが足りない。全然、足りない」と鼓舞。大人が本気の姿勢を見せれば、部員たちのボルテージも自然と上がってくる。甲子園は特別な場所ではない。常に大舞台と同様のマインドを維持して「試合のための練習」を積んできた。選手たちの生きた目を見れば、本気度が伝わってくる。

 

 門馬監督は2021年7月まで母校・東海大相模高を率い、春3度、夏1度の甲子園制覇へと導いた名将である。戦いの場を、縁もゆかりもない岡山へ移して、約1年3カ月で結果を出した。今秋の中国大会準優勝により、来春のセンバツ甲子園出場を有力の立場とした。

 

 なぜ、短期間で、成果を残せたのか。

 

 技術以前の取り組みである。「野球は人間がやるスポーツですから。野球はいずれやめる時期が来るが、人間はやめられない。人としての姿勢が問われる」。門馬監督は就任以来、教育に心血を注いだ。単身赴任の指揮官は寮生活の細部まで、子どもたちと真正面から向き合う。整理整頓、時間厳守、規則正しい生活サイクル、学校授業の充実。当たり前のことを、当たり前にできる集団を訴えた。赤坂グラウンドは甲子園。メニューとメニューの間が迅速。とにかく、テキパキとしている。全国舞台へ足を踏み入れてから雰囲気に圧倒され、慌てているようでは、勝負にならない。

 

 心が育てば、自然と野球の技術は上がっていく。学校が変わっても、人は変わらない。門馬監督が前任校から一貫としてきた、「アグレッシブベースボール」を新天地でも貫いている。同校の資料によれば「『攻撃が最大の防御』という門馬の恩師、原貢監督からの言葉を承継。攻撃的野球。積極的組織」とある。

 

浸透しているイズム

門馬監督のイズムが浸透していると確信したのが、冒頭のウォーミングアップだった。今秋の快進撃の要因を、門馬監督は語る。

 

「コーチ陣の頑張りと、選手の粘りに尽きる」

 

 大長秀行部長、小原圭人コーチ、石塚将大コーチの尽力を称えた。指導者の「思い」に応えた選手たちの「努力」。県内の高校野球関係者によれば、創志学園高は試合の強さだけではなく、立ち居振る舞いにおいても、模範的な野球部としての評価を受けているという。

 

 常に目指しているのは「甲子園基準」。門馬監督は毎晩、翌日の試合を想定してベンチ入り20人、先発オーダーを考えるのがルーティンになっている。練習で部員の動きを事細かに見て、チーム内の現状を整理しているのだ。

 

 センバツ選考委員会は1月26日。開幕は3月18日。創志学園高はいつ、どこでも全力でプレーできる最善の準備で、甲子園球場に乗り込む。試合前、グラウンドインする際のキビキビとした動きを見れば、仕上がりの良さが確認できるはずだ。そんなひたむきなプレーが、甲子園の観衆を味方にする。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第143号

立浪和義がいたPL学園「野球部は解散だ」悲劇から最強チームに…桑田・清原3年時に入学、関係者明かす“タツの素顔”「批判される現状ですが…」

 

2年連続最下位から勝負の3年目を迎える中日・立浪和義監督。どうすれば逆風を追い風に変えられるのか――PL学園時代のエピソードやプロ野球関係者の証言、監督2年間の検証を通して、2024年シーズンの光明を見出してゆく。

 

立浪和義PL学園の同期生である野村弘樹(元横浜)は言う。

 

タツほど正直で、真摯に野球と向き合ってきた男はいません。1年や2年で結果を残せるのなら誰も苦労しない。ここまでの2年間は土を耕し、種をまいてきて、岡林(勇希)のような若い芽がようやく出てきた状況です。結論を出すにはまだ早い。あらゆることが批判されてしまう現状ですが、悲観はしていません」

 

 チームを統率する立浪の原点は、主将を務め、1987年に甲子園の春夏連覇を達成したPL学園時代にある。

 

桑田・清原が3年時…1985年にPL入学

 立浪が同校に入学したのは、1985年だ。当時のPLには、桑田真澄清原和博のKKコンビが3年生として君臨し、4季連続で甲子園に出場中だった。実力、人気共に絶大だったPL学園の最盛期にあたる。

 

 しかし、いくら中学生が入学を希望したところで、誰もがPLの門をくぐれるわけではない。必ずある人物のお眼鏡にかなう必要があった。その男とは、伝説のスカウトと呼ばれる井元俊秀。PL学園の1期生で、初めて同校が甲子園に出場した時の監督である。その後、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の2代教祖・御木徳近の存命中(1983年に死去)に厳命を受けて、中学生のスカウティングを担当し、80年代から90年代にかけて常勝軍団を陰から支えた。

 

 井元は立浪が在籍していた茨木ナニワボーイズに足を運び、エースの橋本清(元巨人ほか)と、遊撃を守っていた立浪のふたりの才能に惚れ込み、PLに導こうとした。井元は言う。

 

タツはとにかく野球が好きなことが伝わってくる中学生でした。身体は大きくなかったし、スローイングにもちょっとした癖があった。だけどグラブ捌きとフットワークが素晴らしく、打つ方でもスイングスピードに加え、ミート力に長けていた」

 

当時スカウト「タツが優れていたのは…」

 PLで常勝軍団を構築したあと、青森山田やノースアジア大明桜(秋田)でもスカウトを担当した井元も、86歳となった現在は高校野球と距離を置く。半世紀以上のスカウト生活を振り返ってみると、立浪よりも守備の上手い選手や身体能力に長けた選手はほかにもいた。

 

「ショートの守備に関してはKKコンビの1歳上にあたる旗手浩二(サッカー選手・旗手怜央の父)ですね。身体能力においては松井和夫(現・稼頭央、埼玉西武監督)に勝る選手はいなかった。松井は高校時代、投手でしたが、175cmほどの身長なのに、バスケットでダンクシュートを決められるほどジャンプ力があり、全身がバネのようだった。タツが優れていたのは野球と向き合う姿勢であり、選手を束ねる人間力だった」

 

 ところが、立浪はナニワボーイズの監督とつながりが深かった大商大堺に進学することが決まっていた。それゆえ、井元も一度は立浪の入学を断念したが、受験間近になって、立浪が翻意する。ナニワボーイズの監督から連絡を受けた井元は「大歓迎です」と伝え、橋本と共に立浪の入学も決まった。

 

「これは断じて言うんだが、決して裏取引のようなものはなかった。PLの練習は全体練習が短く、監督の中村順司(当時)も細かい技術は教えなかった。野球と向き合う姿勢を説いて、練習はやらされるものではなく自らやるものだということを徹底した。だからこそ、全体練習は2時間から3時間ほどで、あとはそれぞれ足りないところを自主練習した。自ら考えて取り組む練習こそ真に身につくということをPLの選手は分かっていた」

 

本人が語っていた「PL時代の思い出」

 当時について立浪は、2018年に行った筆者のインタビューでこう回想している。

 

《当時、PLには選ばれた選手しか入れなかった。そのPLに声をかけてもらったのだから、行くしかないな、と。中学時代の監督には、頭を下げて謝罪しました。入学したPLで、僕らは桑田さん、清原さんらのチームと比較されていましたから、負けられないというプレッシャーは常にありました》

 

3年時に「PL唯一の春夏連覇

 KKコンビが最後の夏に1年時に続く日本一となり、両者はプロ野球の世界へ飛び込んでいく。2歳下にあたる立浪ら33期生にとって悲劇が起きたのは、彼らが2年生だった1986年の6月だ。グラウンド脇にある池で同学年の部員が水死する事故が起きる。井元はその一報を東京で聞き、すぐに大阪に戻った。

 

「野球を愛した2代教祖からは、『世の中の人に迷惑をかけたら野球部は解散だ』と言われていた。親御さんから預かっている部員が亡くなるということは、当然、チームを預かる我々の責任であり、解散の危機であり、現代であれば大きな社会問題となったでしょう。ただ、ご遺族に『これからの野球部の活動に影響がないように』というご理解とご配慮があった。そこで池の脇に碑を建て、活動を再開したのです」

 

 現在の感覚からすれば、学校側の対応に問題があったことは否めない。だが井元は「仲間を失ったことで立浪の代は一致団結した」と当時を振り返る。立浪と同期生の野村も同じ意見だ。

 

「事故が起こった当初、高校2年生ですから、正直言うと、人が亡くなるということの実感がなかった。仲間が亡くなったということを受け入れるとか、受け入れないではなく、信じられなかった。しかし、僕らが最上級生となってからは、試合中に苦しくなると亡くなった仲間のことを考えていたし、同期の背を押してくれた部分はあると思います」

 

 

 

 


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高校野球あれこれ 第142号

どこよりも早い!

来春のセンバツ甲子園で注目したい逸材3名

 

マチュア担当記者が推す来春センバツの注目選手

 

 球春到来が遥か遠く感じる年の瀬とはいえ、高校球児は選抜出場を逆算した調整を進めている。

 

 秋の日本一を決める11月の明治神宮大会高校の部では、星稜が32年ぶり3度目の優勝を果たした。

 

 開幕時点では来秋ドラフト候補に挙がるような注目選手が少ない印象を受けていたものの、終わってみれば選抜での再会が楽しみな選手が数多くいた。

そこで今回は、来春の選抜出場を確実にしている明治神宮大会出場校から甲子園で注目したい選手を“どこよりも早く”を紹介したい。

 

 

豊川・モイセエフ・ニキータ/2年/外野手/左投げ左打ち

 

 今秋の明治神宮大会で最も知名度を上げた選手がモイセエフだった。

 

 高校通算13本塁打の打力だけでなく、走攻守三拍子そろった外野手だ。

 

 明治神宮大会初戦の高知戦では、6回一死一・二塁で好右腕・辻井翔大のスライダーを右翼線へ運ぶ適時二塁打、5―6の9回一死一・三塁では確実に右犠飛を決めて延長戦に持ち込む勝負強さを見せた。

 

 星稜との準決勝では0―1の初回二死無走者から高め直球を右翼ポール際への同点ソロにする長打力も披露した。

 

 さっそくNPBスカウトも騒ぎ始め、視察した中日の清水昭信スカウトからは「(今大会の中で)打力は頭一つ抜けている。順調に成長しているし、楽しみです」と高評価を受けた。

 

 愛知出身で両親はロシア人。少年野球時代から全国大会に出場した好素材とはいえ、注目を集め始めたのは今秋からと言ってもいいだろう。

 

 中学卒業時点で体重66キロの細身でパンチ力が備わっていなかった。

 

 高校から本格的に肉体強化に取り組み、身長180センチ、体重82キロと体格が変わった。

 

 すると、高1終了時点で0本だった高校通算本塁打は、神宮大会終了時点で13発にまで積み上げた。

 

 「高卒でのプロ入りが目標です。(ソフトバンク)柳田選手のような豪快なスイングで楽しませられる選手になりたいです」

 

 今秋の東海大会決勝では愛工大名電が外野4人態勢を敷いたほどに打力の成長は著しい。今冬の成長次第では、来春選抜で誰もが知る話題の選手になり得る可能性も秘めている。

 

 

星稜・佐宗(さそう)翼/2年/投手/左投げ左打ち

 

 明治神宮大会優勝に導いたエース左腕は、夏から秋の短期間で飛躍的な成長を印象づけた。

 

 元々、経験は豊富だった。

 

 1年夏から甲子園で登板し、今夏の甲子園では敗れた初戦の創成館戦に2番手として登板して、4回2/3、2安打無失点と好投した。

 

 その投球内容はスライダー、カーブ、チェンジアップ、ツーシームの計4種類の変化球を操りながら打者を翻弄(ほんろう)するもので、夏までは技巧派投手の印象を持っていた。

 

 それが新チーム結成後に直球が見違えるように成長した。

 

 夏の甲子園で137キロだった自己最速は北信越大会で141キロ、明治神宮大会では142キロを計測。登板を重ねるごとに直球の伸びが増した。

 

 明治神宮大会では初戦の広陵戦では本調子ではなく11安打を許しながらも、6失点(自責4)完投勝利で優勝候補を撃破。本領を取り戻して迎えた決勝では、強打の作新学院から8奪三振を数え、6安打1失点での完投勝利を挙げた。

 

 「直球の強さと制球力の向上を意識して取り組んできました。広陵のような打線にも制球さえミスしなければ長打を打たれなかった。ストライクゾーンに投げていければ、球数少なくやっていけるのかなと感じました」

 

 最上級生になった今秋から名門の背番号1を背負う。

 

「競争をしながら、先輩後輩関係なくアドバイスし合えるのが星稜のいいところだと思います。そういう関係性の中で切磋琢磨して、ここまで成長できたと思います」

 

 非凡な才能が来春選抜でついに開花のときを迎えようとしている。

 

 

大阪桐蔭・ラマル・ギービン・ラタナヤケ/2年/内野手/右投げ右打ち

 

 両親がスリランカ出身で、2年夏から最強軍団の4番に座る強打の三塁手である。

 

 今秋の公式戦では計5本塁打と格の違いを披露。明治神宮大会終了時点で高校通算28本塁打を数えたように一発長打が最大の魅力だ。

この非凡な長打力に確実性も備わってきた。

 

 明治神宮大会では初戦の関東一戦で三塁打、適時二塁打と2安打を放って迎えた8回に初球の直球を右中間への2ラン本塁打とした。

 

 1打席目は低めのチェンジアップに空振り三振。今夏までは低め変化球の対応に苦戦していたものの、この一戦では2打席目以降に修正して3安打3打点につなげた。

 

「打席の中で余裕を持つことで、球を捉えられるようになってきました。それで長打が増えたかなと思います。打てるゾーンだけ待っていて低めは見逃す意識で、投手を上から見下ろすようなイメージで打席に立っています」

 

 明治神宮大会の初戦で適時失策となる悪送球を犯したように守備を課題としている。

 

 それでも西谷監督が根気強く三塁起用を続けるのは、期待の大きさに他ならない。

 

 冬の鍛錬を経て、打撃だけでなく守備にも安定感が備わったとき、大阪桐蔭の付け入る隙は限りなく少なくなりそうだ。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第141号

甲子園出場“3回だけ”の新興校から今年は「ドラフト指名3人」のナゼ《5年連続プロ輩出》京都国際高のナゾを追う「最初は部員を揃えるために…」

 

今年も甲子園常連の名門校・強豪校の主力選手がまさかの「指名漏れ」に泣いたプロ野球ドラフト会議。その一方で、甲子園出場はわずか3回だけの京都国際高からは、同時に3人の選手が育成指名され、これで指名は5年連続となる。なぜ、同高の選手はプロ球団から“選ばれる”のだろうか?  その秘密を野球部の小牧憲継監督に聞いた。

 

08年 申成鉉(広島4位)

13年 曽根海成(ソフトバンク育成3位)

16年 清水陸哉(ソフトバンク育成5位)

19年 上野響平(日本ハム3位)

20年 早真之介(ソフトバンク育成4位)、釣寿生(オリックス育成4位)

21年 中川勇斗(阪神7位)

22年 森下瑠大(DeNA4位)

23年 杉原望来(広島育成3位)、浜田泰希(日本ハム育成1位)、長水啓眞(ソフトバンク育成8位)

 

 これは京都国際高校がプロ野球界に輩出した選手の一覧だ。今季オフに戦力外となった選手もいるが、99年に創部された比較的歴史の浅い学校から、これだけプロ野球選手が誕生することはあまり例がない。

 

 しかも近年は今秋まで5年連続で育成も含めてドラフト会議で指名を受けている。チームとしても、21年のセンバツで甲子園に初出場し、同年夏には甲子園でベスト4に進出。今や京都府内の高校野球界の新興勢力ではなく、常勝軍団の気風さえ漂っている。

 

 在日韓国人を受け入れてきた「京都韓国学園」を前身とし、04年から現校名となった。

 

初めて出た近畿大会は初戦で完全試合を食らう

 08年の春の府大会の3位決定戦に勝ち近畿大会に初めて出場したものの、当時の部員は13人だった。小牧憲継監督は当時のことをこう回顧する。

 

「初戦で浅村(栄斗・楽天)選手のいた大阪桐蔭と当たって、いきなり完全試合されました(苦笑)。大阪桐蔭、あらためて強いなと思ったら夏の甲子園で全国制覇しましたからね。ウチはやっと近畿大会に出られた、みたいな感じでしたから」

 

 秋には4人の3年生が引退し、部員は9人となった。「そのうちちゃんと野球ができるのは4、5人」と小牧監督が明かすように、当時は部員不足が悩みの種だった。

 

「あの頃はとにかく試合ができる人数を揃えるのに必死でした。来ても、野球できる子とキャッチボールができる子ってすごく限られるんですよ。

 

 入部しても、打ってサード方向に走るヤツもいたくらいなんです(苦笑)。いずれ甲子園には行きたいとは思いましたが、このグラウンドでこの戦力でと思うと、とても行けるとは思えませんでした」

 

 京都国際は校内のグラウンドが練習場だが、その広さは右翼が約60m、左翼は約70mで、ただでさえ狭い上に、球場特有の扇状ではなく台形に近い少しいびつな形をしている。

 

「大会で勝つことは厳しい。それなら…」

 外野との連係プレーの練習はなかなかできず、公式戦では内外野の間に落ちるポテンヒットが決勝点となり敗れる試合も少なくなかった。

 

「強豪校のサブグラウンドの広さすらないですよ」

 

 そう小牧監督は苦笑する。

 

「だから、大会で勝つことは厳しいと。めぼしい選手を徹底的に鍛えて上手くして、プロまでは行かなくても大学や社会人チームに1人でも送り出していけるようにやってきました。そうすれば入ってくる子の数や質が上がってきてくれるのではないかと思って――」

 

 小牧監督は関大在学中に当時の京都韓国学園OBのチームメイトから声を掛けられ、野球部の練習を手伝ったことが指導者人生の始まりだった。大学卒業後、銀行員の傍ら外部コーチとして指導を続け、07年に教員となって正式にコーチに就任した。

 

 だが、前監督が急きょ退任することとなり、08年より監督として指揮を執ることになった。

 

「当初は前監督が声を掛けていた選手が卒業したら監督は辞めるつもりでした。いつ辞めようか、いつ辞めようかと思ってやってきましたが、だんだん辞められなくなって(苦笑)」

 

 そんな中、出会ったのが同校2人目のプロ野球選手となる曽根海成(現・広島)だった。

 

「曽根は2年上にお兄ちゃんがいて、弟は野球が出来ると聞いていて。性格はやんちゃな上に家庭環境があまり良くなくて、進学という選択肢は考えられなかったんです。

 

 中学生の時にプレーする姿を見て、一線級の名門校に行けるほどではないですけれど、足と肩はそこそこ良い印象でした。ある高校の監督からは“そんな選手を取っていたら一生甲子園には行けんぞ”って笑われましたけれど、当時のウチにしたら十分な戦力だったんですよ」

 

 曽根は、入学後1年夏から三塁手のレギュラーとなり、2年の夏は遊撃手、3年の夏には捕手を務めるほど野球センスは抜群だった。その後、ソフトバンクから育成3位指名を受け、4年目となる17年3月に支配下登録となった。そしてその年のフレッシュオールスターでMVPを獲ったことで曽根海成の名を知る者も多かったはずだ。

 

「あの頃、中学生の時の曽根を知る指導者がみんな驚いていたんですよ。“曽根があそこまでの選手になるなんて”って」

 

曽根の活躍で集まり出した選手たち

 決して素行が良くなかったうえ、ほぼ無名の野球少年が、プロ野球界の第一線の舞台に立ったことは周囲に強い衝撃すら与えた。それから近郊の野球チームには「京都国際に選手を預ければ、ひょっとしたら……」と大きな可能性を期待する指導者も少なくはなかった。

 

「あの頃からですかね。ようやく“野球”ができるようになったのは」

 

 当時、甲子園出場がなかったとはいえ、曽根の躍動する姿が“プロに進むためのノウハウを学べるのかもしれない”と野球少年の心にも刺さっていた。

 

 17年春に入学してきた上野響平(日本ハムオリックス)もその1人だった。

 

「上野はちょうど進路を決めるタイミングだった中学3年の夏に、曽根が二軍とはいえ活躍していたことが決め手になったようです」

 

 派手さはなかったが、小柄ながら抜群の守備力を誇った上野の動きを最後までチェックしていたスカウトも多かった。芯の強さもプロ向きと評価された上野の名は、じわじわと関西圏のドラフト候補生として耳にするようになった。

 

「甲子園よりもプロに行きたい」想いを秘めた選手の存在

 さらに昨年のドラフトでDeNAから4位指名を受けた森下瑠大は「顕著な例です」と小牧監督は言う。

 

「森下がウチを志望したのは、プロのスカウトが普段から練習を見に来てくれると聞いたから、と言っていました。『甲子園よりもプロに行きたい』と1年生の時からきっぱりと言っていましたけれど、ピッチャーですし、『ある程度公式戦で勝たないと評価してもらえないよ』『こんな無名校を甲子園に連れて行くくらいやらんと』って言ったら“じゃあ僕が甲子園に連れて行きます”って、小さい声でボソッと言うたんですね(笑)。内に秘めるものは凄くて、プロに行くなら……とハッパをかけたら、ものすごくスイッチが入っていましたね」

 

 京都国際に入学した当時のストレートのスピードは125km前後。「田舎の子なんで、強豪校に行っていたら圧倒されてたぶんベンチ入りも難しかったでしょう」と小牧監督が話すほど普段は目立った存在ではなかった。ただ、森下は鋭い感性の持ち主でもあった。

 

 小牧監督は続ける。

 

「森下は自分に足りない要素を冷静に分析して自分で計画を立てて、僕がどうこう言わなくても自分で進んで練習していました。冬場の全体練習が終わると一目散に寮に戻ることもありましたが、自分に見合ったトレーニングをちゃんと考えて、これはやるけどこれはやらない、みたいに必要なことだけ取り入れることが当時からできていたんです。段階を踏んで成長してきたし、コイツはプロでも大成するなと思いましたね」

 

 監督が語った歴史のように、これまで少しずつ、しかし確実にプロ球団からの評価を高めてきた京都国際高。そしてついに今秋のドラフトでは、驚きの結果を出すことになる。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第140号

「指名してくれたチームに恩返しする気持ちを持ち続けろ」“球団から必要とされる選手”に育つ花咲徳栄・岩井隆監督の教えとは

 

 花咲徳栄高校は、2015年埼玉西武4位の愛斗から昨年の藤田大清(日本ハム育成ドラフト1位)まで、8年連続でドラフト指名選手を輩出しており、今年は9年連続の記録がかかっていた。

 

ただ、注目すべきはドラフト指名の連続記録だけではない。この間に指名を受けた9選手のうち8選手が今季、1軍の試合に出場しているのだ。2、3年もすれば戦力外になってしまう選手も少なくない中で、花咲徳栄の選手はなぜ「1軍に必要とされる選手」になれるのか。

 

 前編記事『花咲徳栄「9年連続ドラフト指名」なるか…? 「最低でも10年は1軍にいてほしい」岩井隆監督が選手に問う<プロへの覚悟>』より、岩井監督がずっと取り組み続けている教えを伺った。

 

「プロはすべてを見ている」

岩井監督が口酸っぱく言うのが、野球に取り組む姿勢だ。

 

 「スカウトはそこを一番、重視してますからね。いつ見ても、手を抜かないで、コンスタントに全力でやっているか、と。凡打の時に走るスピードを緩めるようでは、プロを目指す資格はないと思います。

 

 1塁到達タイムも毎回、スカウトの方は計っているんですから。プレーだけではなく、試合前のアップも、ノックも全て見ています。いつも全力を尽くすのは当たり前のことですが、継続するのは容易くありません。

 

 でも、高校でそれができないようでは、プロで1シーズン、143試合を戦い抜くことはできないでしょう。それにプロになれば、お金を払ったお客さんが見ています。たまたま観戦した試合で、ほんの少しでも緩んだプレーを目にしたら、どう感じるか…そういう話もしますね」(岩井監督、以下「 」内は同)

 

 最終的には「自立」をしてほしいと考えている。これはプロを目指している選手に限らず、全部員に望んでいることだが、「高卒」でプロ野球に「就職」する選手には、より早い自立を求めている。監督に言われたからやるような選手は、到底、プロでは通用しない。プロは「部活」ではないからだ。早く自立することは、プロの第一線で早く活躍することにもつながる。

 

選手の「自立」が試されるのは新人合同自主トレ初日

 選手が自立しているかどうか、最初の試金石になるのが、スカウトを含めた大勢の球団関係者が見守るなかで行われる、新人合同自主トレの1日目だ。動きを見れば、ここまでどんな取り組みをしてきたか、すぐにわかってしまう。

 

 なかにはトレーニングについていけない選手もいるが、花咲徳栄の選手は悠々とこなす。高校野球引退後から、ドラフト指名後も浮かれることなく、プロを見据えてトレーニングを続けてきたからだ。これは代々の先輩の姿から引き継がれてきた花咲徳栄の「伝統」でもある。

 

 「万全な状態で新人合同自主トレに臨むのは、むろん自分のためですが、担当してくれたスカウトのためでもあります。大会だけでなく、学校のグラウンドまで足を運び。思いを持って採った選手が、初日についていけなかったら、どう感じるか。中途半端な気持ちでプロ初日を迎えてはいけないと思います」

 

プロ野球の球団は「組織」

 岩井監督はこんなエピソードを披露してくれた。

 

 「中日の清水は初日を終えると、トレーナーさんに『こういうトレーニングをしたいのですが、どんなメニューがありますか? 』と、質問したそうです。担当スカウトの方は『そんな新人は初めてだと、球団関係者も驚いてました』と伝えてくれたんですが、それを聞いた時は嬉しかったですね。試合でヒーローになったという一報よりも嬉しかったです」

 

 スカウトの間からは「花咲徳栄の選手は安心して指名できる」という声がよく聞かれるという。選手が自立していることも「8年連続」の1つの要因なのだろう。

 

 プロ野球チームは個人事業主の集まりである。ほとんどの選手が1年契約で、結果を残さなければ、翌シーズンの契約は結ばれない。ただ、岩井監督は、いろいろな球団のスカウトと接するなかで、プロ野球の球団は組織色が濃い、という認識に至ったという。

 

 「実力の世界ではあるものの、日頃の行動や発言、チーム内の人間関係をしっかりチェックしているんです。そういうなかで、長く野球をしたい、長く同じ球団にいたいのなら、野球だけでダメなんです。指名された時には、成績が上がっても、いまのこの感動を、感謝の気持ちを忘れるな、と伝えます。指名してくれたチームに恩返しする気持ちでやること、それが長くやるためのベースになるからです」

 

 岩井監督は、球団が組織だからこそ、流されてはいけない、とクギも刺している。

 

選手ではなく「人材」を育てる

「チーム内に○○派というのがあっても、そこには属するな、と言い聞かせます。もし○○派のトップがいなくなったら、どうなるか…自分の居場所がなくなりかねません。誰かに付いていくことに活路を見い出すのではなく、ぶれずに目の前のことを一生懸命にやりなさい、と。必ず見てくれている人がいますからね」

 

 もちろん、教え子のプロでの活躍を願っている。手塩にかけてプロへ送り出した選手はみんな、成功してほしい。ただし、勝負の世界では、いい時ばかりではない。大事なのはむしろ良くない時で、人は良くない状況になった時こそ真価が問われる。

 

 「そこですね。たとえ2軍に落ちてもふてくさらずにやっていれば、チームに好影響を与えます。すると、選手から『人材』になっていくんです。人材になれば、球団からも認められ、長く野球をすることができます。教え子がプロで人材になってくれたら、それこそ指導者冥利に尽きますね」

 

 岩井監督は続ける。

 

「プロを選んでよかった」そう思ってもらえるように

 「オリックスの若月がまさにそうですね。最優秀バッテリー賞を2回、受賞していますが(2021と2022。投手はいずれも山本由伸)、球団から評価されているのは、投手を勝たせたい、という献身的な姿勢であり、強い体であり、我慢強さだと聞いています。入団後の10年で、1軍で749試合に出場しているのも、人材として認めてもらっているからだと思います」

 

 今年は「9年連続」がかかる。花咲徳栄からは高橋一英投手と、小野勝利内野手の2人の3年生がプロ志望届を提出している。

 

 ドラフトはある意味、1つのお祭りだ。指名されれば、お祝いムード一色になる。プロを目指してきた者にとっては大きな区切りになるが、決してそれがゴールではない。

 

 大学に進んで安定した仕事に就くという別の人生もあったなか、プロ野球選手を選んだ。それが、本人にとっても、球団にとっても良かったと思えますように…岩井監督は教え子が指名されるたびに、名前を呼ばれた選手と握手をしながら、そう念じるという。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第139号

九州王者・熊本国府の強さの秘密は指揮官のトラウマ? 神宮で全国レベルを経験し、満を持して初の甲子園へ

 

秋の九州王者となり、初のセンバツ出場をほぼ確実とした熊本国府。手堅いゲーム運びの裏側には、指揮官の苦い経験がある 

山田監督が甲子園で犯した拭い去れないミス

「じつは僕、やらかしているんですよ」

 と語るのは、2023年秋の九州大会を制し、来春のセンバツ出場を決定的なものにした熊本国府の山田祐揮監督だ。

 熊本工を卒業し、近大でもプレーした30歳の若き指揮官。高校2年時の2009年夏には、背番号17を付けて甲子園の大舞台も経験している。そんな山田監督が“やらかした”のは、三重と対戦した甲子園初戦のことである。

 1回表、熊本工は2点を先制した。この時サードコーチャーとして腕を全力で回しながら、ふたりの走者をホームに生還させたのが当時2年の山田監督だった。ところがその裏、レフトでスタメン出場していた先輩選手がミスを犯したことにより、山田監督は急遽レフトの守備に就くことになった。

 まさか初回から出場するとは思ってもみなかった。そのうえ、言い渡されたのが急すぎたため、キャッチボールもしないまま出ていってしまう。その直後、山田監督は目の前に転がってきた球脚の速いレフト前打をファンブルし、二塁ランナーの生還を許してしまったのだ。

「相手の応援が凄くて、音圧と歓声にやられてしまいました。初めて声で押されている感を味わいましたね。とくに僕がエラーをした直後が一番凄かったですけど(笑)」

 現役時代の山田監督はバッティングが好きで、守備練習はハッキリ言って大嫌いだった。内心“面倒臭ぇな”と思いながら、毎日ノックを受けていたのだという。そんな選手が、いきなり守備から試合に入ることになったのだ。しかもそこは甲子園で、相手のアルプススタンドとは目と鼻の先のレフトの守備位置だ。

「めちゃくちゃ緊張しました。当然ですよね。普段から真面目に練習していないのですから。“飛んでくるなよ”と祈りながら守っていましたが、やはり代わった選手のところに打球は飛んでくるものです。その後も、失点には繋がらないエラーをもうひとつ犯してしまい、試合中盤で交代を告げられました。途中出場のレフトがふたつのエラーを記録するなんて、あまりないことですよね。僕のファンブルのせいで3年生の夏を終わらせてしまったのですから、僕にとっての甲子園はいまだに“悔いを残した場所”でしかないのです」

「一球一球を大切に守る」ことを身上に

山田監督の信念をベースとした、徹底した守備力の強化が秋の九州大会での快進撃につながった 

 山田監督は近大を卒業後、日南学園(宮崎)でコーチ・寮監を務め、在籍した4年間で夏2回、春1回の甲子園を経験した。その後、熊本国府に転籍し、21年秋に監督となった。その後も日南学園金川豪一郎監督とは練習試合を盛んに行うなど交流が続き、数々のアドバイスも受けている。

 日南学園を春夏通算5度の甲子園に導いている金川監督に「指導の引き出しを増やしていただいた」と感謝する一方で、やはり現在の熊本国府は、山田監督自身が甲子園で味わった苦い経験がチーム作りの基となっている。

「準備することと、守備への意識。とくに守備に関しては徹底して指導しています」

 学校から車で片道40分と離れた場所にグラウンドがあるため、平日の全体練習は2時間ほどしか確保できない。しかし、山田監督はそのうちの約8割の時間を守備練習に割いているのだ。

「選手の中には“もういいよ”と思っている者がいるかもしれないし、守備が嫌いになった者もいるかもしれません。ただ、それぐらいやっておかないと、本番で“飛んでくるな”と思いながらミスをする選手になってしまうのです」

 秋の九州大会は4試合で失策は3。うちふたつが失点に絡んだが、それ以上に取れるアウトをきっちりひとつずつ積み重ねていく堅実さが目立った。準決勝で神村学園、決勝は明豊と、優勝候補と目された甲子園の常連校を立て続けに撃破。準決勝は変則左腕・植田凰暉(2年)が持ち味を発揮し9回までに16個のゴロを打たせて1失点で完投した。10安打を浴びながらも、27個のアウトを着実に取り切った。決勝も低めを丁寧に突く坂井理人(2年)の投球が、ショートの山田颯太(2年)を筆頭に野手陣のリズムを盛り立て、捕球・送球ともに安定した守備を引き出したのだった。

「一球一球を大切に守ることだけに集中しました。坂井が頑張っていたので、しっかり守ってやろうと思いました」と語ったのは、4番の中嶋真人(2年)だ。準々決勝(大分舞鶴戦)の7回に同点打、準決勝で逆転打など、打線のヒーローとなった中嶋のコメントに、九州王者・熊本国府の強さが集約されていると言っていいだろう。

15年越しのトラウマを払拭した先にあるもの

秋の九州大会決勝は坂井理人の低めを突く投球が、野手の好守を引き出した。 

 初めて臨んだ明治神宮大会は、東京王者の関東一に2-6で敗れた。初回、無死二塁の場面でショートの山田がゴロの処理を誤ってしまう。その失策の後、無死1・3塁から次打者のショートゴロの間に先制点を許してしまった。

 山田監督は「慣れない人工芝特有の、低く球脚の強いゴロだった」とかばうが、結果的に「初回のミスは失点に絡むことが多い」という定説を実証するプレーとなってしまった。指揮官自身が現役時代に甲子園で犯した、あのプレーのように。

 しかし、山田監督が「それ以上に痛かった」と悔やんだのが、0-1の5回二死2塁から代打・堀江泰祈(2年)の適時三塁打で喫した2点目だった。

「あの回をゼロで凌げば、九州大会のような終盤勝負の展開に持ち込めたはずなんです。やはりすべてにおいて、全国大会はレベルが違いました」

 九州大会では「失点しても、次の1点を与えない野球」を実践し、頂点に立った。準決勝の神村学園戦は押し出しで1点を先制されながら、追加点を許さず9回1失点で快勝している。また、決勝の明豊戦も1点を返された最終回に後続をしっかり打ち取り、波状攻撃を得意とする相手の反撃を凌ぎきったのだった。

 関東一戦も初回にミスが絡んで失点した後、さらに走者を残して高校通算41本塁打の強打者・高橋徹平(2年)を打席に迎えている。一気に試合の流れを持っていかれてもおかしくない状況の中で、先発投手の坂井を中心に熊本国府はなんとか1点で乗り切った。それだけに「5回を0-1のまま折り返せていれば、九州大会と同じような展開に持っていけたはず」という山田監督の言葉に実感がこもる。

 とはいえ、実りの秋を終えた熊本国府に、学校初となる桜満開の春のセンバツが訪れるのはもう間違いない。安定した守備力で九州の頂点に立ち、神宮では全国レベルを肌で感じ取ることができた。この経験を糧にしたナインが勝利の校歌を甲子園に響かせる時、山田監督の「15年越しのトラウマ」も、ようやく払拭されることになる。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第138号

近畿大会3連覇の大阪桐蔭に、またも怪物級投手が出現! あのドラフト1位投手と同じ軌跡を辿る!

大阪桐蔭の189センチの大型右腕・森は、先輩の前田と同じ軌跡を描く

 秋の近畿大会で、史上初の3連覇を達成した大阪桐蔭にまたも逸材が出現した。189センチの大型右腕・森陽樹(はるき・1年=タイトル写真)だ。初戦の高田商(奈良)との試合で3番手として登板すると、自己最速の151キロをマークした。

報徳との大一番でも151キロ

 森の進化は止まらず、センバツを懸ける大一番となった報徳学園(兵庫)との準々決勝では、1点差に迫られた8回から登板すると、2回をパーフェクトに抑え、4つの三振を奪った。

 

報徳最後の打者、4番の齋藤佑征(2年)を三振にうち取った森。西谷監督は「粗削りだがスケールの大きな投手。大きく育てたい」と逸材に期待を寄せる(筆者撮影)
報徳最後の打者、4番の齋藤佑征(2年)を三振にうち取った森。西谷監督は「粗削りだがスケールの大きな投手。大きく育てたい」と逸材に期待を寄せる

 

 「一番大事な試合で抑えられて自信になった」と話す森は、この日も自校のスピードガンで151キロが複数回、出ていて、西谷浩一監督(54)も「ナイターになったので、(球が)速い方がいいと思った」とスーパールーキーの活躍に満足そうだった。

近畿大会決勝では7回無失点

 公式戦では救援登板しかなかった森だが、京都外大西との近畿大会決勝では先発のマウンドにも立った。テスト登板とも言えたが、日の出の勢いの森は、西谷監督の期待をはるかに上回る7回を投げて、3安打無失点。9つの三振を奪った。わずか85球で7回を投げ切っていて、大型投手にありがちな制球面の不安も見当たらない。8回に1点を失い、9回も一打逆転のピンチを招いたエース・平嶋桂知(2年)が霞んでしまうようなパフォーマンスだった。

宮崎の中学時代は軟式球で143キロ

 森は宮崎県北部の延岡市出身で、中学時代は軟式野球の部活をしていた。この段階ですでに143キロが出ていたというから恐れ入るが、大阪桐蔭入学後、間もない6月の享栄(愛知)との練習試合(バンテリンドーム)で146キロに更新。そして新チームになってすぐの、それもセンバツを懸けた大事な試合で150キロを超えた。「硬式球の方が重くて投げやすい。指先を意識して投げるようにしている」と話し、スピンのきいた速球を投げ込んでいる。

「高校で160キロが目標」ときっぱり

 西谷監督が「おっとりしている」と評するように、森は童顔で、話していても穏やかな印象を受ける。しかし「佐々木朗希さん(ロッテ=22)のように、高校で160キロを出して、ドラフト1位で指名されたい」と、目標をはっきり口にした。近畿大会3試合で10回無失点の投球は、一昨年の秋に鮮烈デビューした前エース・前田悠伍ソフトバンクからドラフト1位指名)に重なる。

前田も秋に鮮烈デビューしていた

 前田は大阪大会の終盤から主戦級にのし上がり、近畿大会優勝の原動力となった。西谷監督をして「教えることは何もない」と言わしめた前田は、紆余曲折あったにせよ、ドラフト1位という最高評価を得てプロの世界へ巣立つ。

 

ドラフト1位指名を受け、同級生たちから祝福される前田。森は「前田さんのように1位で指名されたい」と再来年の秋を見据える。前田からは「変化球の握り方などを教えてもらった」そうだ(筆者撮影)
ドラフト1位指名を受け、同級生たちから祝福される前田。森は「前田さんのように1位で指名されたい」と再来年の秋を見据える。前田からは「変化球の握り方などを教えてもらった」そうだ

 

 ここまでの森は、まさに前田と同じ軌跡を辿っている。この先は、15日開幕の明治神宮大会、そして来春のセンバツが待っている。前田はそのいずれでも頂点に立っていた。目標の再来年秋までに、前田を上回るような結果を残すことはできるのだろうか。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第137号

来春も近畿は難航必至? 報徳、近江、履正社、須磨翔風が線上! 抜け出すのはどのチームか?

激戦が繰り広げられた近畿大会。大阪桐蔭と報徳は僅差の試合になった

 神宮大会も終わり、高校野球はオフシーズンに入った。8日にはセンバツ21世紀枠の最終候補9校が発表される。同時に一般枠当落線上のチーム関係者は、やきもきしていることだろう。選考で、毎年のように難航するのが近畿地区。今回も線上は力のあるチームが多く、選出枠「6」を巡って議論百出が予想される。

当落線上は報徳、近江、履正社、須磨翔風

 まずは、秋の近畿大会の結果をおさらいしておく。優勝は大阪桐蔭で、3連覇は近畿大会史上初めての快挙。続いて京都外大西が僅差で準優勝に輝いた。4強は京都国際耐久(和歌山)で、創立170年を超える伝統校・耐久の健闘は話題になった。そして、準々決勝で敗退した4校が、残る2枠を争うことになる。試合順に報徳学園(兵庫)、近江(滋賀)、履正社(大阪)、須磨翔風(兵庫)がその候補である。

近畿は準々決勝の試合内容重視

 選考において最も重視されるのは、試合内容だ。特に近畿では、準々決勝のウエイトが高く、さらに初戦の内容、府県大会の結果、対戦相手の勝ち上がりなども加味される。今回の兵庫のように、8強同時敗退の場合は、府県大会まで掘り下げて議論される可能性がある。同時に、できるだけ多くの県から出られるように、評価が同等とされた場合は、それまでに選んでいない県のチームが優先される。これは昨春、聖隷クリストファー(静岡)が不選出になって大問題となった際、ガイドラインが発表され、その中で「複数の学校の評価が並んだ場合、できるだけ多くの都道府県から出場できるよう地域性も考慮する」と明記されている。これらを踏まえて、各校の秋の戦いぶりを振り返りたい。

報徳は間木と今朝丸の強力右腕2枚が看板

 組み合わせが決まった段階から「事実上の決勝」と言われた大阪桐蔭との準々決勝で敗れた報徳は、今春センバツ準優勝に貢献した間木歩(2年=主将)と今朝丸裕喜(2年)の強力右腕2枚が健在。揃って安定感、経験値とも抜群で、先発、救援も問わない。ただ、スコアは3-4だったが、安打数は大阪桐蔭の11に対し、わずか4本に抑えられたように、前チームに比べると攻撃面での課題は残る。特に、救援した大阪桐蔭の剛腕には完全に力負けしていた。県大会では、準決勝で社、決勝で須磨翔風を退けていて、県1位のアドバンテージもある。

近江の西山は抜群の制球力誇る

 近江は伝統の投手力が健在で、夏の甲子園でも好投した右腕の西山恒誠(2年)の安定感が際立つ。興国(大阪)との初戦を76球の3安打完封で飾ると、京都国際戦も2試合連続のゼロ行進となった。しかし味方が援護し切れず、99球目をサヨナラ打されて、近畿大会初失点で散った。スライダーを投げ分け、直球の最速も夏から3キロ増して143キロまで上がった。敗戦後に「最後は下半身に疲れが出た」と話したように、冬場に鍛えればさらに力強くなるだろう。課題は得点力で、安打の割に点数が少ない。ただ、県大会は圧倒的な強さで優勝している。

完敗の履正社は実力を評価されるか

 履正社は言わずと知れた「大阪2強」の一角で、今夏は大阪桐蔭を破って甲子園でも活躍した。秋は大阪桐蔭に1点差負けしたが、近畿大会では滋賀学園投手陣の乱調につけ込み、危なげなく初戦を突破した。しかし、勝てば4強という京都外大西との準々決勝は意外な展開。頼みのエース・高木大希(2年)が連打を浴び、味方の失策も重なって2回までに6点を失った。終盤に追い上げて、最終スコア7-10まで持ち直したが、あわやコールドという窮地もあった。実力を評価する声はあるだろうが、内容的には乏しかったと言わざるを得ない。

須磨翔風は甲子園未経験の公立

 須磨翔風は初戦で奈良1位の智弁学園タイブレーク勝ちしたが、連戦となった耐久との準々決勝では守備陣が崩れて、報徳を上回る4強入りを逃した。秋の公式戦を一人で投げ切ったエース・槙野遥斗(2年)が大黒柱で、選考会でも高い評価を受けるだろう。いわゆる剛腕タイプではないが、走者を背負ってからの投球が身上で、粘り強い。智弁戦では強打線を9回まで3点に抑えたが、耐久戦では守備陣が乱れて主導権を渡した。攻撃面では4番がスクイズするなど堅実で、投手力に自信を持つ表れか。甲子園未経験の公立校強豪撃破などをどこまで評価されるか、注目したい。

来春センバツで当てになるのは投手力

 今秋の近畿大会は投手力のいいチームが目立ち、15試合でコールドはなし。逆にタイブレークと1点差決着が計8試合と過半数だった。来春は、低反発の新基準バットが導入される。投手力のいいチームにとっては大歓迎の改革で、近畿の当落線上4チームはそれに該当する。選考会では、例年よりも投手力を主眼に議論されるかは不透明だが、数字を判断材料にするなら、来春は攻撃力よりも投手力の方が当てになるはずだ。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第136号

「154キロ右腕」大阪桐蔭・平嶋のこれから 憧れの前田悠伍のように、日本一を目指せる投手へ

 
 

少しずつ経験と自信を積み重ねる大型右腕

186センチの大型右腕・平嶋は少しずつ経験と成長を重ねている 

 ストレートの自己最速は何キロ? と尋ねられるたびに、大阪桐蔭の背番号1を背負う平嶋桂知(2年)は苦笑いを浮かべながら、申し訳なさそうにいつもこう返答していた。

「154キロ…です。今年の夏(の大会)前の練習試合で出ました」

 186センチ、84キロという体格から見ても、何か大きな期待を抱かずにいられない大型右腕だ。昨秋の近畿大会準決勝の龍谷大平安戦で4番手投手として公式戦デビューを果たすも、一死も取れずに降板した苦い経験を持つ。今春の大阪大会で、当時のエース・前田悠伍(ソフトバンク1位指名)がベンチを外れたことで登板機会が多く巡り、着実に経験を積んできた。

 今夏の大阪大会でも準々決勝の大体大浪商戦で先発し、5回まで無安打ピッチングを披露。6回に初安打を許し、そこから2失点した。「後半はバテてしまって、コントロールが悪くなった」と試合後は反省の弁を述べたが、1年前の秋の悔しさを糧に、夏の大事なマウンドを任されるまでになった。

 今秋からエース番号を背負うが、実は打撃の良さにも定評があり、登板のない試合は外野手として中軸を打つことも多かった。投手では珍しい右投両打で、中学時代は両打席でホームランを放ったこともある。

 だが、今秋からは投手に専念。近畿大会の初戦・高田商戦では先発のマウンドに立ち、6回を投げ3安打無失点と好投した。2回と5回に走者を三塁まで進めるピンチがあったが、低めのツーシームでいずれも空振り三振に仕留めてピンチを脱した。この日のストレートは140キロ台後半をマークし、エースらしく自信を持って投げているようにも映った。「(前エースの)前田さんから『お前が引っ張っていけよ』って言われていたんです」と話すように、堂々と投げ込む姿が印象的だった。

神宮3連覇を逃し「現時点の自分では通用しない」

悔しさの残るマウンドとなった神宮大会。この経験を来年の日本一につなげられるか 

 平嶋は東京都中野区出身。中学時代は稲城シニアでプレーし、当時から大阪桐蔭に憧れを抱いていた。関東圏にも魅力のある強豪校は多いが、「大阪桐蔭で甲子園に行きたい」と地元を離れて大阪へやってきた。入学直後は関西弁に圧倒され、慣れない地での生活に不安もあったが、徐々に慣れていき、今では大阪の雰囲気にも違和感を覚えなくなった。

 3年連続で秋の近畿大会を制し、明治神宮大会は“里帰り登板”が楽しみのひとつでもあった。だが、初戦となった準々決勝の関東一戦では初回に先制を許し、3回には真ん中に入ったカットボールを捉えられ、2ランを被弾。5回を投げ4失点と、課題の制球が安定しなかった。味方の失策による再三のピンチも、自らのピッチングで抑え込むことはできなかった。

「他のマウンドと違って投げやすさはありました。状態はいつもよりいい状態でブルペンに入れたんですけれど、球が上ずってしまいました。気持ちは入っていましたが、結果に結びつけられませんでした」

 慣れない雨上がりの人工芝での野手陣のエラーについては「緊張ではないけれど少し固くなった選手もいたのかも」と味方をかばった。それよりも、自分のピッチングに不甲斐なさだけが残った。

関東一高は簡単にアウトにならなかったです。追い込まれても粘ってくるし、逆方向にいやらしいバッティングをされました。それを嫌がらずに投げられるようにしないといけないです。

 相手のレベルが上がると、簡単に打ち取れない部分も多いですし、球が少し甘くいっただけで打たれてしまう。ここで抑えたいというところで抑えられるピッチャーになりたいです」

 明治神宮大会は史上初となる3連覇がかかった大会でもあった。新チームがスタートした直後は、「秋3連覇」という目標を掲げてきた。だが、現時点の自分ではまだ通用しないことを、身をもって感じた。

「チームとしてもこのままでは春の日本一になれないので、もっとレベルアップしていかないといけないです。コースに投げ切った球はしっかり抑えられたし、自分のペースで投げていけば抑えられると思いましたが、個人としては真っすぐも変化球も、もっと精度を上げていきたいです」

 平嶋の目線の先には前田の背中が常にあった。身近な目標でもある前田のような、どんなに調子が悪くても抑えられるエースが理想だという。

「そのためにも、僕がしっかりしないとチームはひとつにならない。練習ではできても試合でできなかったら意味がないと西谷先生(浩一監督)にも言われたので…。この冬は成長したい…いや、します」

 柔らかい口調の中で、最後の言葉には確かな力がこもっていた。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第135号

日本ハム】ドラ1大学ナンバーワン左腕・細野晴希 即戦力ではなく1年目は「育成専念」のなぜ

 

あくまで将来を見据えての「熟成」なのだろう。日本ハムのドラフト1位・細野晴希投手(21=東洋大)が球団側から破格とも言える「長期育成プラン」を打ち出され注目されている。

 

 大学ナンバー1左腕の呼び声が高い細野は17日に東洋大・白山キャンパス内で球団スカウトらと入団交渉を行い、契約金1億円プラス出来高、年俸1300万円(金額は推定)で仮契約に合意した。

 

 その後、会見に臨んだ細野は笑みを浮かべながら「これからプロの世界でやるんだという気持ちが強くなってきた。(球団側から)最終的にすごい選手になってもらいたいと言われたので。モチベーションが上がったというか、やってやろうという気持ちが強くなった」とプロでの意気込みを語った。

 

 最速158キロに加え多彩な変化球を持ち合わせる大型左腕。そんなドラ1投手であれば通常はプロ1年目から「即戦力」として先発ローテーション入りが期待される。だが日本ハムには意外にも、その青写真がないという。一体なぜなのか。細野の潜在能力を最大限に引き出し、最終的に日本を代表する大型投手に成長させたい球団側の意向があるからだ。

 

 細野はドラフト前から「直球の威力は抜群もコントロールが…」と周囲から言われるように制球難が課題。実はこの点が「外れ外れ1位」というドラフトでの評価につながった。球団側もそんな細野の弱点を把握済み。とはいえ、制球難さえ克服すれば直球の威力を含め世界で戦えるほどの逸材とみている。だからこそ大卒にもかかわらず、あえて即戦力ではなく長期育成プランで入念に育てたいというのだ。

 

 この日、細野の会見に同席した大渕GM補佐兼スカウト部長もこう話す。「もう一度整理して育成プランを立てようと思っています。そういう話は本人としました。あなたが登っている山(目標)は大きい山だから、別に焦って登らなくていいよ、と。中途半端に即戦力になることもできるけど、もっと大きく育てるために今は使わなくていいのかな、という考えもあるので。(将来的に)日本代表で戦う投手だと思いますからね」

 

 細野はこの日の会見でプロ1年目の目標を聞かれ「ドラフトで他の東都のメンバーたちが呼ばれていくのを見て悔しい思いがあったので。少しでもチームに貢献できた結果が新人王であったりタイトルにつながれば」と述べ、ルーキーイヤーからの躍進に意欲を燃やしていた。しかしながら、まずは焦らず課題克服とプロ仕様の体作りに全力を注ぐことになりそうだ。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第134号

球速120キロ未満→158キロ“ドラ1”へ 未来を見据えた指導…育成年代に必要な“見極め”

 

恩師が語る東洋大・細野晴希投手の中学時代…まずは“食べる努力”から

先月26日のドラフト会議で、日本ハムから1位指名を受けた東洋大・細野晴希投手。今ドラフト候補で最速の158キロを投じる左腕だが、東海大菅生中等部時代は体が小さく、球速も120キロに満たないピッチャーだったという。“ドラ1”の剛腕として名を馳せるようになるまでの過程には、本人の努力と共に、成長度合いに個人差が大きい中学年代における監督の“見極め”と、適切な指導があった。同中等部・軟式野球クラブの村上晋監督に話を聞いた。

 

小学2年で野球を始めた細野が、中等部に入学しクラブの門を叩いたのは、2014年4月。村上監督は第一印象を、こう振り返る。

 

「持ってきたのが青色のグラブだったんです。随分、マニアックなだと(笑)。あと、身長の割に足がとても大きかった。それがすごく印象的でしたね」

 

 マウンドさばきやキャッチボールの柔らかさなどには、天性のものがあった。とはいえ、現在では180センチ、86キロの体格も、入学時は146センチ、42キロ。高等部の野球部部長として春夏3度の甲子園を経験し、2002年からは中等部の顧問として、育成年代を見つめてきた指揮官は「今じゃないな」と感じたという。

 

「今やらせたら、体が壊れてしまう。まずは体づくり優先。だから球数も放らせず、試合でもほとんど投げさせることはありませんでした」

 

 高校野球以降を見据えて、できることに取り組ませる。足の大きさから、「絶対に体は大きくなる」という確信はあったため、まずはきちんと食べさせることから指導した。栄養摂取もトレーニングの一環。余った給食も用意し、どんどん“食べる努力”に取り組ませたという。その甲斐もあり、入学から1年半で一気に165センチ、55キロにまで体は成長した。

 

 体ができてくれば、あとは細野本人の持ち前の「向上心」がある。どこか飄々としていてマイペースなところもあったというが、「当時から意識が高く、研究熱心だった」と村上監督。投球フォームやボールの角度の付け方などを試行錯誤をしながらものにしていき、鋭く縦変化するドロップなどは「教えてできるものではない、人にはないものを身につけていた」という。

 

「諦めずにやっていけば、結果は必ずついてくる」と細野

また、球数は投げない分、牽制の練習はどんどんさせた。それが、のちに高校、大学で、試合の流れを変える牽制アウトを幾度もとり、評価を高めた技術につながっていく。結局、背番号「1」を着けたのは中3最後の大会だけだったが、プロにつながる土台は着々と築き上げられていったのだ。

 

「これは自分にとってプラスになる、ということが自分で判断でき、努力ができるタイプでしたね。だから、普段の学校生活でもブレませんでした。マイペースなので、ちょっと遅刻しそうになることはありましたけど(笑)、成績も良かったですし、他の先生方も『細野は違ったよね』という話をしますね」

 

 東亜学園高では3年夏に都大会初戦敗退を喫する苦い経験も味わったが、東洋大では1年秋から“戦国東都”でデビューを果たし、今春には2部で5勝0敗、防御率0.82の快投で、1部昇格の立役者に。その間に球速も着実に伸びていき、8月28日に東京ドームで行われた「侍ジャパン」U-18代表との試合で、ついに158キロをマークするまでになった。

 

「“158”を投げるようになるなんて、全く想像もつきませんでしたね。プロに行くという目標は当時からあったのでしょうが、そのためにも『速い球を投げる』という自分の中でのイメージがあり、それに向けてトレーニングをしていった。いろんな経験をしながら、階段を少しずつ上ってきた彼の努力があったからだと思います」

 

 細野本人も「中学の頃は結構、小さかったですけど、体の大きさは正直、関係ない。諦めずにやっていけば、結果は必ずついてくるということを(子どもたちに)伝えたいですね」と語ってくれた。現在でも、時間があるときに母校のグラウンドに顔を見せにくることがあるという。プロの夢をつかみ取った先輩の姿は、未来に向かう後輩たちへの、何よりの励みとなるに違いない。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第133号

大阪桐蔭にビックリ出現“189cmのスーパー1年生”「2年後のドラフト目玉」「異次元のスケール」森陽樹とは何者か?

 

衝撃の1年生…森陽樹とは何者か?

 今年の近畿大会で前田級の衝撃を与えた1年生がいた。前田級とはつまり、2年後のドラフトで主役になり得る逸材ということだ。

 

 森陽樹――宮崎県延岡市出身の16歳である。初戦の高田商業(奈良)戦と準々決勝・報徳学園(兵庫)戦に登板し、とりわけ勝てば来春のセンバツ切符が当確となる報徳戦は4対3と1点差に迫られた8回からマウンドを任され、打者6人をパーフェクトに抑えて火消しに成功した。189cmの長身から投げ下ろすMAX151キロのボールは圧巻だ。

 

 負けられない試合の終盤を森に託した西谷浩一監督はこう話した。

 

「1年生でまだまだ荒削りですけど、スケールが大きく、素材に恵まれている。大きく大きく育てたいと思って今やっているところなので、(緊迫した場面での登板は)彼にとって良い経験になったのではないでしょうか」

 

「大きく育てたい」は、のちにプロに進むような選手に対して、西谷監督がよく使う表現だ。2018年に春夏連覇を達成した根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)、もちろん前田にもその言葉を使っていたが、森に対しては「大きく大きく」と口にした。それだけで期待を膨らませてしまう。

 

宮崎出身…高身長の本格派右腕

 森の噂が耳に入ったのは昨春だった。宮崎県出身の筆者は同郷の中学生の動向を常に気にしていて、田畑に囲まれた地を離れ、都会の名門校に越境留学するような中学生に肩入れしてきた。

 

 戸郷翔征(巨人)を輩出した聖心ウルスラ学園の付属中学である聡明中の森は、同野球部の1期生だった。ゼロからスタートしたチームは快進撃をみせ、森が3年生となった昨夏に県下一の中学となり、全国大会にも出場した。中学時点で187cm、最速143キロ。そのスペックからも興味をそそられた。

 

 当時、森には20校近くの野球強豪校から声がかかったというが、彼が聡明中の選手でなければさらに増えただろう。というのも、聖心ウルスラ学園への内部進学が基本路線と思われていたからだ。

 

「小学校1年生で野球を始めた頃からプロ野球選手を夢見ていて、大阪桐蔭の試合もテレビで欠かさず観ていて憧れがありました。全国大会が終わったあと、西谷先生に声をかけていただいた。迷わず、桐蔭で野球をやろうと思いました」

 

メンバー唯一の「中学は軟式野球

 大阪桐蔭に入学する選手のほとんどが、中学2年生の秋から冬にかけての時期には決まっている。中3夏を迎える頃には、寮の部屋の関係上1学年約20人という枠は埋まっていることが多い。森の勧誘をここまで“待った”理由を西谷監督はこう話す。

 

「森は高校の付属中学に在籍している軟式の選手だったので、ボーイズリーグの選手のように早くからチーム関係者と話すことができないんです。中学の軟式野球が終わった時点で、(聡明中の)先生に『もし外に出る気持ちがあるならば本人と話をさせてもらいたい』とお願いした。すると『いくつかの学校に絞って検討している』ということだったので、見に行きました」

 

 そして森は大阪桐蔭への進学を決意した。

 

 陰ながら心配していたのは硬式球への対応だ。大阪桐蔭の1年生は、森以外、全員が硬式野球の出身者。森は中学野球を終えた一時期、宮崎の硬式野球チームで練習していたとはいえ、どうしても同級生から出遅れてしまうのではないか、と。それも、杞憂に終わる。

 

 今年6月1日にバンテリンドームで行われた招待試合の栄徳(愛知)戦で、森がマウンドに上がった。この日が初めてAチーム(いわゆる一軍)のメンバーに加わった日だった。森が再び話す。

 

「ちょっと僕も心配していましたけど、硬式球に慣れてきたら問題はなかった。軟式球は軽くて、硬式はちょっと重い。その分、ストレートが沈まないというか、ビシッといく感覚がある」

 

理想は「ロッテ佐々木朗希」

 桐蔭の寮で森は、中学時代に関西ナンバーワン投手と称された同級生の中野大虎と同部屋だ。同じようにプロを夢見る右の豪腕タイプ。ふたりを私生活から競わせたいという指導者の思惑も見え隠れする。

 

ブルペンでも横で投げて、お互いに悪いところがあったら言い合って、切磋琢磨しています。普段は仲良く、野球の時はバチバチ(笑)。1年生ですけど、2人で引っ張っていきたい」

 

 今夏のメンバーからは漏れたものの、新チームでは15番を背負ってベンチ入り。入学後に身長は2cm伸びて189cmに。体重は70kg台から85kgに。球速も現在はMAX151キロまで上昇した。カーブはブレーキの効いた縦に落ちるボールで、左打者の内をえぐるカットボールやスプリットも持ち球である。

 

 理想とする投手は、千葉ロッテの佐々木朗希。高校生のうちに、令和の怪物のように160キロを記録したい。

 

「バッターが分かっていても、バットに当たらないストレートが理想です。コースがアバウトでも、抑えていける自信があります。入学後、前田さんをはじめ、周りの投手を見て、すごいなとは思うんですけど……自分は自分と言い聞かせています(笑)。調子が悪くなると、左の肩が開きがちになってしまう。(投球動作中に片足で)立った時のバランスを大事にしています」

 

2年後…「選ばれるように頑張りたい」

 前田がドラフト指名された日、大阪桐蔭の1、2年生はグラウンドで練習していた。

 

 森は謙遜しながら、こんな未来を思い描いた。

 

「自分も2年後、必ず選ばれるように頑張りたいです」

 

 これから2年、大阪桐蔭の試合に足を運ぶ理由がまたひとつ増えた。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第132号

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