~決勝は智弁対決、高嶋前監督は複雑な心境?~
夏の甲子園準決勝は近畿勢同士の熱戦を制し、智弁学園、智辯和歌山が決勝に進出しました。
私は智辯和歌山の高嶋前監督が好きです。現在は監督を退きましたが智辯和歌山をここまでの強豪にしたのは間違いなくこの名将です。甲子園68勝は第一位の数字。エピソードを記しますと、
⓵ 智辯和歌山の監督就任当初は弱小でどこも練習試合の引き受けが無い中、「池田高校の蔦監督」が面倒(練習試合の相手)を見てくれました。以前のブログに蔦さんのことを書きましたがこういう器の大きさが好きです。
⓶ 1985年に選抜大会に初出場するも駒大岩見沢に敗退、1987年に夏の選手権に初出場するも東北高校に敗退、その後も夏1989年成東、1991年学法石川、1992年拓大紅陵に敗退(全部1~2点差の惜敗)し、甲子園5連敗を喫します。この頃甲子園の観客から「おー智辯和歌山、また負けにきたかー」と冷やかされ、「出ることが目標だった甲子園」から「勝つことが目標の甲子園」に変わったといいます。そして試行錯誤の末、1学年10名の少人数制度を採用したところ、野球部の快進撃が始まっていくのです。
⓷ 1993年の夏に東北高校に勝利し、リベンジを果たし、甲子園初勝利。翌1994年の選抜を迎えます。高嶋前監督が監督生活の中で「分岐点」になったと証言しているのが準々決勝の宇和島東戦です。8回終了時で0-4の劣勢でしたが9回表に5点を入れ逆転。延長戦の末に6-5で勝利します。勢いそのままに準決勝でPL学園、決勝で常総学院を破り初優勝を果たしました。
⓸ その後も1996年と2000年の選抜準優勝、2002年夏準優勝、1997年と2000年の夏に優勝と黄金期を迎えます。この時期は「甲子園出場=決勝戦進出」といってもいいほど強く、勝利数を積み重ねました。
⓹ しかし以降はベスト8、ベスト4の壁に跳ね返され続けます。今回のベスト8が13年ぶり、ベスト4が15年ぶり、決勝進出が19年ぶりと聞いて意外と思った方も多いのではないでしょうか。
⓺ 智辯和歌山の監督歴が有名で、あまり知られていませんが以前は智弁学園の監督をしていて春選抜ベスト4の実績があります。明日は複雑な思いで観戦すると思います。
本日は以上です。勝敗よりも決勝戦らしい試合を期待します。どちらも頑張れ!