~甲子園に旋風を起こしたチーム-【1】1988年夏の浦和市立~
「さわやか旋風」が駆け抜けた夏
今回は名勝負ではなく、甲子園に旋風を起こしたチームを紹介します。最初は1988年夏の浦和市立です。
この大会、打率49チーム中49位。平均身長も49位。誰が浦和市立の準決勝進出を予想できたでしょうか?2回戦で前年選手権準優勝の常総学院、3回戦でセンバツベスト4の宇都宮学園を破り、準々決勝はセンバツベスト8宇部商との戦いになりましたがこの試合も強豪相手に堂々とした戦い、延長11回の末に勝利します。投手の星野を筆頭に笑顔がホントに印象的で似合う、不思議なチームでした。
甲子園に出たこと自体が“奇跡”だった。同年の埼玉は、高校通算56本塁打の山口幸司の大宮東を筆頭に、川口工、埼玉栄などの実力校がひしめき合い、ノーシードの無印校・浦和市立は「1回ぐらいは勝ちたい」が当初の目標だった。
初戦でいきなり第7シードの所沢北と当たったが、「負けてもともと」の伸び伸びプレーが3対1の勝利につながった。エース・星野豊も、丁寧に低めを突いて打たせて取る投球術で、5回戦で川越工、準々決勝で埼玉栄を連続完封。準決勝の川口工戦では、打線が奮起して1対4の劣勢から逆転勝ち。決勝でも市立川口を7対1と圧倒し、夢にも思わなかった甲子園切符を手にした。
チーム打率2割5分9厘は、出場49校中最低ながら、甲子園でも「無欲」「挑戦者」を合言葉に、神がかり的な快進撃が続く。
初戦の佐賀商戦、中村三四監督が「低打率魂を見せてこい」とユーモアたっぷりにハッパをかけると、なんと15安打の5得点で甲子園初勝利。「100点取られるかも」(そう手克尚主将)と思った2回戦の常総学院戦でも二桁安打を記録し、6対2で快勝。3回戦の宇都宮学園戦も、星野の投打にわたる活躍で延長10回、2対1と競り勝った。
さらに準々決勝の宇部商戦では、同点の9回裏1死二、三塁のピンチで、中村監督は「一番楽しい場面。思い切って勝負しろ」と指示する。直後、星野は4、5番を投ゴロ、二ゴロに仕留め、延長11回の末、7対3と勝ち上がった。
準決勝の広島商戦も、0対2の6回2死から内野安打を足場に連続長打で同点に追いつく粘りを見せたが、その裏、巧妙なバント攻めで2点を勝ち越され、“ミラクルの夏”も、ついに幕となった。
一番印象的だったのは敗れてベンチ前で整列した浦和の選手たちの表情。ほとんどの選手は笑顔でした。後にインタビュー記事を読みましたが、概略は以下のようなもの。
「僕らがこんな場所(全国の準決勝)に居ること自体がおかしいんです」
「ここまで来れたのは宇宙の何かがおかしくなっていたんでしょう」
「負けてホッとしました。このまま勝ち続けたら一生分の運をここで全部使い切ってしまうんじゃないかと思って正直怖かったです」
などなど。
決して謙虚だったわけではなく、正直な思いだったのでしょう。
ごくごく普通の公立野球部が甲子園に出て大活躍する。そうそう無いことですが、勝利の女神様が時にこんな奇跡を見せてくださるのですね。
かつて都立の国立(くにたち)高校が甲子園に出てきた時に「奇跡だ。こんなことはもうないだろう」と思っていましたが、それを上回るミラクルでした。
終始笑顔で野球をする浦和市立の選手たちに「さわやか旋風」と称されました。
余談ですがこのころは公立校がまだまだ元気で公立の浦和市立が対戦した佐賀商、宇部商、広島商の他にベスト8に他にも浜松商、沖縄水産、津久見と8校中6校が残る(私立校同士の福岡第一-江の川以外の3試合は全部公立校同士の対戦)と今では考えられない時代でした。
本日は以上です。
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