今夏、甲子園を去った名解説者
NHKの春夏甲子園の高校野球解説者は、社会人野球の監督経験者などを中心に、約10名ほどの顔ぶれが、各大会、それぞれ数試合ずつを担当している。その中で最年長が大矢正成さん(元JR東海監督)だ。“高校野球界の増田明美”と親しまれた大矢さんは、今大会の決勝戦の解説を最後に、甲子園での解説を勇退することになった。
大矢が甲子園で解説者デビューしたのが2013年春の選抜大会。今年でちょうど10年目となる。節目の年だから引退するわけではない。任期のある仕事ではないが、NHKには「63歳の誕生日を迎える前の大会まで」という内規がある。
4月に63歳になった大矢は本来ならば選抜までで卒業だったのだが、この夏、1大会だけ延長を依頼されて引き受けた。
解説者としてのスタートは地元のNHK名古屋放送局。愛知県予選で解説をしていた母校・東邦高校の先輩で元プロ野球選手の柘植康之が、2003年に東海REXの監督に就任。前年秋にJR東海の監督を退任した大矢に、「東邦の枠が空いたから、お前がやれ」と後任の白羽の矢が立った。
何年かすると、実況でコンビを組むことが多かったMLB中継などでお馴染みの森中直樹アナウンサーが、NHK名古屋から大阪に異動。甲子園の実況も担当するようになった。
名古屋での解説が10年目となった2012年、森中から「甲子園でも解説をやってみる気はありますか?」と電話をもらった。当時53歳。甲子園の解説者はほとんど四十代だった。
「こんな歳で大丈夫ですか?」と不安になって聞くと「私に任せてください」と言われ、翌13年から春夏の甲子園に呼ばれるようになった。「周りは長くやっている人ばかりですから、あの歳で新参者で、ちょっと異質なヤツが来たな、という雰囲気でしたね」と就任当時を振り返って言う。
異質という意味では、大矢はそれまでの高校野球解説にはあまりなかった、選手やチームのパーソナルなエピソードを織り込むことが多い。コアな高校野球ファンからは「高校野球界の増田明美」と呼ばれていたが、注目されるようになったのは、昨年春の準優勝校・明豊(大分)の〝カード事件〟(*)あたりから。
(*)寮で禁止されているUNOをやっていた部員に、監督が「そんなに好きならとことんやれ」とグラウンドにカードを持ってこさせ、マウンド付近で車座になってやらせた。チームの練習が出来なくなったことで他の部員に迷惑がかかる。ルールを破ると組織に迷惑がかかるということを身を以て示したというエピソード。
「増田明美さんみたいだとよく言われましたが、そんなつもりは全然なくて、解説にちょっと色づけをしたかっただけなんです」と言う。そんな〝大矢スタイル〟のきっかけになったのは、2017年夏の大会のことだ。
「地方予選でキツネにグラブを盗まれる」
北北海道代表の滝川西高校の試合を担当することになり、渡された資料の中にある選手アンケートを読んでいると、レフトの佐野大夢選手の「地方予選でキツネにグラブを盗まれる」という妙な書き込みを見つけた。興味を持って試合前取材で本人に聞きに行くと、詳しく説明してくれた。
試合中にベンチにグラブを置いていたら、キタキツネが現れて、くわえて逃げて行ってしまったという。「なぜキミのグラブだけ?」と聞くと、「キツネが僕の匂いを好きだったのでしょう」と言い、二人で大笑いした。
他の記者はバッテリーなど主力選手の話を聞いていて、佐野のところには誰もいなかった。佐野はおばさんに新たにグラブを買ってもらって甲子園に来たという。中継スタッフに「試合のどこかで話していいですか?」と確認し、その黒いグラブをチャンスがあったら映してもらえないかと頼んでいた。
すると、3回表にレフトフライがあり佐野が捕球。そこでテレビ画面に黒いグラブがアップで映し出された。「まだ試合序盤で心の準備もできてなかったんですが、放送席のモニターを見たらアップで映っている。観ている人も『なんで?』と思うはず。ここで言わきゃいかんと思って」と慌ててエピソードを披露した。
その後、佐野は守備機会がないまま交代。結果的に、ここが唯一の話すチャンスだった。それ以来、チャンスがあったら躊躇せずに話すように心掛けてきた。
明豊のカード事件は、コロナ禍で試合前取材が出来ず、担当が決まった初戦を前に監督の著書などを読んで事前学習していた。しかし試合が延長戦の熱戦となり、話すチャンスがなかった。準々決勝でも担当になったが、また接戦で切り出せなかった。準決勝で、この大会3試合目の解説となり、ここでようやく披露出来た。
一大会で同じチームの試合を3試合も解説するのは珍しい。だからこうして放送で出てきた話は、どれも運良くタイミングが合ったものであり、綿密な事前取材の中でストックしていながら出せずに終わった話はいくらでもある。
しかし、そうした軽妙な話術とは別のところに、本当の〝大矢スタイル〟がある。
スコアブックと蛍光ペン
大矢は試合中、常にスコアブックを付けながら解説している。それも一球一球を記録するだけでなく、机の上に蛍光ペンを何本か並べて置き、球種やボールの特徴などをわかりやすく色分けし、ポイントになる場面は赤ペンで詳細に状況を書き込む。「観て、書いて、しゃべって。めちゃめちゃ忙しいんですよ」と苦笑する。捕手出身ゆえに身に付いた性分かもしれない。
ゲーム内容をしっかり分析し、丁寧に説明すること。ネタの披露はあくまで付録と考えている。名古屋で解説を始めた時からずっとそうだった。それを横でずっと見てきた森中アナは、その真摯な仕事への取り組みを信頼し、推薦してくれたのだろう。
自らの高校時代は、高校野球の光と影をともに経験した3年間だった。希望に燃えて名門・東邦に入学したが、1年生の6月、部内で暴力事件が起こる。連帯責任の時代。一年間の出場停止処分となった。
甲子園の望みを絶たれた先輩たちは何人も退部していった。「奈落の底に突き落とされた気分だった」と振り返る。落ち込む部員たちを励ますように、柘植が当時監督を務めていた新日鐵名古屋(のちの東海REX)の選手を連れて何度もグラウンドを訪れ、練習を見せてくれた。この時の恩義があるから、柘植に言われたら二つ返事で解説者を引き受けた。
3年夏の最後のチャンスに甲子園出場を果たす。そして1年生エース〝バンビ〟こと坂本佳一投手とのバッテリーで勝ち進み、あれよあれよという間に決勝進出。坂本は空前の大フィーバーを巻き起こし、試合以外では宿舎から一歩も出られなくなった。
宿舎で相部屋だった大矢は、外出時に坂本のために菓子やジュースを買ってきてやったという。「遠足のような、本当に楽しい時間でしたね」と、今も昨日のことのように思い出す。
決勝戦でサヨナラ本塁打を打たれ準優勝。優勝した東洋大姫路のスタンドで応援していた1年生部員の中に、のちに履正社高校の監督となった岡田龍生(現・東洋大姫路監督)がいた。岡田率いる履正社が初の日本一を勝ち取った2019年夏の決勝、履正社-星稜戦は、大矢にとっても解説者として初めての決勝戦だった。
「そうやって人の縁で生きてきた。18歳で甲子園に行って良い思いをさせてもらって、こうして解説をやるようになって、もう45年です。幸せな野球人生ですよ。甲子園からたくさんの力をもらいました。応援の雰囲気や選手たちのプレーを見ていると、違う世界にいるような気持ちになります。夢の世界で高校野球に関わっているんです」
大矢は言う。最後の解説となった決勝戦の日、閉会式が終わると、最後にアナウンサーから、球児たちへのメッセージを求められた。
「高校野球は後々の人生に生かされることが、たくさん詰まっています。世の中、社会に出ると、思い通りにいかないこと、つらいことがたくさんあります。そんなとき、高校野球で学んだこと、そして野球を通して鍛えられた強い心があれば、きっと乗り越えられると思います」
そんな自らの野球人生を投影させたかのようなメッセージは、多くの視聴者の感動を呼んだ。放送終了後、大矢はもう一度、放送席から甲子園のグラウンドをしっかり目に焼き付けて、球場を後にした。
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