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高校野球あれこれ 第67号

5年前、大阪桐蔭で起きた“選手間の対立”…いま明かされる「最強チーム」の転機とは? 山田健太「癖が強い選手ばっかりでしたから」

 

 

大阪桐蔭OBの小泉航平は、同校の監督である恩師、西谷浩一の言葉に耳を疑った。

 

「まだ弱い? なのに優勝したんですか?」

 

西谷が「まだ弱い」と評したチームは、昨秋の明治神宮大会で初優勝を遂げた。だからこそ、小泉はそう訝しがったのである。

 

昨年の大阪桐蔭にあった「力がない」自覚

 チームに力がないことは、身内での会話だけでなく公に西谷が話していたことだ。東北や関東など各地区を制した強豪が「秋の日本一」を争う舞台で結果を残してもなお、監督は気持ちを引き締めていたほどである。

 

「謙遜しているわけではなく、大阪府大会も近畿大会もチームが不安定だったことは選手たちが一番わかっていると思います。そのなかで、誰かがバントミスしたら誰かが繋ぎのバッティングをしてカバーしたりと、修正しながら戦えたことが、最後に相手より勝った要因かな、と思っています」

 

 この世代は「力がない」ことを自覚していた。そのことは、キャプテンの星子天真が何度も唱えていたほどだった。

 

「自分たちに力がないことはわかっているので、『全員で束になって、泥臭く戦っていこう』とずっと話してきています。チームのしぶとさは成長してると思っています」

 

 明治神宮大会を制した昨年のチームは、選手たちの結束で技術不足を補い、翌春のセンバツ優勝へと繋げた。

 

 後輩の功績に、小泉が目じりを下げる。

 

「勝っても負けても、月日が経つごとにレベルアップできる。それが大阪桐蔭の強みなんだなって改めて感じました」

 

対して、根尾昂らがいた5年前のチームは…

 小泉たちの同学年には、根尾昂、藤原恭大、中川卓也ら、中学時代から名を馳せる選手たちがおり、「世代最強」と呼ばれてきた。そんな強者ぞろいのチームであっても、秋の覇権を握ることが叶わなかったのである。

 

 根尾、藤原、中川に加え、山田健太、宮﨑仁斗、柿木蓮、横川凱。下級生の頃からスタメンで試合に出る選手が多く経験豊富ではあったが、新チーム始動時に足並みが揃っていたかと言えば、決してそうではなかった。

 

 2年夏の甲子園後に藤原が日本代表に選ばれチームを離れ、なおかつ前チームが国体に選ばれたこともあって準備不足は否めなかった。新キャプテンとなった中川は、そのことを誰よりも肌で感じ取っていた。

 

「なにせ秋の大会まで時間がなかった。自分もキャプテンとして、チームを引き締めるために厳しいことを言っていたつもりではあるんですけど、他の選手からすれば焦りがあってそれどころじゃなかったと思います。それで結局、技術だけで勝負して」

 

 秋の大阪大会と近畿大会で優勝したとはいえ、能力が高いが故に現在地の判断を見誤ってしまっていた。そのことに気づかされたのが、明治神宮大会だったわけである。

 

 創成館との準決勝。大阪桐蔭は柿木、横川、根尾の「3本柱」が打ち込まれ、3-7と劣勢のまま迎えた9回裏。1点を返した後、2アウト満塁と長打が出れば同点のチャンスで打席に立った青地斗舞は、この試合で3安打と当たっていながら緊張で足がすくんでいた。

 

 結果、セカンドゴロで試合終了。青地が自分の慢心を恥じるように回想する。

 

「正直、『絶対に負けない』と思っていたなかで、最後に緊張して自分のスイングができなかったどころか、ただバットにボールを当てにいくだけのバッティングで終わってしまって。すごく心残りでした」

 

大阪桐蔭コーチが放った“痛烈な一言”

 負けたとはいえ、「世代最強」と呼ばれたチームがすぐに足元を見つめ直したわけではなかった。監督の西谷からは「お前たちの実力は、歴代のなかでも10番に入るか入らないかくらいだ」と口酸っぱく説かれてきても、選手のなかには、まだ「自分らは強い」と信じている者もいたという。

 

 秋は控えメンバーとして途中出場が多かった石川瑞貴は、客観的にチームの気質を観察していたひとりだった。

 

「個の技術がありすぎて一体感がなかったです。いくら口では『まとまって戦おう』とか言っても、そこはあんま出なかったですよね」

 

 石川のように少しずつチームの本質に気づき始めている人間がいるなか、橋本翔太郎コーチのド直球のひと言で、最強の男たちの鼻っ柱がへし折られたことが決定打となった。

 

「こんなもんか」

 

 宮﨑はその言葉を受けた際の危機感を、今でも覚えているのだという。

 

「あんだけ騒がれて入ってきた世代なのに、神宮大会で早々に負けて。橋本コーチだけじゃなくて、多分、指導者の方みんなにそんなようなことを言われたんじゃないですかね。自分でも『頑張んないといけないな』っていう気持ちになりました」

 

個か、チームか…選手間で意見が対立

 この頃の大阪桐蔭のシーズンオフは、個々が自分で考え、足りないところを強化する慣例があった。しかし、選手間ミーティングでは、キャプテンの中川が「それじゃあダメだ。チーム力を高めよう」と訴えかけた。

 

 意見が対立する。

 

 藤原や宮﨑、青地、石川は「個人で足りないところを補えれば、チームとしても強くなる」と主張する。

 

 中川や副キャプテンの根尾は、福井章吾を中心にまとまりのあるチームでセンバツ優勝を果たした1学年上の先輩を例に挙げ、「一体感がないと勝てない」と説得する。自身も主力として歓喜を知っていた山田が言う。

 

「自分もチームのほうを優先していました。本当に癖が強い選手ばっかりでしたからね。『個人プレーをしていたら勝てない』ってわかっていたんで」

 

 個と和の丁々発止。最終的に中川たちが、秋に負けたこと、勝てた前世代の歩み、指導者たちの言葉などの現実を突きつけ、「だからこそ、チームで戦おう!」という熱量によって、チームの足並みが揃っていった。

 

 中川が言う。

 

「自分たちの弱さにも気づくことができたんで、あそこがターニングポイントでした。神宮大会での負けがなかったら、センバツの優勝も春夏連覇もなかったなって思います」

 

 歴史の転換期となった、2017年の秋。5年が経過した今年も、大阪桐蔭明治神宮大会の舞台に立ち、連覇を目指す。

 

 敗れて無力さを知った「最強世代」。

 

 勝って兜の緒を締めた「力なき世代」。

 

 大阪桐蔭は勝敗に関係なく、神宮の杜で成長の果実を収穫する。