悪夢の逆転サヨナラ負けから痺れる“1-0”投手戦まで…記憶に残る「センバツ決勝」3選
◆ 今年は第95回の記念大会
3月18日に開幕を迎える『第95回記念選抜高等学校野球大会』。通称“春のセンバツ”は正式名称の通り今年が95回目の記念大会ということで、例年よりも4校多い36校が聖地・甲子園に集結する。
◆ 1989年4月5日:東邦-上宮
この年のセンバツは元木大介率いる地元大阪の上宮が大きな注目を集め、前評判通りの戦いぶりで決勝の大舞台へとたどり着いた。
そこで相対したのは愛知の強豪・東邦。技巧派左腕の山田喜久夫を中心に守り勝つ野球で、準優勝に終わった前年に続く決勝進出を果たした。
試合は序盤から東邦・山田と上宮・宮田正直による投げ合い。5回表に上宮が1点を先制するが、その裏にすかさず東邦が追いつき、両者一歩も譲らない展開で試合は延長へ。
迎えた10回表、上宮は二死一・二塁からサードへの強襲安打で勝ち越しに成功し、初優勝へ大きく近づいた。その裏の東邦は先頭打者が出塁するも、次打者が強行策に出てセカンドゴロ併殺。二死走者なしと後がなくなった。
しかし、ここから東邦が驚異の粘りを発揮する。四球と内野安打で走者を溜めると、打席に立ったのは3番の原浩高。優勝を意識してか、やや制球を乱していた宮田が投じた初球はインコースに甘く入った。
原はこれを見逃さず強振すると、打球はフラッとセンター前へ。ワンバウンドで捕球した中堅手はバックホームするも、走者の足が早く、試合は再び振り出しに戻った。そして次の瞬間、まさかの幕切れが訪れる。
この適時打の間に一塁走者は二塁をオーバーラン。それを見た捕手が三塁に送球し、この回3つ目のアウトを狙った。
二三塁間に挟まれた走者は必死に二塁へと帰塁。捕手からボールを受けた三塁手の種田仁は迷わず二塁に送球したが、これが走者と重なり二塁手は捕球できず。
さらに、カバーに入った右翼手の目前でボールがイレギュラーバウンドし後逸。ボールが右翼手の定位置方向へ転々とする間に走者が還って東邦のサヨナラ勝利が決まった。
悪夢のような一瞬の出来事に、現実を受け入れられない上宮ナインがうなだれる姿は今も鮮明に覚えている。優勝へあとアウト1つに迫っていた上宮にとっては、あまりにも残酷な最後であった。
1994年の決勝戦を鮮明に覚えているファンはそれほど多くないかもしれない。
当時の智弁和歌山は高嶋仁監督の下、県内では敵なしの強さを誇っていた。しかし、甲子園では初出場した1985年のセンバツから5連敗。うち4試合が1点差負けという“勝負弱い”チームでもあった。それでも、93年夏に待望の初勝利。“甲子園でも勝てる”という自信を胸に臨んだのがこの年のセンバツだった。
大会前の下馬評は高くなかったと記憶しているが、1回戦の秋田相手に8-4で勝利すると、2回戦は横浜に10-2で完勝。準々決勝の宇和島東と準決勝のPL学園には1点差で競り勝ち、決勝へと駒を進めた。
そんな智弁和歌山に立ちはだかったのは、名将・木内幸男監督率いる茨城の常総学院。
取手二の監督時代から意表を突く戦法で強豪校に立ち向かう姿は「木内マジック」と評されたが、勢いに乗る智弁和歌山の前に、そのマジックは不発に終わる。
実は試合内容については応援に力が入り過ぎて冷静さを失っていたのか、断片的な記憶しか残っていない。しかし、大会を通じて複数の投手を繋ぐ戦い方で結果を残したことは鮮明に覚えている。
エース同士の手に汗握る投手戦となったのが、2009年の決勝。プロも注目する花巻東の左腕・菊池雄星と、清峰の今村猛の2人ががっぷり四つに組んだ。
東北勢待望の優勝に挑んだ花巻東は、夏の甲子園には出場経験があったものの、センバツはこの時が初。一方の清峰は3年ぶり2度目の選抜出場だった。初出場を果たした2006年は快進撃であれよあれよと勝ち上がったが、決勝の大舞台で横浜に0-21の大差で敗れる屈辱を味わっている。
フレッシュな高校同士の決勝戦は、予想通り1点を争う展開。序盤から両チームともに再三塁上を賑わすものの、1点が遠い。
均衡が破れたのは7回表だった。菊池は簡単に二死を取ったが、8番打者に四球を与えると、続く9番打者に甘く入ったストレートをセンターへはじき返され、一塁走者が長駆ホームイン。その後、虎の子の1点を今村が守り抜き、清峰が3年前の悔しさを晴らした。
ちなみに、公立高校による全国制覇は春夏通じてこの年の清峰が最後。今月開幕するセンバツは出場36校中、公立は8校(うち3校は21世紀枠で選出)だけだが、この中から快進撃を見せてくれるチームは現れるだろうか。