長い歴史を持つ高校野球には様々な記録がある。中でも特に歴史の重みを感じさせるのが、大正、昭和、平成、令和にまたがる『4元号勝利』である。前回、今大会に出場する名門校の勝利数や優勝回数について詳しく述べたが、この記録は数ではない。いかに長く活躍し続けているかということで、令和になった段階で可能性があったのはわずか15校。それだけに価値は極めて高いと言える。

15校中、高松商など4校が達成

 令和になって、平成までの3元号で勝利を果たしていたチームがなかなか勝てず、ようやく一昨年夏に松商学園(長野)が高岡商(富山)を破って4元号勝利の第1号となった。同じ大会で高松商(香川=タイトル写真は別大会)も続いている。さらに昨春センバツでは、広島商広陵という広島の2大名門が揃って達成し、ここまで15校中、4校が偉大な記録に名を刻んでいる

慶応が5校目として勝ち名乗りを狙う

 そして今大会で5校目として、勝ち名乗りを狙うのが慶応(神奈川)だ。慶応普通部として誕生した同校は、大正5(1916)年夏の第2回大会で優勝するなど、神奈川を代表する強豪だった。しかし入学難もあり、昭和30年代から長いトンネルに入ってしまう。ようやく平成17(2005)年春に、43年の空白を経て出場すると、8強まで進出。これで息を吹き返すと、その後はコンスタントに激戦・神奈川でも上位進出を果たすようになり、慶大や社会人、プロにも多くの卒業生を送り込んでいる。今チームには、清原和博氏(55)の次男・勝児(1年)もいて注目度が高く、記録達成にも期待がかかる。

静岡、北海、米子東は令和に入って連敗中

 ちなみに、4元号勝利の可能性があるチームは慶応を入れても残り11校にすぎない。そして令和に入ってから出場した静岡北海(北海道)、米子東鳥取)の3校は、王手をかけながら勝利には至っていない。静岡は令和に入って2度の選手権出場があるが、いずれも初戦で敗れた。県下一の進学校ながら県独自の校長裁量枠で何人かの有望選手入学が可能なだけに、甲子園は手の届くところにある。北海は一昨年の春夏連続出場時には、強敵の神戸国際大付(兵庫)といずれも初戦で当たり惜敗した。今春は補欠校で、夏の甲子園をめざす。米子東は令和最初の夏と一昨年夏に出たが、いずれも初戦で敗れた。進学校で環境に恵まれているとは言い難いが、県内では常に上位進出を果たしている。

奇跡のバックホーム松山商は22年のブランク

 11校で最も勝っているのが松山商(愛媛)。通算80勝は全国5位で、優勝も7回を数える。平成に入ってからもコンスタントに勝ち星を重ね、「奇跡のバックホーム」で知られる27年前の夏の優勝シーンは高校球史を彩った。その5年後にも夏の4強入りを果たしたが、どういうわけかこの平成13(2001)年夏を最後に22年、甲子園から遠ざかっている。県ではセンバツ21世紀枠の候補にも挙がるなど、復活を待望する声は日に日に高まっている。

清宮以来、甲子園出場がない早実

 早稲田実(東京)も甲子園66勝で、春夏とも優勝している。最後の出場は、清宮幸太郎(23=日本ハム)が主将だった6年前の春で、最新の勝利もこの大会だった。

 

関西学院は甲子園のある西宮市の名門で、部員も毎年100人前後の大所帯。兵庫にはライバルも多いが、熱い応援を受けている(22年7月、筆者撮影)
関西学院は甲子園のある西宮市の名門で、部員も毎年100人前後の大所帯。兵庫にはライバルも多いが、熱い応援を受けている

 

 西の名門の関西学院(兵庫)は、平成に入ってから長いブランクを埋め、地元ファンを熱狂させた。14年前の平成21(2009)年夏に70年ぶりの出場を果たし、酒田南(山形)相手に平成で唯一の勝利を挙げている。

 

鳥羽のユニフォームの袖の「KSMS」の文字は、「Kyoto Second Middle School」の略で、旧制京都二中を表す(14年10月、筆者撮影)
鳥羽のユニフォームの袖の「KSMS」の文字は、「Kyoto Second Middle School」の略で、旧制京都二中を表す

 

 鳥羽(京都)は異色の存在で、大正4(1915)年の夏の第1回大会で優勝した京都二中(戦後に廃校)を継承する形で、昭和59(1984)年に「復活」した。当時の胸の文字は、現在もユニフォームの袖に残されている。

秋田と鳥取西は学業との両立に苦戦

 その鳥羽に敗れて初代王者の座を逃した秋田も、4元号勝利に挑む。平成3(1991)年の夏が平成唯一の勝利で、その後は5回連続で初戦敗退を喫している。最後の出場からちょうど20年になり、文武両道の名門の復活を願うファンは多い。鳥取西も学業との両立があり、甲子園への道は険しい。最後の勝利は平成5(1993)年夏で、最後の出場は平成20(2008)年の夏。県内では、同じ文武両道の米子東よりも苦戦が続いている。それにしても、全国で人口最少の鳥取の名門2校が長く甲子園で活躍していることは立派の一言に尽きる。

東山は平成までの3元号で5勝のみ

 最後の1校は東山(京都)で、平成までの3元号でわずか5勝(出場8回)ながら記録の可能性を残す。大正、昭和がそれぞれ2勝で、平成は1勝のみ。その最後の勝利は、元メジャーリーガーの岡島秀樹氏(47)が2年生エースだった平成4(1992)年春で、その10年後の夏が最後の出場である。甲子園ブランクは松山商に次ぐ21年だが、京都では常に上位進出を果たしているだけに、久々の出場も不可能ではないだろう。

先輩たちへ敬意を込め、チャレンジを

 こうして見渡すと、勝利数歴代1位の中京大中京(愛知)や、同2位で今大会にも出る龍谷大平安(京都)の名前がない。

 

春の京都大会で龍谷大平安を破り喜ぶ東山の選手たち。府大会でも上位常連で、久しぶりの甲子園も夢ではない(22年5月、筆者撮影)
春の京都大会で龍谷大平安を破り喜ぶ東山の選手たち。府大会でも上位常連で、久しぶりの甲子園も夢ではない

 最後に挙げた東山は、京都では平安と並ぶ古豪として知られるが、長く後塵を拝してきた。両校の甲子園での勝ち星の差は実に「98」で、平安の前に涙してきた東山のOBがいかに多くいることか。今大会の慶応を始め、残る11校の選手たちには、改めて先輩たちへ尊敬の念を込め、誇りを持って偉大な記録にチャレンジしてもらいたい。