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高校野球あれこれ 第125号

馬淵監督「12万8000人の高校球児の代表として世界大会に臨めるチーム」世界一の選手たち労う【U-18日本代表会見】

 

 

野球日本代表「侍ジャパン」U-18 代表 優勝記者会見

 

WBSC U‐18W杯の決勝で台湾を下し、悲願の初優勝を果たした野球のU‐18日本代表が11日に帰国し、会見した。

 

スモールベースボールを掲げ、決勝では3連続バントで逆転に成功した日本代表。チームを率いた馬淵史郎監督は「高校野球の代表が、ああいう野球をやれば世界的に通用するんだということを示せたということは本当に良かったと思う。3人のコーチの方々、アシスタントコーチ、選手の頑張りによってこういう結果になって本当に嬉しく思っております」と大会を振り返った。

 

「最初からチーム力で勝つということをずっと目標にして選手たちはやってきた」と語ったのは小林隼翔主将(広陵)。「選手たちだけじゃなくて、サポートの方だったりとか、現地で応援してくださった方、日本でテレビ越しで応援してくださった方たちがいての初優勝。空港に帰ってきてたくさんの方に迎え入れていただいた時に実感しましたし、すごいありがたい」と感謝を述べた。

 

9試合すべてに出場し、24打数13安打で打率.542、首位打者を獲得した緒方漣横浜高校)。 MVPにも選出され、最多得点、ベストナイン二塁手)のタイトルと併せ4冠に輝いた。「たくさんの賞をいただいたんですけど、その裏にはたくさんのサポートだったり、声援だったり、いろいろな方に支えられての賞だと思うので、支えてくれた方々に感謝したいなと思います」とコメント。今夏の甲子園を制した慶応から唯一メンバー入りしていた丸田湊斗(慶応)は「最高の経験をさせていただいて幸せ者だと思う」と笑顔を見せた。

 

「野球はピッチャーだなとつくづく思いました。最後の試合は前田君が頑張って投げてくれた。投手がよければ勝負になるというふうに思ってます」と馬淵監督は投手陣を労った。

 

最後の夏は甲子園出場を逃したが、今大会の優勝投手となった前田悠伍(大阪桐蔭)は3試合16回2/3を投げ防御率0.42をマーク。「優勝に導くことができて嬉しく思う。世界一はなかなか経験できない。これからの野球人生においても大きいこと。いいように生かすのは自分次第」と今後の活躍を誓った。先発投手部門のベストナインに選出された東恩納蒼(沖縄商学)は「やるべきことをしっかりやろうと臨んだ結果、いい結果が残せたのでよかった。それよりも世界一になれたのは自分の中で一番うれしい」と喜んだ。

 

最後に「12万8000人の高校球児の代表として世界大会に臨めるチームだという気持ちを持っていた。本当にいいチームだなと思っていた」と選手たちを称した馬淵監督。「こういう経験をして日本の野球プロにいける選手もいるかもしれない。全国のリーダーになれるようなプロアマ問わず、そういった選手になってもらいたい」と今後の選手たちの活躍に期待を込めた。

 

【今大会の日本代表】

 

■1次ラウンドB組

1日 日本 10ー0 スペイン

2日 日本 7ー0 パナマ

3日 日本 4ー3 アメリカ  

4日 日本 10ー0 ベネズエラ

5日 オランダ 1ー0 日本

 

■スーパーラウンド

7日 日本 7ー1 韓国 

8日 日本 10ー0 プエルトリコ

9日 台湾 5ー2 日本

 

■決勝

10日 日本 2ー1 台湾

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第124号

江川卓が「僕の高校時代より速い」と評した右腕は? 甲子園で剛腕披露も、プロで苦しんだ「未完の大器」たち

 

高校生投手の歴代最速は、2019年に大船渡・佐々木朗希(現ロッテ)がマークした163キロ、甲子園大会では01年に日南学園寺原隼人(元ソフトバンク、横浜など)が記録した158キロがトップ(いずれもスカウトのスピードガンが計測)。この両人をはじめ、ランキング上位の投手の多くがプロで活躍しているが、その一方で、プロでは“未完の大器”で終わった者も少なくない。

 

今から40年以上前、プロも顔負けの最速149キロをマークしたのが、秋田商の189センチ右腕・高山郁夫(元西武、広島など)だ。

 

 1980年夏の甲子園、高山は初戦の田川戦で初回の先頭打者にいきなり144キロを投じると、3番打者への6球目、外角低めが149キロを計測した。

 

 当時はプロの現役投手でも、前年の79年は中日・小松辰雄の150キロ、80年は巨人・江川卓の149キロが最速。二人とも「信じられん。僕の高校時代は149キロなんてなかった」(小松)、「驚異的なスピードですね。おそらく僕の高校時代より速いのでは」(江川)と目を丸くした。ネット裏のスカウトからも「将来の20勝投手」(ロッテ・三宅宅三スカウト)、「ナンバーワン」(西武・宮原秀明スカウト)と絶賛の声が相次いだ。

 

 だが、同年のセンバツで右足親指付け根の骨が砕ける重傷を負った高山は、手術を必要としており、手術をすれば、快速球が投げられなくなる可能性もあった。

 

 さらに田川戦で無理をしたことで、肩と背筋に張りが出て、3回戦の瀬田工戦では精彩を欠いたまま0対3で敗れた。

 

「僕としては野球を続けたい」と進路に悩んだ高山は、面識のあった西武・根本陸夫監督に相談し、「(手術しても)何年でも待つ」と約束されると、日本ハムの1位指名を断って、西武系列のプリンスホテルに入社。手術後、リハビリを経て、84年のドラフト3位で西武に入団した。

 

 だが、高校時代の球速は戻らなかった。そこで、技巧派に活路を求め、89年に5人目の先発として自己最多の5勝を挙げたが、12年間通算12勝12敗と期待ほど活躍できなかった。

 

しかし、これらの経験は現役引退後、指導者として生かされることになる。06年にソフトバンクの2軍投手コーチに就任した高山は、09年から1軍投手コーチになり、11年にチーム防御率を12球団トップに押し上げた。

 

 さらに18年にオリックスで2度目の1軍投手コーチになると、強力投手陣を育て上げ、リーグ2連覇と昨季の日本一に貢献。何十年という長い歳月で見れば、故障を抱えたまま高校からプロ入りするよりも、充実した野球人生になったと言えそうだ。

 

 09年夏の甲子園で1年生投手の最速記録を塗り替え、「2年後のドラフト1位」と注目されたのが、帝京・伊藤拓郎だ。

 

 2回戦の敦賀気比戦の9回2死、リリーフで甲子園初登板をはたした伊藤は、4球目と5球目に147キロを計時。05年に大阪桐蔭中田翔(現巨人)がマークした1年生の大会最速記録に並んだ。

 

 さらに3回戦の九州国際大付戦でも、歴代単独トップの148キロをマーク。「今の実力でもドラ1クラス」とプロのスカウトを色めき立たせた。

 

 だが、その後は球速にこだわってフォームを崩し、肘などの故障も追い打ちをかけて伸び悩んだ。3年夏の甲子園でも、1回戦の花巻東戦で、大谷翔平(現エンゼルス)に四球と死球を与え、4回途中5失点。1年時の輝きを取り戻すことができなかった。

 

 それでも伊藤は「プロ1本」に絞り、ドラフト当日を迎えた。なかなか名前を呼ばれず、「もう指名はない」とあきらめかけた矢先、12球団最後の72番目に横浜が9位指名。感激のあまり号泣し、「命を懸けるつもりでやる」と飛躍を誓ったが、夢は叶わなかった。

 

 経営母体がDeNAに変わった翌12年10月5日の巨人戦で1軍デビュー、同8日の広島戦でプロ初ホールドを記録も、2年目以降は出番がないまま、14年オフに戦力外となった。

 

 その後はBC群馬でNPB復帰を目指し、オーストラリアのウインターリーグでも活躍したが、現在は「年々向上心を持って、1年でも長く野球をやりたい」と社会人の日本製鉄鹿島でプレーを続けている。

 

最速147キロ左腕として花巻東大谷翔平大阪桐蔭藤浪晋太郎(現オリオールズ)とともに“ビッグ3”と並び称されたのが、愛工大名電濱田達郎だ。

 

 12年のセンバツでは、1回戦の宮崎西戦で14三振を奪うなどの快投で8強入り。夏の甲子園は不調で初戦敗退も、大谷、藤浪とともに選ばれた18U世界選手権では最速146キロをマークし、同年のドラフトで地元・中日に2位指名された。

 

「ファンの方々から“濱田が投げたら勝てるぞ”という投手を目指していきたいと思います」と誓った濱田は、2年目の14年5月7日の阪神戦で初先発初完封の快挙を達成し、先発ローテ入りすると、7月までに5勝を挙げた。

 

 だが、8月に左肘靭帯損傷が判明し、以後、相次ぐ故障やサイド転向、2度にわたる育成契約など、苦闘の日々が続いた。

 

 そして10年目の昨オフ、「ケガ続きでリハビリしては同じことの繰り返しで苦しかった。球団に待ってもらって本当に感謝しています」と通算28試合、5勝7敗で現役引退。「ケガさえなければ、今頃ドラゴンズのエース格だったろうに」と惜しむファンも多い。

 

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高校野球あれこれ 第123号

「サインばれているのかな」

仙台育英“じつは超不利だった”日程・相手…あの決勝前、須江航が初めて吐いた弱音「エネルギーが尽きてきました」

 

肌が弱いのだろう、日焼けで赤く腫れた顔がいつも以上に痛々しかった。

 

「そろそろエネルギーが尽きてきました。あと1試合ですけど、東北6県のみなさんや、宮城のみなさんは、明後日の2時、西の甲子園の方にパワーを送ってもらえたら、みなさんの気持ちを持って戦いたいと思います」

 

仙台育英の須江航は、決勝進出を決めた後のインタビューで、こう声を振り絞った。今大会、初めて吐いた「弱音」と言っていいかもしれない。

 

今まで見たどの監督とも違った

 須江は今まで見たどの監督ともタイプが違った。どんな試合の後でも快活で、雄弁だった。そして、プラス思考の塊だった。

 

 3回戦の履正社戦では、3回にエラーが3つも集中した。ただ、その回は幸いにも1失点でしのいだ。とはいえ、普通の指揮官だったら、次戦に向けて反省が口をつきそうなものだが須江はそうした素振りを微塵も見せなかった。

 

「あれだけミスをして1点しかとられなかった。奇跡みたいなものですよ。神様が勝てと言ってくれているのかと思いました」

 

 続く準々決勝の花巻東戦は9-0のリードで迎えた9回裏、負けているチームに過度に肩入れする甲子園特有の球場の雰囲気も手伝い、打者一巡の猛攻に遭って4失点。大量リードに守られて逃げ切ったが、後味の悪さも残った。だが、須江はあくまで前向きだった。

 

「今日もいい経験をさせてもらいました。甲子園は最終回、やっぱりこういう雰囲気になる。それを経験できたというのが大きかったです」

 

 どこまでもポジティブな姿勢を崩さない須江に、思わず、その理由を尋ねると、こんな答えが返って来た。

 

「夏だからです。夏が始まったら、怒ってもしょうがないので。楽しくやればいい」

 

大会1日目「第3試合」の過酷さ

 この夏の仙台育英は、もっとも過酷なブロックを勝ち上がってきていた。初戦は大会1日目の第3試合だった。開幕戦以上に嫌われるところだ。というのも、第2試合ならまだ開会式のあと球場内の室内練習場で待機できるが、第3試合のチームは待機場所がないためいったん球場を離れなければならない。それがとにかく面倒なのだ。

 

 仙台育英の日程的な不利は、2回戦以降も続いた。準決勝まで、第4試合、第1試合、第4試合、第1試合と、早い時間と遅い時間の試合が交互に続いた。

 

 第1試合も第4試合も気温が比較的低いため、体への負担は小さいと言われる。ただ、第4試合は開始時間が読めないのと、ホテルに帰る時間が遅くなるため、体を休めるという意味ではなかなか難しい面もある。

 

「大ラッキー」と言い切った須江監督

 今年の仙台育英の日程は、暑い時間を避けられるというメリット以上にデメリットの方が大きいように思われた。

 

 しかし、そんな不運も須江はこう言って笑い飛ばした。

 

「去年から続く大ラッキーなんですよ。去年は全部、第1試合。今年は初戦も開始が遅れたので実質、第4試合のようなもので。あとは全部、第1か第4ですから。暑い時間帯の試合が1試合もなかったんですよ」

 

 確かに、昨年の仙台育英は恵まれていた。2回戦からの登場というのも有利に働いたことだろう。日程に関して言えば、去年と今年では雲泥の差がある。しかし、須江は、それを「去年から続く大ラッキー」と称した。

 

 そんな度が過ぎるほどポジティブな男が、準決勝を終え、思わずこぼしたのが冒頭の「エネルギーが尽きてきました」という本音だった。

 

いま思う「準優勝」の価値

 今年の仙台育英は乗り越えなければならない相手チームも険しかった。1回戦から浦和学院聖光学院履正社花巻東神村学園、慶応と、名だたる強豪や勢いに乗るチームばかりだった。

 

 しかも前大会王者ということで当然、マークも厳しかったはずだ。それに対しては須江も「どのチームも情報をすごく持っている。試合の中でも、サインがばれているのかなと思うこともあった」と苦心していた。

 

 慶応の優勝は掛け値なしの快挙だった。だが、この条件下における仙台育英の準優勝は、少なくともそれと同等の偉業だった。

 

 決勝で敗れたあと、須江に、どんなに疲れていても囲み取材で嫌な顔一つせずに対応できるのはどうしてなのかと聞いた。すると、間髪入れずにこう返された。

 

「疲れてないからです」

 

 そのときはもうすでにいつもの須江に戻っていた。

 

 

 

 


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高校野球あれこれ 第122号

夏の甲子園を彩った球児たち 

今大会最注目選手の花巻東・佐々木麟太郎は3割7分5厘の結果に

 

頂点には届かずとも球児たちは最高の舞台で躍動し、印象的な活躍を見せた。表情豊かに誰よりも熱く、そして敗戦の涙すら清々しい。第105回全国高校野球選手権記念大会で心を揺さぶったヒーローたちを紹介する。

 

■佐々木麟太郎(花巻東(岩手)・内野手・3年)

ささき・りんたろう/今大会最も注目を集めた打者。甲子園では3割7分5厘と結果を残すも、長打は出ず。敗れた準々決勝の仙台育英(宮城)戦は最後まで快音響かず、最後の打者となった

 

■東恩納蒼(沖縄尚学(沖縄)・投手・3年)

ひがしおんな・あおい/初戦のいなべ総合(三重)戦を完封し、続く創成館(長崎)戦は1失点完投と、前評判に違わぬ快投。準々決勝の慶応(神奈川)戦では打ち込まれるも、楽しげに笑顔を見せた

 

■熊谷陽輝(北海(南北海道)・内野手、投手・3年)

くまがい・はるき/マウンドと一塁を行き来する大忙しの夏だった。小刻みな継投で13回3分の1を投げ、打っては3試合すべてで複数安打と獅子奮迅。神村学園(鹿児島)戦では本塁打も放つ

 

■真鍋慧(広陵(広島)・内野手・3年)

まなべ・けいた/元大リーガーにも例えられる強打者。立正大淞南(島根)戦で3点適時二塁打を放つ一方で、慶応(神奈川)戦では好機を広げるためバントを試み、チームプレーに徹した

 

■新妻恭介(浜松開誠館(静岡)・捕手・3年)

にいつま・きょうすけ/東海大熊本星翔(熊本)戦で逆転の2点本塁打を放ち、初出場で初勝利の快挙。捕手としても投手陣を引っ張り、北海(南北海道)戦では甲子園常連校を相手に接戦に持ち込んだ

 

■森田大翔(履正社(大阪)・内野手・3年)

もりた・はると/鳥取商(鳥取)戦で3点本塁打、高知中央(高知)戦でも本塁打を放ち強打者ぶりを見せつけた。いずれの試合も決勝点をたたき出す勝負強さを発揮。まさに4番打者の働きだった

 

■森煌誠(徳島商(徳島)・投手・3年)

もり・こうだい/徳島大会からすべて一人で投げ抜いた鉄腕。初戦の愛工大名電(愛知)戦を1失点10奪三振完投。智弁学園(奈良)戦では12失点も155球の熱投でマウンドを守り抜いた

 

■知花琉綺亜(智弁学園(奈良)・内野手・2年)

ちばな・るきあ/初戦の英明(香川)戦、1点を追う最終回に同点の足掛かりとなる三塁打。2回戦の徳島商(徳島)戦では3安打5打点と、中軸に劣らぬ働きを見せ気迫あふれるプレーで魅了した

 

■洗平比呂(八戸学院光星(青森)・投手・2年)

あらいだい・ひろ/初戦の明桜(秋田)戦で完封。準々決勝の土浦日大(茨城)戦では5四死球も、内角を強気に攻めた。「体も球速も成長させて(甲子園に)帰ってきたい」と来年の飛躍を誓った

 

■安田虎汰郎(日大三西東京)・投手・3年)

やすだ・こたろう/決め球のチェンジアップを操り、絶対的なエースに君臨。社(兵庫)戦を2安打完封、鳥栖工(佐賀)戦では二回途中からマウンドに上がり無失点と抜群の安定感を見せた

 

■土井研照(おかやま山陽(岡山)・捕手・3年)

どい・けんしょう/扇の要として投手陣を好リードし、日大山形(山形)、大垣日大(岐阜)、日大三西東京)と日大系列3校を撃破。初戦では勝ち越し適時二塁打を放ち、甲子園初勝利に導いた

 

■高橋慎(※)(大垣日大(岐阜)・捕手・3年)

たかはし・しん/阪口慶三監督の孫。初戦の近江(滋賀)戦を勝って、祖父に甲子園での勝利をプレゼント。続くおかやま山陽(岡山)戦では一時同点に追いつく本塁打を右翼ポール際に放った

 

■今岡歩夢(神村学園(鹿児島)・内野手・3年)

いまおか・あゆむ/全5試合で安打を放ち、主将、1番打者としてチームを牽引。長打に盗塁、本塁突入、ピンチ切り抜けなど、多くの場面で声を張り上げ大きなガッツポーズをする姿が印象的だった

 

■佐倉俠史朗(九州国際大付(福岡)・内野手・3年)

さくら・きょうしろう/佐々木麟太郎(花巻東)、真鍋慧(広陵)とともにビッグ3と称された強打者も、土浦日大(茨城)との初戦で涙をのんだ。快音なく迎えた九回に鋭く中前安打を放ち意地を見せた

 

■松田陽斗(土浦日大(茨城)・内野手・3年)

まつだ・はると/開幕戦の最初の打席で大会第1号の本塁打を放ち、準々決勝の八戸学院光星(青森)戦では4安打。九回にはだめ押しの本塁打をバックスクリーンに打ち込んだ

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第121号

筑波山でなく富士山登る」

「目の前の3秒やりきる」…4強の土浦日大、躍進の理由

 

第105回全国高校野球選手権記念大会で、茨城県勢20年ぶりの4強入りを果たした土浦日大。この1年、選手や小菅勲監督は、全国で勝ち上がるための練習に本気で取り組み、それを着実に大舞台で披露した。

 

脅威の集中打

甲子園で1回に5得点以上の「ビッグイニング」を作り出したのは実に3度。チームの代名詞にもなった。専大松戸(千葉)戦では6点を追う展開で、三回に一挙5得点を挙げ、その後逆転。竜ヶ崎一や常総学院など長年県内の強豪校を率いてきた持丸修一監督は「あれだけ(バットを)振れるチームは初めてだ」と目を丸くした。

 

 2番打者の太刀川幸輝選手は「『目の前の3秒』をやり切れた結果」と明かす。たかが3秒、されど3秒。昨夏の県大会決勝でのサヨナラ負けをきっかけに生まれた合言葉は、短時間の集中で攻守に高いパフォーマンスを発揮できるという意識を選手に植え付けた。春からは3点ビハインドの状況を想定した実戦形式の練習も続け、小菅監督は「5万人の観衆の前でプレーする準備はできているか」と発破をかけてきた。

 

 大舞台での勝負度胸、劣勢に折れない心、抜群の集中力――。全ては日々の練習で積み重ねてきたものだった。躍進の要因を選手に尋ねても誰もが「やるべきことをやった結果」と同じ言葉を繰り返した。

 

指揮官の采配

初戦の上田西(長野)戦で小菅監督は同点の八回途中、延長タイブレイクを見据えて先発の藤本士生(しせい)投手から伊藤彩斗投手にスイッチ。藤本投手を一塁に残した。その意図は重圧のかかる延長戦で起用するため。狙い通り、延長十回に集中打で6得点し、再登板した藤本投手が1失点に抑えて勝ち切った。

 

 2回戦の九州国際大付(福岡)戦では右腕の小森勇凛(ゆうり)投手を先発に起用。春はエースナンバーを背負ったが不調に陥り、甲子園では「3番手」の位置づけだった。「殻を破ってほしい」との思いを込めて送り出した背番号18は、強力打線を5回1安打無失点に抑えた。不意をつかれた相手の楠城徹監督は「左(藤本投手)が来ると予想していたのに、右が先発してきて違う流れになった」とうなだれた。

 

快進撃の理由を問うと小菅監督は「筑波山ではなく、富士山を登るための準備をしてきた」と独特の言い回しで答えた。選手の活躍は、聖地での采配を幾度となくイメージしてきた成果だったのだろう。

 

「化けた」選手

 チームの躍進は、普段の努力に加え、大舞台での選手の成長も大きかった。

 

 九州国際大付戦で均衡を破る一発を放ったのは、練習を含めて高校で1本も本塁打を打ったことのない大井駿一郎選手。県大会では打率1割台だった右翼手の予想外の一発で、チームは勢いづいた。

 

 目標の8強を達成した日、小菅監督は選手たちに「監督としては満足している」と伝えた。「ここからどう意欲を保つべきか。自分たちで答えを見つけてほしい」。そんな思いからだった。選手で開いたミーティングでは、意見をぶつけ合うまでもなく「誰の目も死んでおらず、優勝を望んでいた」と塚原歩生真(ふうま)主将。チームは再び団結し、準々決勝では八戸学院光星(青森)を圧倒。小菅監督は「甲子園で(選手が)化けつつある」と表現した。

 

 「この先、きついことがあった時は甲子園を思い出したい」。太刀川選手の一言には重みがあった。頂点には届かなかったが、常に全力で、最高の仲間とともに味わった高揚感と達成感。敗れた準決勝後に宿舎で取材した土浦日大ナインの表情はすがすがしかった。

 

 

 

高校野球あれこれ 第120号

ライバル校へ“禁断の移籍”で非難も 

複数チームを甲子園に導いた高校野球の名将たち

 

開催中の夏の甲子園大会で、専大松戸・持丸修一監督が、8月12日の初戦(2回戦)で東海大甲府を下し、甲子園春夏通算8勝目を挙げた。持丸監督はこれまで竜ヶ崎一、藤代、常総学院専大松戸の計4校を春夏の甲子園に導いており、佐賀商、千葉商、印旛、柏陵を率いた蒲原弘幸監督と並ぶ大会最多記録になる。そして、この両監督以外にも、複数のチームで甲子園に出場した監督が多く存在する。

 

宮城県内の“二強”東北、仙台育英の両校で指揮をとったのが、竹田利秋監督だ。

 

 和歌山県出身の竹田監督は、東北時代に春夏通算17回甲子園に出場。1972年春に4強入りするなど、同校を甲子園でも勝てる強豪に育て上げた。

 

 だが85年、宮城に来てから20年経ったことを潮時と考え、夏の甲子園出発前に日付なしの辞表を学校側に提出。準々決勝で甲西にサヨナラ負けした直後、辞意を表明し、8月31日付で退職した。今後は県外の他校に移って指導を続けるとみられていた。

 

 ところが、これに「待った!」をかけたのが、宮城県体協会長で、野球に造詣が深い山本壮一郎県知事だった。「あなたを失うことは、東北の損失だ。宮城に残ってほしい」と誠心誠意で説得。そして、移籍先として仲介したのが、ライバル校・仙台育英だった。

 

 東北に残してきた教え子たちの気持ちを考え、決断に迷った竹田監督だったが、最終的に「私は宮城県が好きです。県の高校野球界に尽くしたい」の気持ちが勝り、仙台育英へ。

 

 東北、仙台育英の両校は、夏の甲子園出場をかけた対決が“七夕決戦”と呼ばれるほど、お互い強烈なライバル意識を持つ。ライバル校への“禁断の移籍”は、当然のように「裏切者!」「恩をあだで返した!」などと非難された。また、当時の仙台育英は不祥事で半年間の対外試合禁止処分を受けており、「ゼロと言うよりマイナスからのスタート」だった。

 

 だが、「宮城に、東北に優勝旗を持ってきたい」の情熱を胸に、竹田監督は翌86年夏、早くも同校を5年ぶりの甲子園に導き、89年夏には大越基(元ダイエー)をエースに準優勝と、大目標にあと一歩まで迫る。95年夏の甲子園出場を最後に退任したが、その意志を受け継いだチームは昨夏、須江航監督の下、東北勢初の全国制覇を成し遂げ、長年の悲願を実現した。

 

智弁学園智弁和歌山の両校で甲子園歴代最多の通算68勝を挙げたのが、高嶋仁監督だ。

 

 当初は監督になるつもりはなく、3年間の約束で智弁学園のコーチを引き受けたが、3年目に前監督が突然辞任したことから、急きょ後任に指名された。

 

 悩んで相談した大学時代の恩師から「とにかくやってみろ」と背中を押され、26歳で監督に就任。“打倒天理、郡山”を目標に、日々の練習を通じて部員たちとコミュニケーションをとることの大切さも学び、77年のセンバツ4強など、チームを春夏3度の甲子園に導いた。

 

 その後、同校野球部長を経て、80年に開校3年目、創部2年目の兄弟校・智弁和歌山の監督になった。

 

 だが、チームがある程度形をなしていた智弁学園に対し、当時の智弁和歌山は練習試合でも勝てない同好会レベル。春夏連覇達成の“王者”箕島が富士山よりも高く見える「ゼロからのスタート」だったが、個々の力に合わせた練習で選手を手塩にかけて育て、3年目の夏に県大会4強。以来、有力選手も入学してくるようになり、85年春に甲子園初出場をはたした。

 

 その甲子園ではなかなか勝てず、92年夏まで5連敗。だが、「また負けに来たんか!」というスタンドのヤジに「甲子園に出るために一生懸命やって来たが、甲子園で勝つために一生懸命やっていなかった」と思い当たり、常に甲子園を意識した練習法を導入。93年夏に初勝利を挙げると、翌94年のセンバツで初優勝。以後、春夏併せて35回出場。優勝3回、準優勝4回の黄金時代を築き上げた。

 

 広陵、福井(現福井工大福井)、京都外大西の3チームで甲子園勝利を実現し、冒頭で紹介した持丸監督(常総学院時代は未勝利)と肩を並べるのが、三原新二郎監督だ。

 

 選手の個性を引き出し、相手の虚を突く臨機応変な采配は、同姓のプロ野球監督・三原脩にちなんで“三原マジック”と呼ばれた。

 

 京都外大西時代の05年春、練習試合で負けが込み、前年のチームの1年分の負け数を上回ると、三原監督は「考えてプレーしているように見えない」と3年生全員に練習参加禁止を命じた。

 

そして、根気良く会話の場を持ったあと、彼らが練習に対する考えを改め、ひとつひとつのプレーの大切さを自覚するようになると、復帰を許した。

 

 その後、夏を最後に三原監督が勇退することを知ったナインは「監督を甲子園に連れていこう」と心をひとつにして目標を達成したばかりでなく、甲子園でも「2勝できれば十分」だったチームが、準優勝を成し遂げた。決勝では夏連覇の駒大苫小牧に敗れたものの、三原監督自ら「最高の夏だった」と評したように、同年の京都外大西の快進撃は、まさにマジックだった。

 

 取手二常総学院の両校で全国制覇を実現した木内幸男監督の“木内マジック”もそうだが、マジックとは“以心伝心”が基本であることを実感させられる。

 

 

 

 

 

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高校野球あれこれ 第119号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【MLB編】 

甲子園で邂逅し、アメリカで再会した2人と、数々のドラマを生んだ稀代の右腕

大谷(現エンゼルス)は2年夏、3年春の2度、甲子園出場を果たした 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。

 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。最終回となる今回はMLB編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

※リンク先は外部サイトの場合があります

大谷翔平花巻東(岩手)

 今さら語る必要のない“世界最高”の男にも、初々しさあふれる高校時代があった。

 中学3年時にセンバツ甲子園で準優勝した菊池雄星への憧れを持って花巻東へ入学した。1年夏までは野手専念で1年秋に投手解禁。東北大会で147キロを計測して注目を集め、2年春には最速151キロで“ダルビッシュ2世”と呼ばれた。そして2年夏、成長期による骨端線損傷を抱えた中で「3番・ライト」として岩手県大会を勝ち上がり、2011年夏の甲子園出場を果たした。

 だが、初めての甲子園は短かった。初戦で伊藤拓郎(元DeNA)、松本剛(現日本ハム)、石川亮(現オリックス)を擁した帝京(東東京)と対戦し、序盤から点の取り合いとなった末に7対8の惜敗。大谷は打者として5打席に立って2四死球の3打数1安打、投手としては4回途中からマウンドに上がって150キロを計測したが、調整不足が明らかで、5回2/3イニングを6安打5四死球3失点で負け投手となった。
 
 2度目の甲子園は3年春、2012年のセンバツ大会だった。だが、この時も故障を抱えて投手としては手負いの状態。その中で、藤浪晋太郎(現オリオールズ)、森友哉(現オリックス)のバッテリーを擁してこの年の甲子園春夏連覇を果たす大阪桐蔭(大阪)と初戦で対峙する。すると、打者として2回の第1打席、藤浪のカウント2-2からのスライダーをすくい上げ、長い滞空時間でのライト越えの先制弾を放つ。さらに投手としても5回まで2安打無失点の好投を見せる。しかし、6回に逆転を許すと最終的に8回2/3を7安打11四死球9失点(自責5)と乱れて2対9で敗れ、再び初戦で姿を消すことになった。

 迎えた最後の夏、大谷は岩手県大会でアマチュア球界史上初となる160キロを計測して大きな話題を集めたが、県大会決勝で盛岡大付に敗れて甲子園出場ならず。不完全燃焼の高校時代ではあったが、その分、大きな余白を残した状態でプロの扉を開けることになった。

 そして、今年は高校通算本塁打記録を塗り替えた大型スラッガー・佐々木麟太郎(3年)が最後の夏を迎えている。大先輩の大谷でも果たせなかった「岩手から日本一」の夢に向け、21日に岩手県大会の準々決勝を戦う。

藤浪晋太郎大阪桐蔭(大阪)

 その大谷と同学年のライバルだった男は、高校時代に圧巻のピッチングで甲子園春夏連覇を成し遂げた。

 中学校卒業時に身長194センチに達していたという大型右腕は、浅村栄斗(現楽天)らを擁して全国制覇(2008年夏)を果たした2年後に大阪桐蔭に入学した。当初から期待は特大。1年春からベンチ入りし、1年秋から先発投手として結果を残し、2年夏に150キロを計測した。だが、2年夏に府大会決勝で敗れるなど、3年春まで甲子園の土を踏むことはできなかった。

 2012年、満を持した甲子園の舞台で藤浪は躍動を続けた。2年春の初戦で花巻東(岩手)と対戦し、大谷翔平(現エンゼルス)に被弾するも9回を8安打12奪三振2失点で勝ち上がると、続く九州学院(熊本)戦では大塚尚仁(元楽天)と投げ合い、9回6安打8奪三振1失点。浦和学院(埼玉)戦は6回からリリーフ登板して4回を6安打6奪三振無失点で大会最速の153キロを計測すると、準決勝は健大高崎(群馬)を9回7安打9奪三振1失点。そして決勝では、田村龍弘(現ロッテ)、北條史也(現阪神)を擁した光星学院(青森)を相手に9回12安打6奪三振3失点の力投で、7対3の勝利を収めて頂点に立った。

 夏は、さらに輝いた。初戦の木更津総合(千葉)戦から153キロを計測して9回6安打14奪三振1失点で滑り出すと、準々決勝の天理(奈良)戦でも9回4安打13奪三振1失点と相手を寄せ付けず。そして準決勝の明徳義塾(高知)戦で9回2安打8奪三振無失点、春の再戦となった決勝では光星学院(青森)を9回2安打14奪三振無失点と、2日連続の2安打完封劇で史上7校目の春夏連覇に導いた。春夏計76イニングを投げて、90奪三振、20四死球防御率1.07という甲子園通算成績は「怪物」と呼ぶに相応しいものだった。

 藤浪以前、そして以降も、甲子園には幾人もの「怪物」が登場してきた。そして今夏も、母校・大阪桐蔭のエース・前田悠伍(3年)を含めて“候補者”が多くいる。果たして、彼らは甲子園の舞台で輝けるのか。まずは万全のコンディションで夏を過ごしてもらいたい。

ダルビッシュ有:東北(宮城)

 今年6月、野茂英雄に続くメジャー通算100勝を達成した稀代の右腕は、2年生時から甲子園4季連続出場を果たし、多くの“ドラマ”を演じ、経験した。

 甲子園初登場は1年秋の東北大会を制した後の2003年春だった。当時、成長痛や右わき腹痛を抱えた状態で万全ではなかったというが、スラリとした長身から切れ味鋭いボールを投げ込み姿は”大器”を予感させ、初戦の浜名(静岡)戦で9回4安打無四球1失点完投に抑え込んだ。だが、続く花咲徳栄(埼玉)戦では乱調で6回12安打9失点。早々に姿を消すことになった。

 その経験を経て迎えた夏、ダルビッシュは頂点に近づく。初戦の筑陽学園(福岡)で腰痛によって2回緊急降板のアクシデントも、続く近江(滋賀)戦では9回を投げ抜き、10安打を許しながらも要所を抑えての1失点。そして3回戦の平安(京都)戦では延長11回を2安打15奪三振無失点の快投劇を披露した。その後、準々決勝で光星学院(青森)では3回1/3イニング、準決勝で江の川(島根)では未登板の中でチームが勝ち上がると、決勝では常総学院(茨城)を相手に先発して9回を12安打4失点の力投。しかし、スコアは2-4と2点届かず、あと一歩で優勝を逃すことになった。

 そして3年春だ。1回戦で熊本工(熊本)と対戦すると、ダルビッシュはゆったりとしたフォームから伸びのあるストレートと変幻自在の変化球で相手打線を手玉に取り、大会史上12度目となるノーヒット・ノーランを達成した。さらに続く2回戦では大阪桐蔭(大阪)との優勝候補同士の対決に3対2で勝利する。だが、準々決勝の済美(愛媛)戦は右肩痛で先発を回避。それでも眼鏡のサイド右腕・真壁賢守の力投で9回2死まで6対4とリードしていたが、「あと1球」からレフトを守っていたダルビッシュの頭上を越えるサヨナラ3ランが飛び出すことになった。

 最後の夏は、1回戦で北大津(滋賀)を9回8安打10奪三振、2回戦で遊学館(石川)を3安打12奪三振で2試合連続完封という万全のピッチングを披露して「今度こそ」との期待が高まった。だが、3回戦の千葉経大付(千葉)戦で再び“ドラマ”が襲う。雨の中、1対0とリードして9回を迎えるも、2死3塁からのサードゴロがタイムリーエラーとなって延長戦に突入。延長10回に勝ち越し点を許して敗れることになった。

 特別な才能を持った選手、強さを誇るチームであっても、勝ち続けるのは至難の業だ。それは今夏、宮城県大会準々決勝で東北を下したライバル・仙台育英にとっても同じことが言える。ダルビッシュが果たせなかった「白河の関越え」を2年連続で果たすことができるのか。今夏の“ドラマ”の行く末に注目したい。

高校野球あれこれ 第118号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【日本ハム編】 

甲子園でフィーバーを巻き起こした2人の主役

決勝で敗れたが、2018年夏の主役は吉田輝星だった 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は日本ハム編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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吉田輝星:金足農(秋田)

 ドラフト1位でプロ入りした右腕の高校時代の記憶は、まだ新しい。2018年夏の甲子園で「金農旋風」と呼ばれるフィーバーを巻き起こした。

 秋田で生まれ、秋田で育ち、秋田の県立金足農業高校に入学し、1年夏からベンチ入りした。2年夏には県大会で同校10年ぶりの決勝進出を果たすも、同じ2年生として山口航輝(現ロッテ)、曽谷龍平(現オリックス)がいた明桜に6回途中5失点でKOされて甲子園には届かなかった。だが翌夏、県大会決勝で再び明桜と対戦し、今度は9回4安打11奪三振の完封劇で聖地行きの切符を手にすることになった。

 本格派右腕としての注目を集めて臨んだ夏の甲子園、初戦の鹿児島実(鹿児島)から自慢の“伸びるストレート”を武器に14奪三振を記録。9回9安打1失点の力投を演じる。続く大垣日大(岐阜)戦では9回6安打3失点13奪三振。そして3回戦では優勝候補に挙げられていた横浜(神奈川)を相手に9回12安打4失点14奪三振をマーク。初回に2点を奪われるも3回に自らの2ランで追いつくと、最速150キロを計測したストレートで相手打線をねじ伏せ、8回の逆転劇(5対4)に繋げた。

 さらに準々決勝では近江(滋賀)を相手に、吉田が9回7安打2失点(自責1)に抑えると、9回裏に2ランスクイズが決まり3対2のサヨナラ勝ち。準決勝の日大三西東京)戦も1点を争う好ゲームとなったが、吉田が9回を9安打1失点の5試合連続完投で2対1の勝利を収めた。決勝では“最強世代”の大阪桐蔭打線につかまって5回12失点(自責11)で敗れることになったが、地元出身者のみの県立高、そして6試合50イニング、計881球を投じた吉田の奮闘ぶりに大きな拍手が送られた。

 あの夏以来、金足農は春夏通じて甲子園の舞台に立てていない。今夏も県大会初戦で秋田中央に延長タイブレークの末に4対5で敗れた。だが、同試合で吉田輝星の弟・大輝(1年)が公式戦デビュー。来年以降の“聖地帰還”に期待したい。

清宮幸太郎早稲田実西東京

 プロの舞台で苦しみながらも天性の長打力を見せている男は、小学生時代から飛び抜けた才能を見せつけ、高校通算111本塁打を記録した“怪物”だった。

「東京北砂リトル」時代に世界大会で優勝し、米メディアから「和製ベーブ・ルース」と報道された清宮は、「調布シニア」でも全国優勝を果たす。そして鳴り物入り早稲田実へ入学すると、すぐに「3番・ファースト」として快音を残し、早くも“清宮フィーバー”と呼ばれるような人気と注目を集めていた。

 だが、その知名度に反して、夏の甲子園に出場したのは1年生だった2015年の1度のみだった。だが、その“1度”でスターになる。初戦の今治西(愛媛)戦で4打数1安打1打点、続く堀瑞輝(現日本ハム)を擁した広島新庄(広島)戦では4打数2安打1打点、そして3回戦の東海大甲府(山梨)戦で甲子園初アーチを含む3安打5打点の活躍を見せた。さらに準々決勝の九州国際大付(福岡)戦でも2号アーチを含む2安打1打点。準決勝で仙台育英(宮城)に敗れたが、1年生ながら大会を通して打率.474、2本塁打、8打点の好成績を残した。

 清宮が再び甲子園に戻ってきたのは3年春。1年時以上に世間からの大きな注目を集めた中、初戦は明徳義塾(高知)に延長戦の末に5対4で勝利し、清宮は4打数1安打。続く2回戦の東海大福岡(福岡)戦では三塁打二塁打の2安打を放ったが、チームは8対11で敗れた。そして最後の夏は、都大会決勝で東海大菅生に敗れて、甲子園には届かず。それでも履正社の安田尚憲(現ロッテ)、広陵の中村奨成(現広島)、そして九州学院の村上宗隆(現ヤクルト)らの同学年の強打者の中でも、頭一つ抜けた存在だった。

 早稲田実は、清宮が卒業後は甲子園出場を果たせていないが、今夏、群雄割拠の西東京を勝ち抜けるか。そして、清宮が記録した高校通算111本塁打の歴代最多記録を更新した佐々木麟太郎(花巻東)は、その記録をどこまで伸ばすのか。注目点は多い。

万波中正:横浜(神奈川)

 今やリーグを代表するスラッガーの仲間入りを果たした男は、高校時代から抜群の身体能力、規格外の飛距離で大きな注目を集めていた。

 中学時代からすでに話題だった。テレビ番組で身長188センチ、最長飛距離140メートル、スイングスピード154キロの「スーパー中学生」として取り上げられた。名門・横浜高校では、2学年上に藤平尚真(現楽天)、石川達也(現DeNA)、1学年上に福永奨(現オリックス)、増田珠(現ソフトバンク)がいた中で入学後すぐに試合に出場し、1年夏の県大会で横浜スタジアムの大型ビジョンに直撃する135メートル弾を放って「スーパー1年生」と騒がれた。
 
 甲子園デビューは、2年時の2017年夏だった。初戦で田浦文丸(現ソフトバンク)擁する秀岳館(熊本)戦に「5番・ライト」で出場して1安打を記録。1学年下の及川雅貴(現阪神)の後を受けて4番手としてマウンドに上がって146キロを計測するも、2/3回を2安打2失点。チームは4対6で敗れて涙を飲んだ。
 
 3年夏、万波の背番号は「13」だった。春に極度のスランプに陥って一時、メンバー外になったからだ。だが、最後の大会が始まると一気に調子を上げ、南神奈川大会(※この年は記念大会のため、南北神奈川大会として開催)の4試合で打率.542、2本塁打、12打点と快音連発。特に準々決勝・立花学園戦で放ったバックスクリーン直撃弾は周囲を驚かせるものだった。だが、背番号「9」で出場した甲子園本大会では、1回戦の愛産大三河(愛知)、2回戦の花咲徳栄(埼玉)を相手にノーヒット。ようやく3回戦の金足農(秋田)で吉田輝星(現日本ハム)と対戦して2安打をマークしたが、チームは4対5で敗れ、不完全燃焼のまま大会を去った。

 今夏の横浜も能力の高い選手を揃えながら攻守に高いレベルのチームとなっており、7月21日の準々決勝・相洋戦を迎える。

高校野球あれこれ 第117号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【中日編】 

夏の甲子園を制覇した“エース&守護神”、新4番は投手として春優勝

小笠原(中日)は”ダブルエース”の一人として2015年の夏を制した 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は中日編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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小笠原慎之介東海大相模(神奈川)

 プロ入り以降、一歩ずつ成長しながら昨季自身初の2ケタ勝利を挙げ、今季はさらに先発ローテーションとして存在感を増している左腕は、甲子園優勝投手の肩書を背負っている。

 中学時代にU-15日本代表にも選ばれ、強豪・東海大相模でも1年春からベンチ入りした。2年時夏に同級生の吉田凌(現オリックス)を含めた「140キロカルテット」として注目を集めて甲子園に出場。初戦で松本裕樹(現ソフトバンク)を擁する盛岡大付(岩手)と対戦し、2番手として救援登板して1回1/3イニングを1安打3奪三振無失点に抑えたが、惜しくも3対4で敗れた。

 その悔しさを胸に3年となった2015年夏、ひと回りもふた回りも大きくなって聖地に帰ってくる。吉田との「ダブルエース」で、県大会で27イニングを投げて30奪三振防御率0.00という圧倒的なピッチングで激戦区・神奈川を制する。迎えた甲子園では、初戦の聖光学院(福島)戦の9回にリリーフ登板して151キロを計測すると、続く遊学館(石川)戦は先発して8回を6安打2失点の好投。準々決勝は4回途中からマウンドに上って5回1/3を2安打無失点の好救援でチームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。

 そして準決勝ではオコエ瑠偉(現巨人)を擁した関東一を下し、決勝戦では佐藤世那(元オリックス)、平沢大河(現ロッテ)、郡司裕也(現日本ハム)を擁した仙台育英(宮城)に勝利。最後は9回を9安打6失点(自責5)の完投に加え、自ら9回に決勝アーチを放って頂点に立った。

 この年の夏に45年ぶり2度目の優勝を飾った東海大相模は、2021年には春3度目の優勝を飾った。その後、小笠原も教えを受けた門馬敬治監督が退任し、原俊介監督のもとで新たなスタートを切っている。今夏は4年ぶりとなる夏の甲子園出場を目指し、7月20日に準々決勝・桐光学園戦を迎える。

清水達也:花咲徳栄(埼玉)

 威力十分のストレートと鋭いフォークを武器に、すっかり勝利の方程式の一角を担っている23歳は高校時代、剛腕クローザーとして甲子園の頂点に立った。

 1年夏からベンチ入りするも1学年上に絶対的なエース・高橋昂也(現広島)がいたために出番が少なく、2年秋から背番号1を背負った。そして2017年の3年夏、綱脇慧(現ENEOS)との継投リレーで埼玉県大会を制すると、甲子園では西川愛也(現西武)、野村佑希(現日本ハム)の3、4番コンビを軸とした打線が全試合で2ケタ安打&9得点以上を奪った中、チームの“守護神”として全6試合にリリーフ登板した。

 力でねじ伏せた。初戦の開星(島根)戦での1回無安打無失点から、日本航空石川(石川)戦で2回2/3を1安打無失点、3回戦の前橋育英(群馬)戦で2回1/3を3安打無失点、準々決勝の盛岡大付(岩手)戦で1回無安打無失点と、いずれもリリーフ登板で完璧なピッチングを披露する。4回途中から登板した準決勝の東海大菅生西東京)戦では、土壇場の9回に大会初失点して延長に持ち込まれるも、延長戦の末に勝利。自身は7回2/3を投げて6安打2失点だった。

 決勝では、同大会で個人最多記録となる6本塁打を放っていた中村奨成(現広島)を擁する広陵(広島)を相手に、リリーフで5回を6安打1失点に抑える力投を披露し、胴上げ投手になった。個人としては計21イニングを投げて17安打、14奪三振、自責3の防御率1.29。チームとしては、埼玉県勢初の夏の甲子園優勝だった。
 
 花咲徳栄は、その後も甲子園出場はあるが上位には進出できていない。まずは今夏、昌平や浦和学院などのライバル校を抑えて埼玉を制することができるか。7月21日に4回戦を戦う。

石川昂弥:東邦(愛知)

 地元出身のスラッガー、新たな竜の4番として大きな期待を背負う男は、センバツ大会で優勝を経験した。

 1年春からベンチ入りし、1年秋から「4番・サード」に座り、東海大会3試合で打率.429、2本塁打、6打点と、早くも大器ぶりを見せ付けた。だが、2年春に出場した2018年のセンバツ大会は、花巻東(岩手)相手に初戦敗退。自身も4打数無安打に抑え込まれた。そして2年夏も県大会で敗れて甲子園にはたどり着けなかった。

 だが、翌2019年の春、今度は「エース兼主砲兼主将」として出場すると、初戦の富岡西(徳島)戦で9回1失点&1安打2打点、続く広陵(広島)戦で6回無失点&2安打1本塁打2打点と投打に活躍する。続く準々決勝の筑陽学園(福岡)戦で7回2失点、準決勝の明石商(兵庫)戦では9回2失点で中森俊介(現ロッテ)に投げ勝った傍ら、打者としては2試合連続無安打に終わったが、決勝では習志野(千葉)を相手に2本塁打を放って3安打4打点と爆発すると、投げても9回を3安打無失点に抑える完璧な“二刀流”で優勝を果たした。

 注目された3年夏は、県大会の2回戦で早期敗退するも、その後のU-18W杯では佐々木朗希(現ロッテ)、奥川恭伸(現ヤクルト)、西純矢(現阪神)、宮城大弥(現オリックス)と錚々たる投手陣を揃えた中、「4番・指名打者」として出場した。そのままプロでは高校通算55本塁打の長打力を活かして打者として勝負している。

 東邦は今春、優勝した年以来のセンバツ出場を果たしたが、3回戦で報徳学園に延長タイブレークの末に敗れた。そのリベンジを果たすためにも、まずは群雄割拠の愛知県大会を勝ち抜けるか。7月21日に4回戦を戦う。

高校野球あれこれ 第116号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【ロッテ編】 

2年春に全国制した左腕と甲子園にアーチを架けた男たち

最強世代の一人である藤原(ロッテ)は大舞台での勝負強さが光った 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回はロッテ編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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藤原恭大:大阪桐蔭(大阪)

 高卒5年目の今季、中堅手のレギュラーを獲得した男は、高校時代に“最強世代”の一員として甲子園で暴れ回った。

 中学時代、枚方ボーイズで小園海斗(現広島)らとともに全国優勝を果たした能力は、大阪桐蔭でもすぐに認められて1年夏からセンターの定位置を掴んだ。そして2017年春のセンバツ大会で甲子園デビュー。走攻守において高いレベルのプレーを披露し、大阪対決となった安田尚憲(現ロッテ)擁する履正社との決勝戦では2本塁打&猛打賞の活躍で優勝に貢献した。

 そして翌2018年、4番打者として春夏連続で甲子園に出場し、春は5試合22打数8安打の打率.364、0本塁打、7打点、夏は26打数12安打の打率.462、3本塁打、11打点の活躍で春夏連続での甲子園制覇に貢献した。準々決勝の浦和学院(埼玉)戦で渡邉勇太朗(現西武)のストレートをスタンドに放り込めば、吉田輝星(現日本ハム)を擁した金足農(秋田)と対戦した夏の決勝戦で2塁打2本の3安打2打点をマークした。

 自身が3度立った甲子園の決勝舞台では、打率.571、2本塁打、5打点の大暴れ。根尾昂(現中日)、柿木蓮(現日本ハム)、横川凱(現巨人)らが揃って「最強世代」と呼ばれたチームの中でも、この男の勝負強さは際立っていた。

 U-18侍ジャパンにも2年時、3年時と2年連続で選ばれ、2年時は「1番・ライト」、3年時は「4番・センター」で出場して世代を代表するスター選手であることを証明し、プロ入り後の「トリプルスリー達成」を期待させる能力を見せていた。その意味では、今以上の活躍を今後、期待したいところだ。

 今年の大阪桐蔭も甲子園優勝候補に挙げられるほど戦力は充実しているが、まずは激戦の大阪大会を勝ち抜く必要がある。他府県で強豪校が次々と敗れる波乱が相次いでいる中、彼らの大阪での戦いにも注目が集まる。

小島和哉:浦和学院(埼玉)

 安定したピッチングですっかり先発ローテーションに定着している左腕は、高校2年だった2013年春のセンバツ大会で優勝投手となった。

 タフでクレバー、完成度の高さが光っていた。1年夏からベンチ入りして公式戦のマウンドも経験。1年秋に早くも主戦投手となると、関東大会では前橋育英(群馬)の髙橋光成(現西武)にも投げ勝って優勝に貢献し、早くも注目される存在となった。

 迎えた2年春、初戦の土佐(高知)戦で9回6安打完封劇を披露すると、続く山形中央(山形)戦でも8回4安打1失点の好投。さらに準々決勝の北照(北海道)戦では7回1安打無失点、準決勝の敦賀気比(福井)でも9回5安打1失点と、常に最少失点以下に抑えて決勝進出の原動力となった。

 決勝戦は、同じ2年生エースだった安樂智大(現楽天)を擁する済美(愛媛)との対戦だった。「剛」の安樂に対して「柔」の小島。結果は9回8安打1失点の小島に軍配が上がり、浦和学院が17対1で勝利して同校初の全国制覇を成し遂げた。この大会では安樂が投じた「772球」がその後の高校球界の球数制限に繋がったが、小島も5試合で計580球を投じ、その中で防御率0.64(42イニング、自責3)の快投劇を演じたのだった。

 ただ、2年夏は埼玉県大会で完全試合を達成したが、甲子園では初戦で上林誠知(現ソフトバンク)、熊谷敬宥(現阪神)らを擁した仙台育英(宮城)打線につかまって9回途中11失点(自責8)を喫し、10対11のサヨナラ負け。そして3年時は、県大会で早期敗退が続いて甲子園舞台にたどり着くことはできなかった。それでも早稲田大でエースとなって心身ともにひと回り成長し、プロの舞台でもしっかりと実績を残している。

 浦和学院は1991年の就任からチームを育て上げてきた森士監督が2021年夏の甲子園を最後に退任し、長男の森大新監督の下で再出発。2022年春には甲子園4強入りを果たした。今夏も2回戦、3回戦と順当に勝利し、7月21日に4回戦を戦う予定となっている。

平沢大河:仙台育英(宮城)

 傑出した打撃センスを発揮し、甲子園に3本のアーチを架けた。

 名門・仙台育英で1年秋からショートのレギュラーを奪取し、同学年のエース・佐藤世那(元オリックス)、捕手・郡司裕也(現日本ハム)が揃った中でチームをけん引し、2年秋の明治神宮大会では決勝の浦和学院(埼玉)戦で2ランを放って優勝に貢献した。

 甲子園には2015年に春夏連続で出場し、主将としてチームを引っ張った。春は初戦で神村学園(鹿児島)に12対0の大勝発進も、続く2回戦でエース・平沼翔太(現西武)を擁した敦賀気比(福井)に1対2で敗れて不完全燃焼。だが夏は、明豊(大分)、滝川二(兵庫)、花巻東(宮城)、秋田商(秋田)を下して勝ち上がり、準決勝では清宮幸太郎(現日本ハム)が1年生で3番に座っていた早稲田実西東京)と対戦し、4回の第3打席で自身大会3本目の本塁打となる3ランを放って7対0の大勝を収めた。

 決勝戦の相手は東海大相模(神奈川)だった。東北勢初の優勝という大きな期待を背負ったが、6対10で頂点には届かず。自身は相手エース左腕・小笠原慎之介(現中日)から2安打を放ったが、最後の最後で涙を飲むことになった。

 平沢が果たせなかった“夢”は、後輩たちが2022年夏に叶え、悲願の「白河越え」を達成した。夏連覇の期待がかかる今夏の仙台育英は、7月20日の県大会準々決勝でライバル東北と激突する。

高校野球あれこれ 第115号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【広島編】 

甲子園決勝で“謝罪”した「4番・エース」と逆転満塁弾を浴びた右腕

堂林は中京大中京の「4番・エース」として2009年夏の甲子園を制した 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は広島編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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堂林翔太中京大中京(愛知)

 「エース兼4番」として、投げては140キロ台のストレートと多彩な変化球をコーナーに投げ分け、打っては抜群のバットコントロールでヒットを量産した。

 高校1年夏から公式戦に登板した。その後しばらくは名門校の層の厚さや自身の故障などに苦しんだが、2年秋の東海大会では全4試合で完投勝利を挙げて優勝に貢献した。そして迎えた2009年、春のセンバツ大会に「4番・投手」として出場すると、1回戦で神村学園(鹿児島)、2回戦で倉敷工(岡山)に勝利して16強入り。だが、準々決勝で報徳学園(兵庫)を相手に土壇場の9回に2点を奪われて5対6の逆転負けを喫した。

 春の3試合を投げてはすべて完投、打っては打率.584をマークした堂林は、夏も甲子園に戻ってきた。再び「4番・投手」を務め、1学年下の磯村嘉孝(現広島)とバッテリーを組んだ。1回戦で酒居知史(現楽天)を擁した龍谷大平安(京都)を5対1で下すと、関西学院(兵庫)、長野日大(長野)、都城商(宮崎)を撃破して4強入り。そして準決勝では春の準優勝左腕・菊池雄星(現ブルージェイズ)と対戦。菊池が背筋痛でベンチスタートとなった中、初回の第1打席で先制タイムリーを放つと、投げては8回を6安打1失点に抑えて11対1の大勝を収めた。

 迎えた決勝戦では、日本文理(新潟)を下して深紅の優勝旗を手にすることになった。だがこの試合、4番としては本塁打を含む3安打を放ったが、リリーフで登板して投手としては10対4で迎えた9回表2死走者なしから、相手の連打を許して「日本文理の夏はまだ終わらない!」の実況とともに1点差にまで追い上げられる事態を招いた。そして試合後、「最後、苦しくて…」と涙を流しながら顔を伏せ、優勝インタビューとしては異例の「情けなくてすみませんでした」と謝った姿は印象的だった。

 夏の甲子園で打率.522の高打率をマークした堂林は、プロでは野手一本で勝負している。そして後輩たち、今夏の中京大中京はノーシードからの登場となっている。東邦、愛工大名電、享栄など群雄割拠の愛知を制する高校は果たしてどこになるのだろうか。

野村祐輔広陵(広島)

 今夏に完全復活の気配を漂わせている元新人王&最多勝右腕も、夏の甲子園の決勝舞台に立った。

 広陵高校で1年春からベンチ入りし、エースとなった2年秋に広島県大会、さらに中国大会優勝を飾る。そして3年生となった2007年春のセンバツ大会で8強入り。1回戦での成田(千葉)戦で唐川侑己(現ロッテ)との息の詰まる投手戦の末に延長12回を1失点に抑えると、続く北陽(大阪)戦では守備位置を一塁に変えながら先発、中継ぎ、抑えと3度に渡ってマウンドに上がり、計8回1/3を投げて3安打無失点ピッチングを披露した。だが、準々決勝では帝京(東東京)相手に痛打を浴びて8回7失点で大会を去った。

 2007年夏、再び聖地のマウンドにたどり着いた野村は、初戦で3年連続決勝進出中だった駒大苫小牧南北海道)を下した後、東福岡(福岡)、聖光学院(福島)打線を寄せ付けず。準々決勝では熊代聖人(元西武)を擁した今治西(愛媛)、準決勝ではエース・田中健二朗(現DeNA)を擁して春夏連覇を目指していた常葉菊川(静岡)に勝利して決勝進出を果たした。

 優勝旗は目前だった。だが、佐賀北(佐賀)を相手にした決勝戦では7回まで被安打1の快投を演じながら、8回裏に“がばい旋風”に飲み込まれる形で逆転満塁本塁打を被弾した。それでも小林誠司(現巨人)とのバッテリーで、甲子園春夏通算9試合74回1/3イニングを投げて16四死球と抜群の制球力で防御率2.54の好成績を残した右腕のピッチングは、多くのファンの脳裏に焼き付いている。

 野村は明治大を経て広島入り。広陵は野村以外にも多くの選手をプロ舞台に送り込んでおり、今年のチームにはドラフト上位候補の左のスラッガー・真鍋慧(3年)がいる。甲子園でも上位進出が期待されている。

坂倉将吾:日大三(東京)

 甲子園の決勝舞台に立った2人の投手に対して、25歳にして打線のキーマンにして今季から正捕手としての役割も担っている男は、高校時代に目標であった甲子園出場を果たすことはできなかった。

 注目はされていた。名門・日大三で1年秋から「4番・ライト」で出場し、2年春の都大会では打率.419、2本塁打の活躍で優勝を飾り、関東大会でも満塁弾を放つなど、鋭いスイングと高い身体能力、勝負強さは群を抜いていた。2年夏も3年生の強打者が並ぶ中で唯一、2年生として4番に座って快音連発も、都準決勝で1年生の清宮幸太郎(現日本ハム)を擁した早稲田実に敗れた。

 迎えた最終学年は、本職である捕手に座ってチームの大黒柱となった。高校生活最後となった2016年の夏、1学年下のエース左腕・櫻井周斗(現DeNA)をリードしながらバットでも相変わらずの快音連発で勝ち進んだが、準決勝で東海大菅生に2対4の惜敗を喫し、涙を飲むことになった。

 それでも3年間、日大三の厳しい練習の中で身に着けた実力は本物だった。甲子園未出場ながらU-18侍ジャパンにも選ばれて世代トップクラスの能力を証明すると、2016年秋のドラフト会議で広島から4位指名を受けてプロ入りし、確かな結果を残しながら順調に成長している。

 日大三は今年3月に、38年間に渡って多くの選手を育て挙げた中で2度の全国制覇に導いた名将・小倉全由監督が退任した。三木有造新監督の下で迎える初めての夏、初戦で強豪・国士館を16対2で一蹴して好スタートを切った。昨夏に続いての甲子園出場なるか。今後の戦いが注目される。
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高校野球あれこれ 第114号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【楽天編】

 “伝説の決勝”演じた右腕と奪三振記録を打ち立てた左腕

2006年夏、延長再試合の決勝戦を戦った駒大苫小牧のエース・田中(楽天)。初々しい表情が印象的だ 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は楽天編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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田中将大駒大苫小牧南北海道

 “マー君”と呼ばれて愛された男は、高校時代に「光」と「影」の両方を味わったと言える。

 兵庫県伊丹市の「昆陽里タイガース」で捕手を務めて“投手・坂本勇人”とバッテリーを組んでいたエピソードは有名だが、それはプロになって以降に知られるようになった話。最初に“投手・田中”が世に出たのは、高校2年の2005年春だろう。前年夏の甲子園を制したチームとして注目を集めた中、1回戦で戸畑(福岡)を相手に9回6安打1失点(自責0)の完投勝利をマーク。続く神戸国際大付(兵庫)戦では救援登板で4回無安打無失点ピッチングを披露。チームは2回戦敗退となったが、その後に活躍に通じる大舞台での強さを存分に見せた。

 そして「光」になったのが2005年の夏だ。松橋拓也との2枚看板で4試合(先発2試合)に登板。準々決勝の鳴門工(徳島)戦では3回途中からリリーフして12奪三振をマーク。準決勝では辻内崇伸(元巨人)、平田良介(元中日)を擁して当時「西の横綱」と言われていた大阪桐蔭(大阪)を相手に7回1/3を6安打5失点(自責4)で9奪三振の力投を演じると、決勝の京都外大西(京都)戦でも5回途中からリリーフして好投。最終回は圧巻の三者連続三振で頂点に立った。

 2年生で甲子園優勝投手となった田中は、新チームになって以降“絶対的エース”となって連勝街道を歩み、世代ナンバーワン投手の地位を確立する。だが翌2006年、3年春のセンバツ大会が部員の不祥事で辞退となると、満を持して迎えたはずの3年夏は大会直前にウイルス性腸炎で体調を崩し、本調子とは程遠い状態でマウンドに上ることになる。それでも初戦の南陽工(山口)戦で9回7安打3失点14奪三振の完投勝利を収め、その後も青森山田(青森)、東洋大姫路(兵庫)、智弁和歌山(和歌山)との接戦を勝ち抜き、再び決勝舞台にたどり着いた。

 だが、この大会の「主役」は早稲田実西東京)のエース・斎藤佑樹(元日本ハム)だった。田中は決勝2試合(1対1、3対4)で計20イニングに渡って力投を続けたが、あと一歩及ばず。最後は自身が斎藤の144キロのストレートで空振り三振に打ち取られた。だが、「伝説の決勝」と語り継がれる死闘を終えた田中がゲームセット直後に見せた笑みは、その後の野球人生の中で強く、何度も、強く光り輝くことになった。

 夏の甲子園2連覇、3年連続で決勝進出を果たした駒大苫小牧だったが、田中の卒業後に名将・香田誉士史も辞任。春の甲子園は2014年、2018年と2度出場も、夏は2007年を最後に遠ざかっている。今年のチームはエース・北嶋洸太(3年)を中心に春季全道大会で優勝。多くのファンが“聖地帰還”に期待を寄せている。

松井裕樹桐光学園(神奈川)

 この男の高校時代の勇姿も、多くの人が覚えているだろう。2年生エースとして出場した2012年夏の甲子園で強烈なインパクトを残した。

 1年夏は神奈川県大会決勝で近藤健介(現ソフトバンク)、柳裕也(現中日)らがいた横浜相手に先発して4回2安打無失点の好投も、チームは延長10回サヨナラ負け。1年秋からエースとなり、迎えた2年夏、県準々決勝で横浜と対戦し、再び柳と投げ合った上で淺間大基(現日本ハム)、髙濱祐仁(現阪神)などを揃えた打線を9回3安打3失点。決勝では齊藤大将(現西武)がいた桐蔭学園に勝利して神奈川の頂点に立った。

 そして迎えた2012年夏の甲子園初戦で周囲の度肝を抜く。打者から「消える」スライダーを武器に、初戦で今治西(愛媛)相手に大会新記録となる10者連続&22奪三振をマークして2安打完封劇を披露する。その後も奪三振ショーを続け、2回戦の常総学院(茨城)戦で19奪三振、3回戦の浦添商(沖縄)戦では12奪三振をマークして勝ち上がる。準々決勝の光星学院(青森)戦でも田村龍弘(現ロッテ)、北條史也(現阪神)を揃えた打線から計15奪三振を奪ったが、9回3失点で敗退。それでも大会を通して4試合、36イニングを投げて歴代3位となる68奪三振奪三振率は実に17.00の快投をみせた。

 そこからの1年間は“松井フィーバー”の時を過ごした。常に注目されるマウンドの中で自身も進化、成長した姿を見せていたが、3年時は春、夏ともに甲子園出場ならず。最後の夏は徹底した“松井対策”の練習を積み重ねてきた横浜の淺間、髙濱に被弾し、8回8安打3失点で敗退した。

 神奈川のレベルの高さはあったが、最後の夏に県大会で敗れたこと、さらに174センチという高くない身長、右足が突っ張る投球フォームなども指摘され、当時の松井の将来性に対しては懐疑的な目を向ける声もあった。だが、その声をプロの舞台で見事なまでに吹き飛ばしている。

 あれから10年、今年の神奈川大会は、エース・杉山遙希(3年)、注目の遊撃手・緒方漣(3年)を擁する横浜が本命に挙げられているが、今春の県王者の慶応、さらに東海大相模、相洋、横浜隼人など多士済々。桐光学園はノーシードからの登場で激戦を勝ち抜き、16日に4回戦を迎える。

小郷裕哉:関西(岡山)

 田中、松井以外にも甲子園で活躍した選手は多くいるが、大卒プロ5年目の今季、シーズン途中から3番打者に定着して奮闘を続けている26歳の高校時代も振り返りたい。

 岡山県倉敷市出身で隣接する岡山市関西高校へ進学し、1年夏からレギュラーを掴む。「2番・セカンド」として出場した同年秋の神宮大会では、決勝で上林誠知(現ソフトバンク)を擁した仙台育英に敗れるも、1年生ながら打率.419をマークして注目を集めた。

 そして2013年、2年春のセンバツ大会で甲子園デビュー。だが、初戦で和田恋(現楽天)がいた高知(高知)と対戦して1対5で敗退。「2番・セカンド」で出場した小郷は、自第1打席で四球、第2打席から3打席凡退の後の第5打席で意地の3塁打を放ったが、勝利には結びつかなかった。

 新チームとなって4番に座ると、2014年夏の県大会で打率.474をマークするとともに4盗塁とスピードも見せて打線を引っ張り、関西を3年ぶり9度目の甲子園出場に導く。だが、甲子園では富山商(富山)相手に初戦敗退。自身も4打数無安打2三振に倒れ、高校通算28本塁打の力を大舞台で発揮することはできなかった。

 甲子園でのアピール不足もあってか、プロ志望届を提出するも指名漏れ。それでも進学した立正大で自身の実力を証明しながら成長を遂げてプロ入り。甲子園に2度出場も2試合で1安打のみ、大学を経ての指名順位も7位と低いものだったが、そこから這い上がり、しっかりと1軍の戦力となっている男の道程には、田中、松井らとは違った“強さ”がある。

 今年の関西は2回戦で倉敷工に惜しくも3対4で敗れた。だが、今年の岡山は注目度が高く、春の県大会王者で中国大会4強入りの岡山学芸館を中心に、春準優勝の玉野光南、昨秋優勝のおかやま山陽など、実力拮抗で見どころ十分となっている。

高校野球あれこれ 第113号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【巨人編】 

1試合2発の和製大砲と、甲子園後に注目集めた次代エース

球界を代表するスラッガーに成長した岡本(巨人)は、3年春の甲子園で1試合2本塁打を放った 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は巨人編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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岡本和真:智弁学園(奈良)

 史上最年少で「3割30本100打点」達成し、WBCでも活躍した不動の4番の威圧感は、高校時代からすでに備わっていた。

 小学生時代から抜きん出た才能を周囲に見せ付け、中学時代はシニアリーグ日本代表の4番として全米選手権に出場して優勝に貢献し、多くの強豪校スカウトの声がかかっていたという。そして子供の頃からの憧れだったという地元・奈良の智弁学園に進学すると、1年秋から4番に座ってすぐさまアーチを量産し、2年生までに高校通算本塁打数50本をクリアして見せた。

 甲子園デビューは2014年の3年春まで待たなければならなかったが、その分、鮮烈だった。初戦の三重(三重)戦、初回の第1打席でいきなりセンターへの本塁打を放つと、第2打席のヒットを挟んで迎えた6回の第3打席ではレフトへ大飛球を飛ばして1試合2本塁打。続く2回戦で田嶋大樹(現オリックス)を擁する佐野日大(栃木)に延長10回サヨナラ負けを喫したが、ファンの脳裏に“岡本和真”を強烈に印象付けた。

 続く3年夏も注目されたが、今度は初戦で岸潤一郎(現西武)を擁する明徳義塾(高知)と対戦して4対10で敗退。当時のチームには1学年下に廣岡大志(現オリックス)、2学年下に村上頌樹(現阪神)がいたが、甲子園では上位に進出できなかった。

 智弁学園は、岡本が卒業した2年後の2016夏に「エース・村上」で初の全国制覇を成し遂げると、前川右京(現阪神)を擁した2021年夏も決勝進出(智弁和歌山に敗れて準優勝)。今年のチームも松本大輝(3年)を筆頭に強打者が揃っており、近畿王者として前評判の高い。夏の初戦は7月16日だ。

戸郷翔征:聖心ウルスラ(宮崎)

 巨人軍の次期エースとして実績と信頼を積み重ねている23歳の若き右腕は、高校2年の夏に甲子園の舞台に立った。

 2017年夏、まだまだ高校野球ファンに馴染みの薄かった聖心ウルスラが、2005年夏以来2度目の甲子園出場を果たした。その県大会で6試合中5試合(先発4試合)に登板して計37イニングで45奪三振を奪った2年生エースが、戸郷だった。今以上に細身長身の体型から伸びのあるストレートを投じていた。

 迎えた甲子園では、1回戦で早稲田佐賀(佐賀)と対戦した。立ち上がりから140キロ台の直球にスライダー、チェンジアップを交えて4回まで無安打ピッチングを披露し、最終的に毎回の11奪三振を記録しての9回8安打2失点(1失点)の堂々たる投球でチームに甲子園初勝利を届けた。

 だが、続く2回戦で聖光学院(福島)に4対5で惜敗。自らの2点タイムリーで3回表に3点を先制したが、3回以降失点を重ねて7回1/3を10安打5失点(自責4)で姿を消した。さらに新チームとなった2年秋は県3回戦敗退、3年夏も県ベスト8で敗れて再び甲子園の舞台に戻ってくることはできなかった。

 それ故に全国的には“忘れられた存在”となっていた戸郷だが、その名を思わぬ形でとどろかす。3年夏の大会終了後、宮崎で合宿を張ったU-18侍ジャパンが宮崎県選抜チームと壮行試合を実施。そこで戸郷は1回途中から2番手で登板すると、最速149キロのストレートに鋭い変化球を交え、根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)などから計9奪三振をマーク。世代トップの選手たちを揃えた打線を相手に5回1/3を投げて5安打2失点に抑えて「あのピッチャーは誰だ⁉」と話題となり、同年秋のドラフト指名につながった。もし、合宿地が宮崎でなければ、今とは異なる野球人生を歩んでいたはずだ。

 今や日本球界を代表する投手となった戸郷だが、母校の聖心ウルスラは戸郷卒業後にはまだ甲子園出場を果たせていない。だが今夏は、県大会初戦で前年夏王者の富島に5対3で勝利した。続く3回戦は、7月17日に予定されている。

中田翔大阪桐蔭(大阪)

 日本を代表するスラッガーは高校時代、甲子園の舞台で投打“二刀流”として類まれな能力を披露した。

 甲子園初登場は1年生だった2005年夏だった。2学年上に平田良介(元中日)、辻内崇伸(元巨人)らがいたチームで「5番・一塁」として出場すると、1回戦の春日部共栄(埼玉)戦では投手として5回途中からリリーフ登板し、147キロを直球と鋭いスライダーも披露した。打者としても1年生ながら左中間へ豪快な一発を放ち、ベスト4に進出した中で新たな怪物出現をファンに印象付けた。

 1年秋からは「エースで4番」となり、同学年の岡田雅利(現西武)とのバッテリーを組んだ。最速151キロを計測した豪快さだけでなく、変化球を巧みに操り、指先の繊細さも併せ持ったセンス抜群の投手だった。だが、2年春の府大会で右ひじを痛めたことで「打者・中田」へと傾倒することになる。迎えた2016年、2年夏の甲子園は1回戦の横浜(神奈川)戦でバックスクリーン左へ一直線に突き刺さる一発を放ってファンを驚かせた。だが、続く2回戦で斎藤佑樹(元日本ハム)擁する早稲田実西東京)に敗退。自身も4打数無安打3三振での“斬られ役”となった。

 2007年の3年時は右ひじの故障も癒えて「4番・投手」に復帰し、春の甲子園に出場した。初戦の日本文理(新潟)戦では7回を7四球と乱調ながら1安打9奪三振無失点に抑え、続く佐野日大(栃木)戦では打者に専念して2本塁打を放った。そして常葉菊川(静岡)戦では、田中健二朗(現DeNA)との白熱の投手戦の末に1対2で敗退。3年夏は大阪大会決勝で敗れて涙を飲んだ。

 甲子園では高校通算87本塁打の実力を発揮し切れなかった中田だが、仙台育英佐藤由規(元ヤクルト)、成田の唐川侑己(現ロッテ)とともに「高校ビッグ3」と謳われ、ドラフト1位で4球団競合の末に日本ハムに入団した。故障している間にパンプアップした肉体がスラッガー色を濃くしたが、投手としてもセンス抜群で「二刀流」に挑戦できるだけの能力を持っていたのは間違いない。

 大阪桐蔭は中田の卒業後に栄華を極め、今年も世代ナンバーワン1左腕・前田悠伍(3年)を擁して優勝候補に挙げられている。その前に中田も最後の夏に敗れた大阪大会を勝ち抜くことができるか。7月16日に初戦を迎える。

高校野球あれこれ 第112号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【西武編】 

圧巻の投球で頂点に立ったエース、野手でプロ入りした男も

 

西武の現エース・髙橋(西武)は2年夏の甲子園を圧倒的な投球で制した 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は西武編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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髙橋光成:前橋育英(群馬)

 3年連続で開幕投手を務めるなど、今や押しも押されもせぬエースとなった男の高校時代を、振り返らないわけにはいかない。

 群馬県沼田市生まれ。高校1年夏からベンチ入りすると、エースとなった1年秋の県大会制覇に貢献したが、当時はまだ粗削りで制球力に課題があり、実際に関東大会で脆さを見せていた。だが、2年生となって迎えた2013年夏、県大会で投げる度に調子を上げ、東農大二との決勝戦では4安打完封劇を披露し、前橋育英夏の甲子園初出場に導いた。

 その勢いは甲子園でも止まらず。初戦で岩国商(山口)を相手に9者連続三振という離れ業をやってのけた上で、9回5安打13奪三振での完封劇で勝利すると、続く樟南(鹿児島)戦でも9回5安打で連続完封をマークする。さらに3回戦では髙濱祐仁(現阪神)、淺間大基(現日本ハム)を擁した横浜(神奈川)を9回8安打ながら1失点(自責0)に抑え込み、準々決勝の常総学院(茨城)戦では、2番手でマウンドに上がって5回無失点、10奪三振の力投で、延長10回サヨナラ勝ちを呼び込んだ。

 猛暑と連戦の中でさすがに疲れの色を見せたが、それでもピンチになると1段階ギアを上げる堂々たるピッチングで、準決勝の日大山形(山形)戦で9回7安打1失点(自責0)、決勝の延岡学園(宮崎)戦は9回6安打3失点(自責2)で、チームを甲子園初優勝に導いた。大会を通して全6試合、計50イニングを投げて被安打34、46奪三振での防御率0.36という数字は、「春」ではなく「夏」だということを理由に、さらに価値の高いものとなっている。

 最終学年は故障に泣いて甲子園に出場することができなかったが、大会終了後に高校日本代表に選ばれ、小島和哉(現ロッテ)、栗原陵矢(現ソフトバンク)、岡本和真(現巨人)、岸潤一郎(現西武)らとともにアジアの舞台を戦った。そしてプロ入り後も順調に成長し、26歳となった今季はさらにスケールアップした姿となり、西武のエースに君臨している。

 前橋育英は髙橋の卒業後、2016年からコロナ禍で中止となった2020年を挟んで夏の群馬大会5連覇を果たしたが、昨年は準々決勝で樹徳に0対6で敗れる悔しい結果に終わった。俊足巧打の遊撃手・小田島泰成主将(3年)を中心に、今夏の復権なるか。7月15日に初戦を迎える。

今井達也:作新学院(栃木)

 この右腕も、甲子園でセンセーショナルな投球を展開し、甲子園優勝投手として髙橋と同じくドラフト1位でプロ入りした。

 3年春までは全国的にはほぼ無名だった。高校入学当初から球のスピードこそあったが、2年時までは不安定さの方が目立ち、2年夏には県大会では背番号11でベンチ入りするも、甲子園メンバーから外れる悔しさを味わった。新チームとなって背番号1を背負うも、結果を出せずに同学年の入江大生(現DeNA)にエースの座も奪われ、チームも2年秋が県ベスト4、3年春は県ベスト8で敗退。今井の名が高校野球ファンに知れ渡ることはなかった。

 だが2016年夏、3年生となって迎えた最後の夏、今井は一気にスターダムにのし上がる。入江の一塁コンバートによって再びエース番号を背負って甲子園の舞台にたどり着くと、初戦の尽誠学園(香川)戦で自己最速の151キロを記録しながら9回5安打13奪三振での完封勝利。続く花咲徳栄(埼玉)戦では自己最速を152キロに更新した上で9回を6安打2失点10奪三振と、高橋昂也(現広島)に加えて1学年下の西川愛也(現西武)や清水達也(現中日)がいたチームを力でねじ伏せたのだ。

 そして決勝でも北海(北海道)を相手に9回7安打1失点の好投を演じて全国制覇。同大会で全5試合に先発して計41イニングで被安打29、44奪三振防御率1.10という成績を残し、作新学院を54年ぶりの優勝に導いた。

 この活躍で、大会前の「高校ビッグ3」(寺島成輝、藤平尚真、高橋昂也)の呼称が、大会途中から今井を加えた「高校ビッグ4」に変わったことも印象的な事象だった。そしてプロ入り後も、まだ不十分ではあるが、苦しむ同世代のピッチャーの中ではしっかりと実績を残している。

 今年の作新学院は、春のセンバツ大会でベスト8入り。夏の県大会は、初戦で栃木工に7対0で勝利し、7月15日に2回戦を迎える。強打を武器に2年ぶりの夏の甲子園出場、さらに全国舞台での上位進出へも期待が高まっている。

平沼翔太:敦賀気比(福井)

 トレード加入3年目で出場機会を増やしている25歳の内野手の高校時代も非常に印象的だ。甲子園に3季連続で出場し、投打で活躍しながら、3年春のセンバツ大会では優勝投手となった。

 甲子園初登場は2014年の夏だった。2年生エースとして聖地のマウンドに上ると、初戦の坂出商(香川)戦での9回3安打完封劇を含めて、計3試合で完投勝利を収めてベスト4進出に大きく貢献。準決勝では大阪桐蔭(大阪)を相手に6回途中で12失点と炎上し、9対15で敗れた。

 そのリベンジを最高の結果が果たしたのが、「エースで4番」となって迎えた2015年の3年春の甲子園だった。1回戦の奈良大付(奈良)での9回1安打10奪三振での完封劇を皮切りに、決勝までの全5試合を一人で投げ抜く活躍ぶり。準決勝では前年夏に敗れた大阪桐蔭(大阪)を相手に、今度は9回4安打完封の快投を披露して11対0の大勝。決勝では東海大四(北海道)を3対1で下し、敦賀気比福井県勢初の優勝に導いた。

 大会成績は、全5試合、計45イニングを投げて、被安打22、39奪三振防御率0.40。決してストレートの球速は140キロ前後と平凡だったが、切れのあるスライダーを武器に投球術に長けたピッチャーだった。ただ、最後の夏は投手としての調子を崩し上し、2回戦で花巻東(岩手)に4回9安打4失点で途中降板して3対8で敗れることになった。それでも打者として最後の甲子園で打率.625(8打数5安打)と優れたミート力を披露し、プロ入り後も野手として勝負している。

 敦賀気比の甲子園最高成績は、春、夏ともに平沼がいた2015年の春優勝と、2014年夏のベスト4だ。今夏は5年連続の甲子園出場を目指すが、春の県大会初戦で福井工大福井に敗れてノーシードからの登場となる。

高校野球あれこれ 第111号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【阪神編】 

今季ブレイク中の右腕はセンバツ優勝投手だった

 

村上は智弁学園のエースとして2016年春の甲子園を制した 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は阪神編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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村上頌樹:智弁学園(奈良)

 プロ3年目の今季、先発として6月までに6勝&防御率1点台とブレイクを果たしている右腕は、高校時代からその類まれな才能を大舞台で披露していた。

 1年夏からベンチ入りし、1年夏に甲子園デビュー。1年秋からエースになるも2年時は甲子園には届かず。だが、2016年春の甲子園で村上は躍動する。初戦の福井工大福井(福井)戦で9回10安打無失点、続く鹿児島実(鹿児島)戦で9回6安打1失点で勝利すると、準々決勝の滋賀学園(滋賀)戦では9回2安打無失点の快投。準決勝の龍谷大平安(京都)戦でも9回7安打1失点(自責0)に抑え、抜群の安定感とスタミナ、投球術で勝ち上がった。そして決勝では高松商(香川)を相手に延長11回を8安打1失点、打っても自らサヨナラ二塁打を放つ活躍。大会を通して5試合の全47イニング669球を投げ抜き、被安打33ながら自責2の防御率0.38の成績で、同校の甲子園初優勝の立役者となった。

 だが、この男も他の多くのセンバツ優勝投手と同じく、夏は早期敗退となった。奈良大会を勝ち抜いて甲子園出場を果たし、1回戦では出雲(島根)を9回5安打1失点に抑えたが、続く2回戦の鳴門(徳島)戦では河野竜生(現日本ハム)との投げ合いに敗れる形で9回を8安打5失点(自責2)で大会を去ることになった。

 当時、村上に対する評価は分かれていた。伸びのあるストレートと制球力、優れたゲームメイク能力には疑いようがなかったが、球のスピードに目立ったものはなく、174センチという身長からくる将来性に対しては疑問視する声もあった。だが、進学した東洋大での成長を経てたどり着いたプロの舞台で、見事なピッチングを披露。懐疑論を覆している。

 智弁学園は2021年夏にも甲子園で決勝まで勝ち進むも、智弁和歌山との“同門対決”に敗れて準優勝。これまで夏の甲子園は通算20回の出場も優勝の経験はない。今年こそ“悲願達成”なるか。注目の強打者・松本大輝(3年)を擁する近畿大会王者として、まずは甲子園切符をつかみ取りたい。

井上広大:履正社(大阪)

 虎の未来を背負う高卒4年目スラッガーは、夏の甲子園での活躍が記憶に新しい。

 1年夏からベンチ入りし、1年の秋から外野のレギュラーとなり、2年秋から4番を任せられた。それまでは1学年上の“ミレニアム世代”を揃えた大阪桐蔭の前に甲子園への道を閉ざされてきたが、彼らが卒業した後の近畿大会で3本塁打11打点と爆発してチームを4強入りに導き、2019年春のセンバツ大会出場を果たした。だが、今度は同学年の奥川恭伸(現ヤクルト)が目の前に立ちはだかる。初戦で星稜(石川)と対戦すると、0対3の完封負け。チームで計17奪三振を喫し、自身も4打数無安打2三振と完璧に抑え込まれた。

 だが、その経験が井上の闘志に火を付けた。「打倒・奥川」という目標と物差しを手に自らの打撃を磨き直し、不振を乗り越えて進化に成功した。迎えた夏の甲子園では初戦の霞ケ浦(茨城)戦でいきなり2ランを放つと、その後も毎試合ヒットを放って決勝進出を果たす。相手は奥川擁する星稜。1点を追う3回表の第2打席で初球スライダーを捉えて逆転3ランを放ち、5対3で勝利。自らの“リベンジの一発”で深紅の優勝旗を手にした。

 井上や小深田大地(現DeNA)を揃えた強力打線で2019年に甲子園初制覇を果たした履正社は、今年は左腕エースの福田幸之介(3年)を中心にセンバツに出場するも、春の府大会で4回戦敗退。夏はノーシードからの登場で、7月15日に初戦を迎える。

中野拓夢:日大山形(山形)

 今春のWBCに出場し、シーズン開幕後も持ち前の俊足好打に堅守ぶりを存分に発揮している男は、高校時代にも甲子園で確かな足跡を残している。

 山形県天童市出身。隣の山形市にある日大山形に進学すると、2年夏から「2番・二塁」としてレギュラーの座を掴み、1学年上の奥村展征(現ヤクルト)と二遊間を結成した。そして2013年夏に同校6年ぶりの甲子園出場を果たすと、初戦の日大三西東京)戦で2安打を放つ。準々決勝の明徳義塾(高知)戦では6回、8回と2打席連続で送りバントをしっかりと決めて味方の追加点に繋げ、「山形県勢初の甲子園ベスト4入り」に貢献した。

 チームは準決勝で髙橋光成(西武)擁する前橋育英(群馬)に1対4で敗れたが、自身は第1打席でセンター前ヒットを放ち、その後の飛躍を予感させるスイングを見せた。ただ、自身が主将かつショートとなった3年時の2014年は春夏ともに甲子園に出場できず。中野はその後、東北福祉大三菱自動車岡崎を経て、ようやく甲子園の舞台に戻ってくることになった。

 今年の山形大会は、鶴岡東、日大山形山形中央の3強の争いとなる見込み。日大山形のエース右腕・菅井颯(3年)は好投手だが、山形中央の左腕・武田陸玖(3年)も注目の存在で、鶴岡東は攻守に隙がない。この中から甲子園の舞台で再び“山形旋風”を巻き起こすチームが現れるのだろうか。