ぼくらのサイトⅢ

スポーツ、特に高校野球の記事を中心にして、監督、伝説の試合、結果考察などを記しています。 記事に関連した書籍やコーヒー機能付きウォーターサーバー、  生ビールサーバーを紹介しています。

高校野球あれこれ 第83号

今季、甲子園でブレイクするのは、名将率いるこのチームだ! 近江がつけてくれた優勝ロードを歩めるか?

彦根総合は近畿大会初出場で8強入り。センバツでもブレイクの予感がする

 「このチームで甲子園へいきたいという思いは強い」。昨秋の滋賀大会で初優勝した直後、彦根総合を率いて2年目の宮崎裕也監督(61)は、喜ぶ様子も見せず、淡々と話した。県立の北大津を春夏6度、甲子園へ導いた湖国の名将だ。続く近畿大会でも、近大新宮(和歌山)を4-2で破って(タイトル写真)、センバツ出場に王手をかけた。

ライバルの地元へ乗り込んだ名将

 宮崎監督が彦根総合に赴任したのは3年前の4月。北大津から安曇川に異動後は、野球部指導に携わらず鳴りを潜めていた?が、生来の野球好きの虫がうずき出し、定年を前に早期退職した。向かった先は、北大津時代からのライバル・近江の地元、彦根市にある私学だった。

 

宮崎監督は大津市の出身で、比叡山3年の夏には甲子園8強入りを果たした。現在は彦根市にある彦根総合の選手寮近くに住む(筆者撮影)
宮崎監督は大津市の出身で、比叡山3年の夏には甲子園8強入りを果たした。現在は彦根市にある彦根総合の選手寮近くに住む

 女子校からの転向組がすぐに甲子園で活躍するケースはままある。神村学園(鹿児島)、済美(愛媛)などがよく知られるが、いずれも転向後すぐに結果を出している。彦根総合が共学になったのは平成18(2006)年で、野球部もその2年後に誕生したが、十数年の間、目立った成績は収めていない。宮崎監督の就任は、彦根総合にとって大きな起爆剤となった。

近畿大会で8強入りし、センバツ懸けて大阪桐蔭と対戦

 厳密に言えば赴任した年の8月の監督就任だが、宮崎監督が事実上、指揮を執り始めたのは、現在の2年生が入学した一昨年の4月から。前監督時代の上級生も指導したが、主力として活躍した選手はわずかで、入学早々から公式戦に出場していた現メンバーも少なくない。新チームはセンバツにつながる昨秋の滋賀大会決勝で瀬田工に快勝し、創部以来初の県大会制覇で近畿大会初出場を決めると、初戦では近大新宮と互角の好勝負を演じる。外野手の好返球で2度も相手の生還を阻止し、終盤の勝負所で逆転するなど、ベテラン監督と選手の経験が勝敗を分けたような試合だった。そして、王者・大阪桐蔭との準々決勝へ進むことになった。勝てばセンバツは当確。しかし、大敗すれば甲子園が遠のく大一番だ。

大阪桐蔭から序盤にリードを奪う

 試合は序盤から激しく動き、大阪桐蔭のエース・前田悠伍(2年=主将)の乱調につけ込んで、捕手・森田櫂(2年)の適時打などで彦根総合が4-2と序盤戦を制した。

 

大阪桐蔭のエース・前田から適時二塁打を放って、4-2とリードを広げ喜ぶ彦根総合の森田。近大新宮戦でも好機で快打を放ち、勝負強さを発揮していた(筆者撮影)
大阪桐蔭のエース・前田から適時二塁打を放って、4-2とリードを広げ喜ぶ彦根総合の森田。近大新宮戦でも好機で快打を放ち、勝負強さを発揮していた

 

 しかし中盤の4回に入ると、王者は彦根総合のエース左腕・野下陽祐(2年)をじわじわと攻める。2死までこぎつけたがあとアウトひとつが取れず、連続押し出しに失策などで一気に5点を失う。あとは王者が貫禄を見せ、9-4で彦根総合を押し切った。近畿大会は8強に終わったが、初出場ながら高校球界の頂点に立つチームに堂々と渡り合ったことは評価できる。

大阪桐蔭とのスピードと体力の差を痛感

 「大阪桐蔭を実感できたのは大きい。選手たちは、(大阪桐蔭が)思ったより小さかったと感じたはず。『俺らでもやれるぞ』と」。指揮官も、センバツの懸かった試合で、王者を慌てさせたという手応えはあったようだ。しかし、この試合を通して痛感したのはスピードと体力の差。これが冬の強化ポイントになった。北大津時代からの1日1000スイングは継承し、最新鋭のマシンを使ったトレーニングで瞬発力と筋力を徹底して鍛えた。

センバツでは、封印してきた作戦も披露するか?

 投手は野下に加え、ともに140キロ超の速球を持つ右腕の勝田新一朗(2年)と武元駿希(2年)の三枚看板で、「投手力は近畿でもトップクラス」(宮崎監督)と自信を持つ。

 

投手陣の一角を担う速球派右腕の勝田。秋は救援登板が多かったが、宮崎監督は「状態が上がってきている」と話し、大舞台での先発起用も視野に入れている(筆者撮影)
投手陣の一角を担う速球派右腕の勝田。秋は救援登板が多かったが、宮崎監督は「状態が上がってきている」と話し、大舞台での先発起用も視野に入れている

 

 一方の野手陣はやや小粒だ。北大津時代は豪快な本塁打攻勢で甲子園を席巻したが、このチームには長打力がない。「つないでつないで、駅伝打線ですわ」と謙遜する。あと、北大津時代に甲子園で見せたある作戦も「封印してきたけど、解こうかな」と笑った。その作戦とは?これは甲子園でのお楽しみとしておこう。

直接対決で「打倒!近江」は果たせず

 このチームの目標の一つには、「打倒!近江」があった。言わずと知れた湖国の盟主で、昨春のセンバツ準優勝校だ。秋の滋賀大会では3回戦での直接対決も考えられたが、彦根東に逆転負け。「目の前で負けてショック。実際に対戦して倒したかった。選手も同じ気持ちやったと思う」とライバル敗退に宮崎監督は落胆した。北大津時代から近江とは「湖国2強」を形成し、激しく甲子園出場を争ってきたが、宮崎監督退任後は近江の独走が続いていた。それでも近江には感謝の気持ちがあるという。

近江がつけた優勝への道を歩くだけ

 「近江が、滋賀のチームに(優勝までの)道をつけてくれた。いままで道もわからんかったけど、近江が平らにならして舗装までしてくれた」と一昨年からの近江の活躍を称え、「近江が歩きやすくしてくれた道を歩くだけ。それ(準優勝)以上の成績、言うたら日本一しかないやないですか」と近い将来の甲子園優勝を見据える。年齢的なことを考えても、悠長なことは言っていられない。それだけに、冒頭の「このチーム」が、期待通りの結果を出したことに安堵している。

大阪桐蔭と当たるまで負けたくない」

 近畿は大阪桐蔭神宮大会優勝によって、7校が一般枠選出されることになった。近畿8強に残り、大阪桐蔭と渡り合ったことで、彦根総合が選出される公算はかなり大きい。33校が選出される一般枠全体を見渡すと、彦根総合は唯一の甲子園未経験校となりそうな気配で、本番でも初戦を乗り切れば一気に波に乗りそうな予感がする。「もう一回、大阪桐蔭とやりたい。冬を越えてどこまでやれるか。大阪桐蔭と当たるまでは負けたくない」と湖国の名将はどこまでも貪欲だ。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第82号

「山田君と話がしたい」指名漏れの後、計8社からオファー 必要とされていると知り、立ち直れた

 

昨年のドラフト会議で、ある意味一番話題になったのは、立教大学山田健太(4年、大阪桐蔭)が指名されなかったことだった。あれからおよそ3カ月。内定している日本生命での野球継続が決まり、すでに「2年後」に向かっている山田に、いまだから話せることや、ドラフト後に母校で教育実習をした経験などについてじっくり聞いた。

 

初めて味わった大きな挫折

「さすがにこたえましたね。初めて味わった大きな挫折だったかもしれません」。山田は静かにあの日を振り返る。

ドラフト上位候補だった「右のスラッガー」は、最後まで名前が呼ばれなかった。絵に描いたような野球エリートがまさかの指名漏れ……。ネット上はざわつき、ツイッターのトレンドにも自身の名前が上がった。

 

高校時代は2年春、計12安打8打点の活躍で第89回選抜高校野球大会の優勝に貢献。三塁手から二塁手に転向した3年時は、同期の根尾昂(現・中日ドラゴンズ)や藤原恭大(現・千葉ロッテマリーンズ)らとともに、春(第90回選抜高校野球大会)夏(第100回全国高校野球選手権記念大会)甲子園連覇の一翼となった。立教大でも1年春からレギュラーを張り、4年春終了時までに現役最多となる75安打をマーク。侍ジャパン大学日本代表でも主将を任された山田は、間違いなく昨年の大学野球の「」だった。

ドラフトで味わった大きな悔しさとともに、本人にはこんな思いもあったという。

 

「ドラフト上位候補とは報じられていましたが、それを発信していたのはメディアであって、球団のスカウトがそう公言していたわけではないので。考えてみると、周りが言っていただけなのかな、と。ドラフト(の評価)は本当にわからないですね。ただ自分としては4年間、精いっぱいやってきたのは確かです」

 

ドラフト終了直後から続々とオファー

気持ちを切り替えるきっかけになったのは、社会人チームから続々と舞い込んだオファーだった。1本目の電話はドラフト会議が終わると、すぐに寮にかかってきた。「山田君と話がしたい」。大阪桐蔭西谷浩一監督にドラフトの結果報告の連絡を入れ、今後の相談をしていた矢先だった。

 

ドラフトで名前が呼ばれないのは、その時点ではプロから必要とされていないことを意味する。ドラフトに限らず、必要とされていない現実ほど、人の気力を失わせるものはない。自分は必要とされている――。計8社からあった打診は、うつむきかけた端正な顔を再び上向かせた。

 

「(8社から必要とされたのは)ありがたい。ありがたいの一言です」

 

ドラフトの翌週に行われた東京六大学リーグ、明治大学との試合では、いつもの山田に戻っているように映った。

 

「ドラフトから1週間以上経っていたので、だいぶ気持ちの整理はできてました。平静を装っていたところもありますが(笑)、これが現実だと受け止めるしかなかったですし……。それに主将としての責任、東京六大学で4年間やってきた責任もあったので、私情を持ち込むわけにはいかないと。大学最後となる明大戦をいい形で終えたい。それだけを考えてました」

 

様々な価値観に触れられた教育実習

大学時代、最も印象的な試合として挙げるのが、4年春、明大とのカードだ。2勝して勝ち点を奪えば優勝だった。だが、1回戦は延長12回の末に引き分け、2回戦は1点差負け。勝負の3回戦は延長11回にサヨナラ負けと、2017年春以来となる栄冠には惜しくも届かなかった。

 

「優勝をかけての対決は高校以来で、緊張感があった中、自分のプレーができませんでした(山田は2回戦では3安打を放つも、3試合で計14打数4安打)。悔しい思い出として残ってますね。もっと自分に自信を持てれば、結果が違っていたかもしれません。どこか自信がなかった。その理由はわからないのですが、確固たる自信がなかったんだと思います」

 

はたから見ると意外な言葉のように聞こえる。山田は計3度の優勝した高校時代も、リーグ戦で5回も3割以上をマークして2度のベストナインに選出された大学時代も、順調だったとは思っていないという。「誰一人、全てがうまくいって成功した人はいないと思います」。周りの見方と本人の考えが異なるのは、世の常なのかもしれない。

 

山田は昨年、11月初旬から3週間にわたり、母校の大阪桐蔭で教育実習を行った。大学進学を決めた時から、野球と学業を両立し中学高校の教員免許(保健体育)を取ることを決めていたという。

 

「母親が小学校の先生をしている影響もありますが、野球しかしてこなかったので、もう一つ、自分の中で武器と言えるものがほしかったんです」

 

教育実習は得難い経験になったようだ。

 

「僕は野球関係の人脈はありますが、それ以外の人とは、接することもほとんどありませんでした。教育実習では、いろいろな先生や生徒と話す機会があり、様々な価値観に触れることができました。自分の視野を広げる意味でも、とてもプラスになったと思います」

 

教育実習では「自由に使っていい」という時間をもらい、担当したクラスの生徒たちに、自分のこれまでについて話した。ドラフトでの心の揺れ動きも、包み隠さずに伝えた。話し終えると「(指名漏れの時は)どうやって気持ちを切り替えたんですか? という質問もありました」。山田の経験談は、母校の後輩でもある高校生の良き教材になったに違いない。

 

「支えてくれている人たちを喜ばしたい」

今年から、日本生命硬式野球部でプレーする。日本生命都市対抗優勝4回、日本選手権優勝3回を誇る社会人野球の名門だ。プロ野球選手を数多く輩出していることでも知られる。

 

「自分がレベルアップするための環境が整っていると思い、日本生命さんにお世話になることになりました。社会人では全てを一から鍛え直すことを大前提に、その上で二塁手としての守備も成長したいです。もちろん、打撃もです。今年から特別コーチに就任された日本生命OBの福留孝介さん(中日、阪神、大リーグなどで活躍し、昨季限りで現役引退)から指導を受けるのも楽しみにしています」

 

大学の特に3、4年時は、ドラフトを意識するがあまり、空回りしていたところもあったという。「2年後、大卒選手のドラフト指名が解禁となる年に、自分ができることを出し切り、それを評価してもらえたら」。今回の経験で学んだことを糧に、スケールの大きい選手になるつもりだ。

 

目標としていたプロ入りはかなわなかったが、大学では自分を高めてくれる機会にも恵まれた。中学時代以来となる主将を務めたこともそうだ。「自分から手を挙げて主将をやらせてもらい、これまで頭の中になかったことも考えながら野球をすることができました」。ピンチの場面では、主将が不安そうな顔をするとチームも伝わると、あえて笑みを浮かべていたのが記憶に新しい。大学日本代表で主将を担ったのも、なかなかできない経験だった。

 

つきものが落ちたように、すっきりした表情になっていた山田。振り向くことなく、前だけを見つめている。取材の終わり、こんな言葉で締めくくってくれた。

 

「ドラフトが終わってから、僕はこれまでいろいろな方に支えられて野球をしてきたんだと、しみじみ感じました。あらためて周りの方の大切さがわかりました。今後はそういう方たちに喜んでもらえるような活躍をしたいです。山田健太という人間を、選手を、応援してもらえればと思います」

 

2年後」に向けて、赤を基調とする日本生命のユニホームに袖を通し、活躍を誓った。

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第81号

センバツ出場校一覧】連覇狙う大阪桐蔭東海大菅生ら出場36校決定!初出場は5校、21世紀枠は氷見、城東、石橋

 

第95回記念選抜高等学校野球大会(3月18日開幕・阪神甲子園球場)の出場校を決める選抜委員会が27日に行われ、出場36校(一般選考枠32校、神宮大会枠1校、21世紀枠3校)が出そろった。記念大会の今大会は東北、関東、東海、四国の4地区で出場校が1枠増。これまで高野連から出場校に対し行われていた電話連絡は今回から廃止され、オンラインでの発表のみとなった。

 

明治神宮大会で史上初の連覇を達成した前回大会優勝の大阪桐蔭(大阪)は4年連続14回目。昨夏の甲子園、東北大会を制した仙台育英(宮城)は2年ぶり15回目の出場を決めた。

 

秋季東京都大会を制した東海大菅生(東京)も順当に選出。部員への体罰問題で21日に解任された若林弘泰監督(56)に代わり就任した上田崇新監督(29)のもと、新体制で挑む。インターネットの中継を見守った東海大菅生の部員たちは、学校名が読み上げられた瞬間も表情を変えることはなかったが、その後の写真撮影では笑顔がこぼれた。

 

21世紀枠の3校は12月9日に発表された各地区の候補9校のうち、東日本と西日本から1校ずつ、残り7校から地区を問わず3校目が選ばれ、氷見(富山)、城東(広島)、石橋(栃木)が選ばれた。部員17人の氷見は30年ぶり2回目の出場、城東は2度目、石橋は3度目の候補から初めての甲子園の切符をつかんだ。

 

今大会の初出場校は城東、石橋を含め、能代松陽(秋田)、彦根総合(滋賀)、光(山口)の5校となった。最多出場は4年ぶり42回目の龍谷大平安(京都)。

 

組み合わせ抽選会は3月10日の予定で、19年春以来、4年ぶりに対面で行われる。

 

【出場校一覧】※2020年交流戦含む

 

21世紀枠(3)

石橋(栃木)初出場

氷見(富山)30年ぶり2回目

城東(広島)初出場

 

北海道(1)

クラーク記念国際(北海道)2年連続2回目   

 

東北(3)

仙台育英(宮城)2年ぶり15回目

東北(宮城)12年ぶり20回目

能代松陽(秋田)初出場

 

関東・東京(7)

山梨学院(山梨)2年連続6回目

専大松戸(千葉)2年ぶり2回目

健大高崎(群馬)2年ぶり6回目

慶應義塾(神奈川)5年ぶり10回目

作新学院(栃木)6年ぶり11回目

東海大菅生(東京)2年ぶり5回目

二松学舎大付(東京)2年連続7回目

 

東海(3)

東邦(愛知)4年ぶり31回目

常葉大菊川(静岡)10年ぶり5回目

大垣日大(岐阜)2年連続5回目

 

北信越(2)

北陸(福井)34年ぶり2回目

敦賀気比(福井)3年連続10回目

 

近畿(6+明治神宮大会枠1)

大阪桐蔭(大阪)4年連続14回目

報徳学園(兵庫)6年ぶり22回目

智弁和歌山(和歌山)3年ぶり15回目※

龍谷大平安(京都)4年ぶり42回目

履正社(大阪)3年ぶり10回目※

彦根総合(滋賀)初出場

社(兵庫)19年ぶり2回目

 

中国・四国(6)

広陵(広島)2年連続26回目

光(山口)初出場

英明(香川)5年ぶり3回目

高松商業(香川)4年ぶり28回目

鳥取城北鳥取)2年ぶり4回目

高知(高知)2年連続20回目

 

九州(4)

沖縄尚学(沖縄)9年ぶり7回目

長崎日大(長崎)2年連続4回目

海星(長崎)7年ぶり6回目

大分商業(大分)3年ぶり7回目※

 

スケジュール

3月10日 組み合わせ抽選会

3月18日 開幕 

3月27日 準々決勝  

3月29日 準決勝

3月31日 決勝戦

 

 

 

 

 

センバツ出場校決まる! 近畿の最終枠は打力の社に決定

センバツ出場校が決まった。今年も熱い戦いを期待したい(過去の選考会)

 第95回センバツの出場校が決まった。記念大会ということで、史上最多タイの36校が集う。昨年は東海地区で大波乱があったが、今年は概ね平穏だった。それでもきわどい選考になった地区はある。

近畿は社が打力を評価される

 大阪桐蔭神宮大会制覇で7校選出の近畿は、4強に次いで履正社(大阪)、彦根総合(滋賀)の順で入り、7校目は(兵庫)が高田商(奈良)を抑えた。ともに公立で、準々決勝では完敗していただけに、どこに差異があったのだろうか。選考会での説明では、社が天理(奈良)に13-7で打ち勝った点が評価された。天理は奈良大会で高田商に12-2で圧勝している。そこまでの言及はなかったが、三段論法で天理を尺度にすれば説明がつく。昨年に公表された選考のガイドラインによれば、戦力が同等と判断した場合は地域性を優先するとあるが、それ以前の問題だったようである。

近畿大会は組み合わせに大きく左右される

 両校については近畿大会での2試合を見たが、勝った試合では特長がよく出ていた。初戦の相手はともに予選1位校であり、高田商は投手力に優れ、社は打力にたくましさが感じられた。これはもう選考委員の判断に委ねるしかなく、選に漏れた高田商には、夏に向けて捲土重来を期待するとしか言えない。また、大阪桐蔭に初戦敗退ながら実力上位の神戸国際大付(兵庫)を推す声も多く、最終枠を巡っての3校の比較は長い議論になったようである。出場校の割に選出枠が多い(16校中7校)近畿地区が、組み合わせに大きく左右されるという思いを改めて実感した次第である。

中国・四国は地域的バランスも考慮

 関東・東京の「抱き合わせ枠」は、関東6番手の横浜(神奈川)と東京2番手の二松学舎大付の比較になり、二松学舎が打力を評価されて横浜を抑えた。横浜は投手力を高評価されたが、関東大会で打線低調だったのが惜しまれる。中国・四国については、中国3番手の鳥取城北と四国4番手の鳴門(徳島)で比較し、鳥取城北に決まった。この結果については、広陵(広島)と好勝負を演じ、投攻守にわたってハイレベルとチーム力を評価されたと同時に、「地域性も考慮した」との説明があった。一般枠での3校に加え、21世紀枠選出もあって四国は4校の出場が決まっていた。中国2に対し、四国5ではいかにもバランスが悪い。

21世紀枠は継続が今後につながる

 21世紀枠はプレゼンテーションから傍聴したが、甲乙つけがたかった。東の氷見(富山)、西の城東(徳島)を決めたあと、残る1校は決選投票にもつれ込んだようである。最終的には、石橋(栃木)が、小野(兵庫)と稚内大谷(北海道)を抑えて滑り込んだ。それぞれがいい取り組みをしていることは当然で、これば候補9校に共通している。石橋は3回目、城東は2回目の候補であり、プレゼンでも発表者から「継続していい取り組みをしている」という言葉があった。過去もあったが、この枠は、複数回、候補に挙がったチームにアドバンテージがあることもはっきりした。今回、選に漏れたチームには、今回の貴重な体験を後輩たちに継承してもらいたい。

高校野球あれこれ 第80号

センバツ出場校「もやもや選考基準」が続く不可解 選考ガイドラインは導入されてもいまだ不透明

 

今号で記念すべき100回目。そろそろ選抜高校野球の出場校が決まります。高校野球では秋季地区大会で好成績を残した高校は今春のセンバツ高校野球(春の甲子園)への出場が有望視される。しかし「確定」したわけではない。

 

第94回選抜高等学校野球大会」の選考で、昨年の秋季東海大会で準優勝した神奈川県の聖隷クリストファー高が選出されず、同大会ベスト4の岐阜県大垣日大高が選出されて物議をかもした。現地では署名運動も起こり、有識者からも異論を唱える声が続出した。さらには国会でもこの問題が取り上げられた。

 

選考ガイドラインで何が変わったのか

 

 これを受けて主催者の日本高野連毎日新聞社は、「センバツ改革検討委員会」を立ち上げ、7月に「選抜高校野球大会選考ガイドライン」を発表した。

 

 大要は以下のとおり。

 

1 秋季大会の試合結果と試合内容を、同程度の割合で総合的に評価する。

2 試合内容については、技術面だけでなく、野球に取り組む姿勢なども評価対象とする。

3 複数の学校の評価が並んだ場合、できるだけ多くの地域から出場できるよう考慮する。

 

4 府県大会の結果は参考にするが、選考委員が視察する地区大会の内容を優先する。

 従来の選考基準は、

 

1 大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合していること。

2 日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。

3 校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもの。

4 技能については実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。

5 本大会はあくまで予選をもたないことを特色とする。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。

 

 というものだったから、少しは具体化したような印象もあるが、選考委員の「主観」に多くをゆだねる選考の姿勢はほとんど変わっていない。

 

 野球ファンからは「秋季大会を春の甲子園の予選にすれば、こんな問題は起こらないはずだ。なぜこんな持って回った仕組みにしているのだ」といった声が聞こえてくる。

 

 なぜ秋季大会を「春の予選」にしないのか? 

 

 秋季大会は、選抜大会とは主催者が異なっている。夏の場合、選手権大会は地方大会の段階から各県高野連朝日新聞社が主催している。地方大会の球場には、甲子園と同様、朝日新聞の旗がはためいている。地方大会と夏の甲子園=全国大会は、あくまで別の大会ではあるが、地方大会を勝ち抜いた高校が甲子園に行くという「予選・本大会」の関係が確立されている。

 

しかし秋季大会の主催者は、選抜大会の主催者である日本高野連毎日新聞社(後援、朝日新聞社)とは限らない。各県、各地方の大会の主催者、後援者はバラバラだ。神奈川県大会の場合、主催は神奈川県高野連、後援は神奈川新聞社だ。各県大会は地方新聞社やテレビ局が後援することが多いが、その運営は都道府県や地方によって異なっている。一貫性のある「予選・本大会」ではないのだ。

 

センバツ高校野球が誕生した経緯

 

 そもそもセンバツ高校野球=「春の甲子園は、「夏の甲子園のアンチテーゼ」として誕生し「予選を持たないこと」が最大の特色だった。1915年に始まった大阪朝日新聞社主催の「夏の甲子園」は全国的な人気を博するようになったが、それ以前に各地方の野球をリードしてきた名門の旧制中等学校は、私学や商業学校に押されて全国大会に出場できなくなった。

 

 そうしたエリート校から「野球が強いだけの学校が出場するのはけしからん」という声が上がって、1924年大阪毎日新聞社が主催して選抜中等学校野球大会が創設された。翌年には夏の大会と同様、甲子園球場を使うことになる。「朝日」「毎日」の新聞部数拡販競争が背景にあったのは言うまでもない。以後、春の甲子園は「夏とは違う理念」で運営されてきた。出場校は「野球」だけでなく「勉学」「品行」なども加味して選抜された。

 

 終戦後、甲子園はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されたが、甲子園大会を再開するために交渉した野球関係者は「なぜ、全国大会が2つもあるのか? 1つでいいのではないか?」とGHQ将校に問われて「夏は野球の実力だけ、春は野球だけでなく選手の品格や行動も含めて総合的に選んでいる」と答えて承認を得た。

 

 以後も「春の甲子園」は、「夏」とは異なり、予選を持たない大会として存続してきた。最終的には選考委員の判断で出場校が決められるのだ。

 

 2001年から「21世紀枠」として地域で奉仕活動をしているとか、学校の成績が良いとか、少ない人数で頑張っているとか、野球以外の「徳目」で選ばれる制度が設けられたのも「夏とは異なる独自性」を強調するためではあろう。

 

 しかし、その結果として今春の聖隷クリストファー高のように「秋季大会」で好成績を残しても選ばれない学校が生まれる。

 

 選考委員は「試合内容などを総合的に判断して」大垣日大を選んだとしているが、うがった見方をすれば聖隷クリストファーは「校風、品位、技能」で、大垣日大に劣っていたのか、ということにもなりかねない。

 

新基準「野球に取り組む姿勢なども評価対象」

 

 新基準では「試合内容については、技術面だけでなく、野球に取り組む姿勢なども評価対象とする」となっているが、「負け方」がポイントだと考えている高校野球指導者は多い。同じ負けるにしても「試合を投げたような負け方」で大敗するのは、心証が悪い。接戦で負けるか、せめてコールド負けは避けたいと思うようになっている。

 

 それ自体はおかしくないが、スポーツではときとして実力以上に大敗することもある。本来ならば選ばれるべきレベルを有し、選ばれるべき順位まで勝ち進みながら、たった1試合の「大敗」で、「甲子園に出場するのはふさわしくない」と決めつけられるのは理不尽だと感じる指導者は少なからずいる。

 

 また「21世紀枠」にしても、その選出方法は不透明だ。昨年の選抜大会に出場した静岡県立三島南高校は、幼稚園、保育所などに出向いて「野球教室」を地道に続けたことが評価された。三島南高校の稲木恵介監督は今季から富士高校監督に転任し、引き続き幼児の「野球教室」を行っているが、同じ『ネタ』で続けて選ばれることはないだろう。どんな「徳目」が、21世紀枠の選考委員の目に留まるかは予想できない。

 

 高校野球の現場からはかねて、「秋季大会の結果を最重要視する、とはっきり決めてくれたほうがよい」という声が上がっていたが、最近は「春の甲子園は必要なのか?」という声も聞かれるようになった。

 

 夏の甲子園が終わると、すぐに新チームによる秋の大会が始まる。これに負ければ春の甲子園には出場できないから、選手の見極めをする時間はほとんどない。このために、なったばかりの新チームのエースが秋季大会で無理をして、故障するケースも見られる。

 

春の甲子園」を続ける意味は? 

 

 「本当は、秋から冬にかけては、選手にじっくりトレーニングをさせて、来年に備えさせるほうがいい。秋季大会はあってもいいけど“絶対に負けられない戦い”ではなくて、新チームの“力試し”みたいなほうがいいんだけどね」という指導者もいる。

 

また、夏の甲子園の予選である地方大会が、過酷なスケジュールであることを問題視して、「春の甲子園をやめて、4月頃から夏の甲子園の予選を、毎週土日限定でやればいいんだ。1週間開ければ投手の酷使もなくなるし、選手も余裕をもって試合に臨むことができる」と言う関係者もいる。

 

 このほか「春の大会はリーグ戦でやってはどうか」とか、「公立高校だけの大会にしてはどうか?」など、さまざまな意見も出ている。

 

 スポーツイベントとしてみれば、全国的な人気がある甲子園の高校野球を年に2回行うことは、興行面で大きなメリットがある。またメディアにとっても大きなコンテンツだ。

 

 しかしそれらは「大人の事情」だ。ここまで無理をして「夏とは違う春の甲子園」を続ける必要があるのか? 「春の甲子園」に確固とした存在意義を求めるならば、今の時勢に対応した形で、新たなスタイルの模索が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第79号

最速1.81秒の世代屈指の強肩捕手 

公式戦はほとんど盗塁阻止

 

明治神宮大会史上初となる連覇を成し遂げた大阪桐蔭(大阪)を中心に、2023年の高校野球も大いに盛り上がるに違いない。そんな大阪桐蔭を苦しめた数少ない学校は、兵庫の名門・報徳学園だ。

 

近畿大会決勝で0対1で敗れたものの、最後まで1点を争う好ゲームを見せた。敗戦は受け止めるべき課題ではあるが、収穫もあった一戦だろう。ただ、「同じ相手に負けないように、日本一を取れるようにやっていきたい」とリベンジに燃えている男がいた。それが世代屈指の強肩捕手として注目されている堀 柊那捕手(2年)だ。

 

自信がなかったスローイン

 堀 柊那捕手(2年)。遠投100メートルを誇る強肩を生かして、イニング間の二塁送球は最速1.81秒をたたき出す。「準々決勝・履正社戦で1つ許してしまいましたが、それ以外はほとんどありません」と盗塁阻止は、堀の絶対的な武器となるなど、NPBのスカウトも高く評価しているポイントとなっている。

 

 小学3年生から野球を始め、5年生の時にはソフトボール投げで58メートルを計測したという。当時から肩の強さは群を抜いていたこともあって、ポジションは捕手だけにとどまらなかった。三塁手、遊撃手、そして投手と地肩の強さを発揮できるポジションを回っていた。

 

 中学では兵庫夙川ボーイズでも変わらない。学年でもトップに入るハンドボール投げ40メートル以上を投げる強肩で、あらゆるポジションを経験した。

 

 そんな堀のもとに、最も先に声をかけたのが報徳学園だった。しかも捕手として話をしてもらえたことに「嬉しかったです」と地元の強豪から評価されたことを決め手に、報徳学園への門をたたいた。

 

 高く評価されているだけあってか、ベンチ入りは早かった。1年生の春にはベンチ入りを果たし、その後もメンバー入りを続ける。順調にステップアップしているように思えるが、「(投手の)球速も変化球のキレも凄いので、とにかく受け続けて慣れるようにしました」と高校野球のレベルに苦戦を強いられていた。

 

 代名詞ともいえるスローイングも同様だ。「暴投が多くて、10球に2球くらいしか良いところには投げられていなかったので、確率が悪くてあまり自信はありませんでした」とかなり精度に課題があったようだ。

 

自信を持つために確立したスローイン

現在は「ピッチャーの胸を狙って良い回転の送球さえできれば、良いところに投げられる」と自分なりのターゲットは確立できているが、さらに深堀していくと、細かいこだわりがあり、1つ1つのピースがかみ合ったとき、安定したスローイングが成立することが分かった。

 

前提

 スローイングの理想、優先度は、8割の力で10割の力の送球ができる安定感があるスローイングだという。

 以前までは捕ってからの速さや、思い切り投げることを求めていたが、送球が引っ掛けたり、シュートしたりと安定性に欠いた。それでは結果的に盗塁阻止率は下がるため、スローイングの安定性を最優先で考えている。

 

捕球姿勢

 ランナー有無にかかわらず、構え方は常に同じ。あまり意識をしているところではないが、基本姿勢はソフトバンク・甲斐 拓也捕手(楊志館出身)を参考にして、左足を半歩前に出した状態で構える。

 

捕球・握り替え

 時間短縮に最も関わっているポイント。捕球位置はできるだけ身体の近くにする。捕球方法は、球の勢いを利用して吸収するように捕球する。そのうえで耳元までミットを引き付ける、運ぶ感覚で動かして、耳元で事前に待ち構えている右腕まで持っていったら握り替えをする。ちなみに通常はきちんと受け止めるように捕球。捕球位置は音を鳴らすことを大事に、親指と人差し指の間で捕ることを心がけている。

 

ステップワーク

 予備動作として、走者が走っていることを確認できたら重心を右足に乗せて、左足を自由にする。そのうえで、投手のリリースの瞬間を見てから左足を気持ち踏み出す。それから右足、左足の順番でステップを踏んで、勢いを作っていく。1、2、3のリズム感で足を動かしていく。

 リズム感をつかめたのは秋季近畿大会。春季大会では最初の左足の踏み込みが早く、全身のバランスが崩れ、スローイングのタイミングが合っていなかった。ネットスローなどで5球5セットと量は少ないが、ステップを確認して習得に結びつけた。

 

送球

 真っすぐ伸びあがるような回転をかけた送球がベスト。シュートさせないためにも左肩でしっかり壁を作ったり、両腕を体の内側だけで回して投げられるようなフォームを意識している。

 リリースについても回転数が増やせるような、回転のかけ方を探し求めている。

 

 スローイングの前提も含めて、送球に至るまでの4つの動作を細かく切り抜き、要点をまとめた。堀がいかに阻止率を高めるために細部にまでこだわっているのか。こだわりぶり、そして高い阻止率の理由は十分見えたのではないだろうか。

 

柔軟性を高め、高確率の結果を残せる選手へ

いまもなお「正直まだ自信はないです。まだまだだと思っています」と現状に対して全く満足などしていない。あくなき向上心、ストイックぶりも堀のパーソナルの魅力と言っていいだろう。

 

 そうした部分もあってか、1年生秋からは下級生ながら正捕手の座をつかみ、2年生春には近畿大会でベスト4を経験。夏の兵庫大会も5回戦で明石商に敗れたが、「試合数を重ねるたびに緊張が減って、自分のプレーができるようになってきた」といい意味で場慣れをしてきた。

 

 その一方で「明石商との試合では1死満塁で打つことができずに悔しかった」と苦い思い出もある。その反省から、チームが掲げていた「一」への拘りを心に刻んで、新チームでは攻守でチームを牽引してきた。

 

 元プロ野球選手の葛城 育郎コーチから「ポイントについてずっと指導いただいています」とのことで、その成果もあってか、近畿大会では打率.588をマーク。準優勝にバッティングでも大きく貢献した。

 

 ただ「しなりを使って打てていない」と打撃に対しての課題を挙げるコーチもおり、高校通算13本塁打ながら伸びしろが守備以上にあるようだ。

 

 鍵は柔軟性だ。 「普段の練習から猫背になってしまったり、柔軟が硬かったり、股関節が抜ける感覚がありました。反応しても、素早く動けないところがありました。ピッチャーメニューを大阪桐蔭戦が終わってすぐに加わるようになって、徐々に良くなってきました」

 

 近年、近畿地区から高卒ドラ1捕手が誕生し続けている。ロッテ・松川 虎生捕手(市立和歌山出身)、DeNA・松尾 汐恩捕手(大阪桐蔭出身)の2人は「凄く目標になる存在です」と堀にとって刺激をもらえる先輩たちであり、追いかける存在となるだろう。

 

 まずはセンバツで頂点を獲ることだ。「攻守ともに高い率を残せるかが今後の課題だと思っています」と安定した結果を残すことを目標に掲げた。そのうえで、「近畿では大阪桐蔭に負けましたが、同じ相手に負けないように、日本一を取れるようにやっていきたい」とリベンジと日本一を狙うことを宣言した。

 

 常に高みを目指し、自身を追い込み続ける堀。一冬越えて、どれほどの選手に成長するのか。今後の活躍も見逃せない。

 

 

 

 

 

 

報徳学園 バッグ

報徳学園 バッグ

  • ノーブランド品
Amazon

 

 

高校野球あれこれ 第78号

「全国3冠」大阪桐蔭3年生の進路が決定、川原投手はホンダ鈴鹿、海老根外野手はSUBARU

 

DeNAにドラフト1位で入団した松尾汐恩捕手を擁して「全国3冠」に輝いた大阪桐蔭高3年生の進路が固まった。2021年秋の明治神宮大会、2022年春の第94回選抜高校野球大会、2022年秋の国体で優勝。2022年夏の甲子園制覇だけが成し遂げられなかったチーム。プロ志望届を提出したもののドラフト指名から外れた川原嗣貴投手が社会人野球のホンダ鈴鹿海老根優大外野手SUBARU(スバル)にそれぞれ内定。最速150キロ右腕の別所孝亮投手は慶応大に合格した。

 

 主な選手の進路は次のとおり。

 

 ▽川原嗣貴投手 ホンダ鈴鹿

 

 ▽松尾汐恩捕手 DeNA(ドラフト1位)

 

 ▽丸山一喜一塁手 立教大

 

 ▽星子天真二塁手 青山学院大

 

 ▽伊藤櫂人三塁手 中央大

 

 ▽鈴木塁遊撃手 駒沢大

 

 ▽田井志門左翼手 国学院

 

 ▽海老根優大中堅手 SUBARU

 

 ▽谷口勇人右翼手 青山学院大

 

 ▽別所孝亮投手 慶応大

 

 ▽川井泰志投手 日本体育大

 

 ▽青柳佳佑投手 関西大

 

 ▽河田流空外野手 関西大

 

 ▽近藤勝輝外野手 同志社大

 

 ▽大前圭右内野手 東海大

 

 今春卒業する3年生は全員がプロまたは社会人か大学で野球を続ける。西谷浩一監督(53)は「以前は高校を卒業して消防士になった生徒もいました。近年は全員が卒業後はどこかで野球を続けています」と話した。

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第77号

ウィキペディアには載っていない名将が死去。3校を甲子園に導いた樺木義則氏の軌跡をたどる

 

行く先々できっちりと結果を出す

間もなく春のセンバツの出場校が決まる。高校球児の大目標である甲子園は、監督としてもたどり着くのが難しいところである。

 

その甲子園に3校を導いた名将が1月2日に死去した。神奈川・武相高、東京・修徳高、そして母校の石川・金沢高で監督を務めた樺木義則氏(享年77)である。武相高と修徳高で1度ずつ、金沢高では6度と、春、夏合わせて計8度、「聖地」で指揮を執った。

 

樺木氏よりも多く甲子園を経験している監督は少なくない。だが3校で、となると極めてまれだ。ビジネスマンに例えるなら、在籍した先々で結果を出したことになる。率いたのはいずれも私学。樺木氏は社会科の教諭でもあったが、野球部を強くすることを求められていたに違いない。その中できっちり答えを出した。なかなかできることではないだろう。

 

樺木氏は選手でも甲子園に出ている。1962年夏の甲子園、金沢高の正捕手として甲子園の土を踏んだ。大学は東都リーグの名門、駒澤大へ。後輩に元ヤクルト、元横浜ベイスターズ監督の大矢明彦氏がいたのもあり、レギュラーにはなれなかったが、指導者を目指して裏方に転身。リーグ戦では3塁ベースコーチとして貢献した。

 

早実の5季連続阻止にあと1歩及ばず

指導者人生のスタートは武相高。樺木氏は監督に就任すると、いきなり68年夏の甲子園(武相高としては2年連続)に導く。この時のエースは島野修氏である。阪急、オリックスで、球団マスコットのスーツアクターとして活躍していたことを覚えている人も多いだろう。同年のドラフトでは巨人から1位指名を受けた。当然、自分の名が呼ばれると思っていた星野仙一氏(元中日投手、元東北楽天監督など)が「ホシとシマの間違いでは?」と言ったのは有名な話だ。

 

在任中は第1回日米大学野球選手権大会で、試合中の不慮の事故で亡くなった東門明氏(当時早稲田大2年)も指導。一般入試で早大に入学した東門氏は、自慢の教え子の1人でもあった。東門という素晴らしい選手がいたことを忘れないでほしい―。樺木氏は、社会科の授業でもよく東門氏の話をしていたようだ。

 

群雄割拠の神奈川には、樺木氏が目標とする監督もいた。東海大相模高の原貢氏である(巨人・原辰徳監督の父)。原氏に勝たなければ甲子園はない。闘志を燃やす一方で、70年夏に(三池工業監督時代の65年夏に次ぐ)全国制覇を遂げた原氏のもとによく足を運び、教えを乞うたという。

 

2校目となる修徳高でも、監督就任後すぐの79年春にセンバツ出場を果たす。前年秋の東京大会準決勝では、評判が高かった桜美林高の速球派右腕を攻略。そのスピードに対応するため、大学後輩の駒大の1、2年生投手に打撃投手を頼んだ執念の練習が実った。

 

修徳高監督時代のハイライトは、82年夏の東東京大会決勝だろうか。この大会、当時3年の荒木大輔氏(元ヤクルトほか)を擁する早稲田実業は「5季連続甲子園出場」がかかっていた。樺木氏にとって早実は、武相監督時代の東海大相模のような存在だった。

 

神宮球場が「荒木ギャル」で埋め尽くされた中、両者譲らぬ展開になったが、最後は早実がサヨナラ勝ち。追い詰めた修徳高は、あと1歩、及ばなかった。それでも後年、荒木氏に取材をした際、「あの試合…あの試合ですね。僕らは正直、負けたと思いました」と言っていた。そのくらい紙一重の試合だったのだ。野球には「もし」はないが、樺木氏が早実の「5季連続」を阻んでいたら、「監督・樺木」の評価はより高まっていたかもしれない。

 

甲子園に届かない監督もたくさんいる

3校目の金沢高の監督になると、待っていたのが、すでに星稜高で名監督になっていた山下智茂氏(現・名誉監督)である。樺木氏と山下氏は同学年で、同じ石川県の高校出身。駒大では同期だった。しかし、当時の駒大OBによると「同郷なのにバチバチの関係でしたね」。選手でも甲子園に出ていた樺木氏は、監督としても山下氏を先んずる形になったが(山下氏の初出場は72年夏)、この頃は甲子園での実績という点では山下氏がリードしていた。

 

「あいつにだけは…」。樺木氏は包み隠すことなく口にしていた。武相時代は東海大相模修徳時代は早実だった「標的」であり、「最大のライバル」は星稜高に、そして山下氏となった。選手のスカウトでもたびたびかち合ったという山下氏とは、何度も甲子園をかけた夏の石川県大会決勝で相まみえた。

 

樺木氏は名将であることには間違いないが、なかなか甲子園で勝てない監督でもあった。初めて勝ったのが、選手時代も含めて5度目の出場となった87年夏である。よほど嬉しかったのだろう。インタビュアーが質問を始める前に「やっと勝てました」と、感無量の表情で切り出したのが印象に残っている。

 

最高成績は90年春のセンバツでのベスト8。元福岡ダイエー、元福岡ソフトバンクコーチの中居殉也(当時3年)らがいた。一方で、全国ベスト8はあるものの、甲子園での通算成績は3勝8敗と「甲子園に愛された監督」だったとは言い難い。しかし、樺木氏は生前、こう語っていた。

 

「一生懸命にやっていても、甲子園に届かない監督さんはたくさんいる」と。

 

いかに自分が幸せで、幸運であるか。言外にはそんな含みが感じられた。

 

3校を甲子園に連れて行った樺木氏も、ウィキペディアには載っていない。2005年に道都大(現・星槎道都大)の監督を退任してからは、指導の表舞台から姿を消したのもあり、ネット検索でその功績に触れるのは難しい。もしかしたら、高校野球ファンにとっても、知る人ぞ知る大監督かもしれない。

 

高校野球に尽力した1人の名将がひっそりと旅立った。

 

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第76号

謹賀新年

高校野球の名将「“野球の上手い子が逆上がりできない”ってよくあるの、知ってます?」甲子園優勝監督が岡山で“単身赴任”…驚きの毎日

 

 秋の熊野(三重県)に強豪高校チームが集まり、迎え撃つ地元チームも交えて練習試合を行なう。恒例の催しが、今年も紀伊半島の熊野市を中心に、2日間にわたって開催された。

 

 今年の参加校は、北から、弘前東高、鶴岡東高、健大高崎高、昌平高、関東一高敦賀気比高、岐阜城北高、京都国際高、大府高、創志学園高……そして地元からは、津田学園高、近大新宮高、近大高専、昴学園高、尾鷲高の合計15校。

 

 地元の人の言うところの「向かいはハワイ」……熊野灘雄大な水平線を前に、背後には、紅葉盛りの熊野の山々がそびえる。

 

単身赴任で岡山へ「ビックリだらけですね」

 そんな大自然の中の5つの球場で行われた今年の「熊野」。そんな試合会場の1つ、「熊野スカイパーク球場」に岡山・創志学園高を率いてやって来た門馬敬治監督(53歳)を見つけた。

 

 1999年から22年にわたる東海大相模高野球部監督を辞して、門馬監督が創志学園高の指導を始めたのが、新チームになった今年の8月。

 

 およそ1年間のブランクを経て、再び、高校野球の現場に復帰されたわけだが、選手たちへの鋭いアプローチは変わらない。

 

「田中(仮名)、どうして右手を離して打つの?」

 

 一方通行の指示ではなく、その理由を求める。

 

「元気そうに見えます? あはは、そうですか、おかげさまで元気にしてます」

 

 真っ黒に焼けた笑顔とまなざしに力があったから、安心した。

 

 新しい所で、いろいろビックリしたこともあったでしょ? 

 

「ありましたよ、あれも、これも、ビックリだらけですね」

 

 単身赴任で岡山に移り住んで、食事も家事も、全部自分でこなさねばならない日常。

 

「練習から戻って21時過ぎですから。それから自炊っていっても、できませんよね、実際は。そのへんでお惣菜買ってきて……」

 

「食べ残しの多さに驚いた」

 創志学園グラウンドから岡山の中心部に戻るのに、車で小一時間。グラウンドのすぐ裏にお宅のあった「相模時代」とは、「職・住」からもう違う。

 

 選手寮も清掃から改善した。

 

「それと、食事ですね。食堂の配膳と皿洗い、私、この3カ月、ずっとやってきました。どんな食べ方をするのか、どんな顔で食べているのか……食べている時って、ほんとの姿が出るじゃないですか。グラウンド以外での、彼らの姿が見たかったんでね」

 

 食べ残しの多さに驚いたという。

 

「選手たちの食べ残しだって、考えたら寮費の一部なんです。つまり、親御さんに出してもらってる寮費の一部を捨ててるわけですよ。で、足りないから補食になるようなものを、家から送ってもらって、カップラーメンとか食べてる。これじゃあ、親御さんはお金がかかってしょうがないでしょ。それなら、寮の食事をしっかり食べてもらって、補食に使ってるお金を“野球”のために使ってもらったら、ずっと選手のためになると思うんです」

 

“捕手で4番”にあえてショートを経験させる

 野球そのもののほうも、「相模」に比べれば……というカルチャーショックはあるが、決して悪くないという。

 

「ただ、僕の感覚からいうと、まだいろんな意味で、野球が緩い。たとえば、スイングひとつにしても、インパクトでバチン! といく瞬発力。フィールディングなら、スタートの1歩目や、捕って投げる連続動作のメリハリ。でもね、選手たちも3カ月頑張って、だいぶ良くなってきましたよ」

 

 捕手で4番の竹本佑選手(2年生・183cm83kg・右投右打)。プロもその成長を楽しみにしているといわれるその大型捕手には、この秋、ショートのポジションでノックを受けて、捕球→送球の連動のスピードと、一瞬のキレ味を養ってもらっているという。

 

「瞬発力とか、一瞬の動作のメリハリって、要は体の強さですから、ここから春までの3カ月、4カ月が勝負だと思ってます。この冬のトレーニングで、選手たちが、体幹とか下半身の強さをどれだけアップできるか……冬はどうしても単調な練習になりがちですから、そこで選手たちがどれだけ“我慢と辛抱”を覚えてくれるか。それはねぇ……僕自身にとっても、我慢と辛抱になると思いますよ。選手と僕の根比べ。でも、それは、選手にとっても、僕にとっても、どうしても越えなきゃいけない壁だと思ってますから、その先を目指すためにね」

 

「野球の上手い子が逆上がりできないって、知ってます?」

 門馬監督には、この先に、いくつかのビジョンがあるようだ。

 

「野球以外のことをさせたいなぁ……野球以外のスポーツとか、あとは一見野球とは関係ないように思えるもの……」

 

 アメリカの高校選手、大学選手が寒い時期、アメリカンフットボールとかバスケットボールに取り組んでいることは、ずいぶん以前から聞いている。

 

 向こうのものは、割とすぐに取り入れるこちらの野球界で、そういえば、冬季の過ごし方については、昔からそんなに変わっていないようにも思う。

 

「野球の上手い子が、逆上がりできないとか、マット運動でも、前転からもうできないって珍しくないの、知ってます?」 

 

 実は、私自身がその一人である。

 

アメリカの高校生が、冬のアメリカンフットボールで、あの変形のボールをまっすぐ投げようとして、正しい腕の振りを覚えるとか……複数のスポーツをすることで、体の動きのバリエーションは必ず増える。野球の実戦って、思いがけないボールの動きとか人の動きがよくありますから。練習したことないからエラーしました……じゃ、すまないわけで、とっさにアウトにするための動きや、セーフになるための動きができないと。甲子園とか、レベルの高い戦いになるほど、とっさに何ができるか……そこが、勝負に直結してくるんです」

 

 プレー以外での効果も期待している。

 

「野球しか知らないと、野球もわからなくなってくるように思うんですよ。壁に当たった時に、どんな切り抜け方をするか。考え方にバリエーションがあると、ずいぶん違う。発想の広がり、視野の広がり。こっち側から考えるとこうだけど、反対側から考えたらこうかもしれない。思考の切り口が増えたら、思い詰めるってことがなくなると思うんで」

 

「ファーストベース回って、もうベースコーチ見てる…」

 自分の判断で、自分から動ける選手。そこにもつながってくるという。

 

「ファーストベース回って、もう(三塁の)ベースコーチ見てるバッターランナーが結構いたんです。打った球、見えてるんですよ。指示がないと動けないんじゃ、やってる本人がいちばんつまんないと思うんですよ。ベースコーチのいないシートバッティングとか、試合形式の練習やったりしてるんです」

 

 なんなら、いっそ監督さんのいない紅白戦だって、いいんじゃないか。選手同士がサインを出し合って。監督さんは、見物役にまわって。

 

「岡山は野球の国です。岡山東商、倉敷工業、倉敷商業……甲子園の常連、名門がいくつもあって。星野仙一さんはじめ、平松政次さん(岡山東商、元大洋)、松岡弘さん(倉敷商、元ヤクルト)……偉大な野球人の出身地でもある。中学野球のレベルも高いですよ、硬式も軟式も。兵庫、広島……負けず劣らず野球熱の高い県に挟まれて、やりがいのある土地だと思ってます」

 

 今は野球部の指導だけだが、来春、新学期からは社会科教員として、授業を持って教壇に立つ。

 

「学校での選手たちを見たいんです」

 

 今、それができないのが、なんとももどかしそうだ。

 

「学校での過ごし方を見ていると、彼らの人としての輪郭が鮮明になってくる。人という立体としての彼らが見えてくる。それを見定めて、そこからが本当の“指導”になってくると思うんです」

 

 試合と試合の合間の、そんなに長い時間じゃなかった。

 

 それなのに、これだけの「意気込み」が門馬監督から発信された。おそらく頭の中には、この先の「創志学園」という新たな宇宙での展開が、具体的なプランとしてぎっしり詰まっているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第75号

高校野球】 “強い横浜”へ信念を持って戦い続ける村田浩明監督と選手たち

 

秋季関東大会が幕を開けた10月22日、埼玉・大宮公園野球場のベンチ裏で、出番を待つ横浜・村田浩明監督(36)と偶然に顔を合わせた。

 「思い出深い球場なんです。高校3年秋の国体の決勝で、ダルビッシュ投手の東北(宮城)を破って優勝しましたからね」。当時、横浜の捕手だった村田監督は、現中日の涌井秀章投手(36)をリードし勝利に貢献した。

 笑顔で別れ、縁起のいいグラウンドで迎えた開幕戦は、埼玉の強豪・浦和学院に2―0で勝利した。来春のセンバツ出場に当確ランプがともる4強入りまで“あと1勝”。ところが、準々決勝は高崎健康福祉大高崎(群馬)に2―5で競り負けた。2試合の安打数は計10本。一方で残塁は20にのぼり、打撃面に物足りなさが残った。

 一昨年4月、村田監督は、部員への暴言や暴力行為により前監督が解任された後、名門の再建を託されて就任した。2021、22年と夏の甲子園に出場。着実に成果を積み上げている。「横浜高校らしい守備、走塁の基盤は出来てきました。それでも、打てないという課題が出たので、つぶしていかなければ。振って振って覚える。例年の倍以上は振っていますよ」と前を見据えた。

 左腕エースの杉山遥希投手、主将の緒方漣遊撃手ら2年生は、監督に就任して初めてスカウトした世代。1年夏から甲子園の舞台に立つなど経験値は高い。「自分たちの代で甲子園に行ってこそ、本当の価値がある。最上級生として引っ張ってほしい。それが役目だと思います」。思い入れが強いからこそ、求めるレベルは高くなる。

 来春センバツの選考委員会は、来年1月27日に開かれる。夏春連続の甲子園出場を願う一方で、村田監督は強い決意を口にする。「選手には『夏、秋に続いて来春の神奈川大会も優勝して、旗を3本そろえよう』と言っているんです。この冬、神奈川県で最も高いモチベーションを持って練習出来るのは自分たちですから」。全国大会でも堂々と勝ち上がっていく“強い横浜”を目指して練習に取り組む日々。どのような状況にあっても、指揮官と選手の思いに一切のブレはない。

 

 

 

高校野球あれこれ 第74号

センス抜群の大型遊撃手、大阪桐蔭1番打者の将来が楽しみ

 

将来どこまで大きく成長するか分からないくらい、楽しみな遊撃手が大阪桐蔭(大阪)にいる。背番号6を背負う、小川 大地内野手(2年)は182センチ、78キロのバランスの取れた体型を持つ大型遊撃手。安定した守備と積極的な打撃で、「1番遊撃手」として大阪桐蔭明治神宮大会連覇に大きく貢献した。

 

打撃ではシャープな振りが武器だ。近畿大会初戦の神戸国際大附(兵庫)戦では5打数1安打の結果となったが、その打撃内容を見ると完全に打ち取られたという印象はない。第1打席は思い切り引っ張って左前安打。2打席目は三振したが、3打席目には同じように力強く引っ張った打球が左中間へ。惜しくも相手センターのダイビングキャッチの好捕に阻まれたが長打になっていてもおかしくなかった。4打席目は結果的には遊撃ゴロとなったが、強烈なライナー性の打球で遊撃手が好捕した当たりだった。5打席目の右飛も外角球を強振した当たりで右翼フェンス近くまで飛んだ。打撃センスの高さをアピールする内容だった。

 

 守備では大型ながら俊敏な動きと、無駄のない強肩を生かしたスローイングで、内野陣の要となっている。

 

 数字的にみれば近畿大会が打率.200、明治神宮大会では打率.167と不調に終わったが、数字に表れない素質の高さは垣間見れる。大先輩の根尾 昂投手(現中日)とまではいかないまでも、センバツVメンバー、今夏までのトップバッターの伊藤 櫂人内野手(3年)を越える存在になれると信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第73号

大阪桐蔭がもたらした「神宮枠」の行方やいかに? 近畿のセンバツ出場校あるあるにも影響?

近畿大会1回戦でサヨナラ勝ちした高田商。5年前にも、神宮枠で出場した(筆者撮影)

 大阪桐蔭神宮大会連覇を果たし、来春センバツの「神宮枠」を持ち帰った。これで近畿からは7校が一般枠で出場することになる。この恩恵にあずかるのはどのチームか?そして94回のセンバツの歴史で、近畿にだけ存在する出場校あるあるとは?

4強プラス彦根総合は安泰か?

 近畿の選考では、近畿大会の4強が選ばれることは当然としても、残る2校を巡って毎年のように揉めてきた歴史がある。来春の顔ぶれを予想すると、近畿大会の上位である大阪桐蔭報徳学園(兵庫)、智弁和歌山龍谷大平安(京都)の選出に異議を差しはさむ余地はない。残る2校については準々決勝敗退の4校から選ばれるのが通例である。試合内容や地域性を考慮すると、大阪桐蔭に中盤まで善戦した彦根総合(滋賀)がまず抜け出すだろう。残る1校については、よく選考会後に言われる「多角的」な分析が必要になる。

戦力的には履正社だが…

 戦力だけでみれば、履正社(大阪)は外せない。大阪大会では大阪桐蔭に0-7で完敗したが、多彩な投手陣と分厚い攻撃力で、4強勢に引けをとらない。準々決勝で敗退した高田商(奈良)、(兵庫)よりも力はあるだろう。こと戦力に限って言えば、4番目までに入ってきてもおかしくない。しかし、今年までの94回を振り返ると、近畿のセンバツ出場校に、ある奇妙な法則があることに気がつく。

94回連続で近畿から公立校出場

 それは「近畿から必ず公立校が選ばれている」という事実だ。読者もご自身で確認すれば、驚かれることだろう。一般枠で私立しか選ばれなかった82回大会では向陽、86回大会では海南、87回大会では桐蔭と、和歌山の名門校が21世紀枠で選ばれた。このころから、一部の熱心なファンや高校野球関係者の間でささやかれ始め、筆者も関心を持った。理由はもちろん不明だが、事実は事実。ここまで長く続くと、単なる偶然で済ませることができるだろうか。

7枠目に公立が浮上か?

 近畿大会の振り返り記事で、「公立の高田商と社は厳しい」と書いた。これは近畿大会を取材した率直な感想で、スコアからも判断がつくとは思うが、いずれかを浮上させるにはかなり無理がある。6校のままなら公立ゼロが濃厚と言わざるを得ず、謎の法則通りに公立を選ぶなら、履正社彦根総合を落とさなければならない。しかしこれで、7枠目に公立が食い込むことは確実。その意味でも、大阪桐蔭のもたらした神宮枠は貴重だと言える。

1年生左腕好投も打線低調の高田商

 候補に挙がる両校は甲乙つけがたい。高田商は初戦で乙訓(京都1位)との公立対決を、1-0のサヨナラで制した(タイトル写真)。

 

高田商の仲井は、打者のタイミングを外し凡打の山を築く。低めへの制球力が生命線だ(筆者撮影)
高田商の仲井は、打者のタイミングを外し凡打の山を築く。低めへの制球力が生命線だ(筆者撮影)

 

 1年生エースの仲井颯太は、球威こそないが、低めにボールを集め、緩急でタイミングを外す技巧派。右打者の外角に大きく変化する球を有効に使い、京都大会で好調だった乙訓打線を2安打に封じた。打線は大会を通して低調で、準々決勝では龍谷大平安に完封され、近畿大2試合でわずか1得点がどう評価されるか。あとは、公表されたセンバツガイドラインに従えば、「実力同等評価の場合は地域性優先」とあり、奈良から唯一の8強も追い風になる。

社は完封コールド負けが痛恨

 今夏の甲子園に出場した社は、天理(奈良)の投手陣を打ち崩し、14安打13得点で打ち勝った。連日の試合となった智弁和歌山戦は一転、打線が沈黙し0-7のコールド負けは痛恨だった。エース・高橋大和(2年)は140キロを超える速球を軸に、チェンジアップやカーブで緩急をつける。近畿大会では制球に苦しむ場面もあり、2試合で4本塁打を浴びた。控え投手のレベルアップに期待したい。

 

社は左打者中心の打線で下位まで力強い。8番を打つ河関(こうぜき)楓太(2年)は近畿大会2試合で7打数5安打と打ちまくった(筆者撮影)
社は左打者中心の打線で下位まで力強い。8番を打つ河関(こうぜき)楓太(2年)は近畿大会2試合で7打数5安打と打ちまくった(筆者撮影)

 

 打線は中軸を左打者で固め、下位打者までしぶとくつなぐ。同じコールド負けでも、高橋が打たれたことには連戦を考慮してもらえる可能性を残すが、打線が完封されたのは返す返すも痛かった

高田商に神宮枠なら歴史は繰り返される

 実は6年前の和歌山開催でも、高田商は当落線上だった。準々決勝で履正社にコールド負けしたが、結果的にその履正社が持ち帰った神宮枠によって救われた。この時の近畿勢も、6校目まで公立がなく、高田商の神宮枠での選出によって、近畿勢の1回大会からの公立連続出場は途切れずに済んだ。果たして歴史は繰り返されることになるのだろうか。選考会は来年1月27日に開かれる。

 

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第72号

投げっぷりはエース以上、大阪桐蔭の背番号10右腕に大きな成長を期待

 

大阪桐蔭(大阪)は今秋の明治神宮大会で初の連覇を成し遂げた。背番号1を背負う主将の前田 悠伍投手(2年)に注目が集まるなか、個人的には大きく成長しそうな右腕に期待している。背番号10の南 恒誠投手(2年)。とにかく投げっぷりがいい。

 

最速は145キロ。185センチ、82キロと、体格なら180センチ、78キロの前田に負けていない。さらに強気に攻める投球には気持ち良さを覚える。印象的だったのは、秋季近畿大会の準決勝。この龍谷大平安(京都)戦は、エース前田抜きで戦うことになっていた。8回に4対3と1点差に詰め寄られ、なおも無死一、二塁と逆転のピンチを迎えたところでマウンドに上がったが、堂々とピンチを切り抜けて見せた。

 

 バント処理を冷静に処理し三塁でアウトを奪うと、その後、三塁への併殺に打ち取ってピンチを脱した。味方が1点を追加し5対3で迎えた9回にも、四球と二塁打で無死二、三塁の一打同点のピンチを背負うも、次打者から2者連続三振。1人目はフルカウントから左打者の内角への145キロ速球で見逃し三振。2人目もフルカウントから143キロの真ん中高め直球で空振り三振。気合で相手打者を上回っていた。最後の打者は内角へ2球連続直球を投げ込んで左飛に抑えて勝利を導いた。

 

 まだまだ経験不足は否めないが、前田の2番手として大きな存在となりつつあるのは間違いない。一冬越え、センバツのマウンドで躍動する右腕の姿を見たい。

 

 

 

 

 

 

 

 



高校野球あれこれ 第71号

センバツ有力のクラーク記念国際のエースの将来像は阪神・青柳か?

大阪桐蔭に大敗しても期待が持てる理由

 

クラーク記念国際(北海道)の背番号1、新岡 歩輝投手(2年)は、前チームでは遊撃手として甲子園に出場。今年は全道大会を1人で投げきり、優勝に導いた。昨年、札幌ドームでの公式練習で投げている姿を見ていたが、常時130キロ後半の速球と、切れ味の鋭いスライダーを投げ分ける投手になるとは想像できなかった。遊撃手としても悪い選手ではないが、打撃はややパンチ力に欠けるので、投手として才能を伸ばしてほしい。

 

 新岡は主将としてチームを牽引しているが、佐々木監督は「今年は新岡しかいなかった」というぐらい信頼を寄せている。

 

 

 

 右サイド気味から投げ込む直球は常時130キロ~138キロ。高校1年の120キロ台ほどから大幅なスピードアップに成功した。直球以上に変化球も鋭く、カットボール、チェンジアップ、カーブ、スライダーと多くの球種を操る。スライダーも縦変化、スラーブ系といろいろと使い分けて、直球と同じ軌道から曲げている。内角にも強く攻めることで、より変化球が生きている。

 

 

 明治神宮大会の初戦、大阪桐蔭(大阪)戦では、チェンジアップが甘くなったところを打ち込まれてしまったが、それでも1つ1つの投球の意図を見ると、12失点する投手には感じなかった。佐々木監督も「序盤はやや硬さがありましたが、4、5回の投球は意図が感じられた」と投球内容を評価していた。

 

 

 右サイド気味といえば、最近のプロ野球ではテクニックで勝負する阪神・青柳 晃洋投手(川崎工科出身)や、剛速球タイプで勝負する巨人・大勢投手(西脇工出身)などがいるが、新岡はどちらかというと、青柳寄りの投手ではないだろうか。投げ方に無駄がなく、シャープに腕を振っている投球フォームを見ても、負担が少なく、長いイニングを投げられそうだ。

 

 

 来年へ向けてどれだけ出力を高めて、全国レベルの打線を封じることができる投手へ成長できるか、注目していきたい。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第70号

前田三夫小倉全由

東京の高校野球を牽引した2人の接点とは

 

 12月3日、東京都高野連は指導者講習会を都内の海城高で3年ぶりに開催した。集まった約100校、230人の指導者の前に、講師として登壇したのが前田三夫。帝京高を50年にわたって率い、甲子園通算51勝、春夏合計3回の優勝を誇る。現在は名誉監督についている。

 

 前田氏はこれまでの指導者人生を振り返り、

 

「高校1年のとき、練習のあまりの厳しさに一時は野球をやめかけた。挫折しかけているんです」

 

PL学園と対戦したときは、試合前に相手の中村順司監督をジッとにらんでいました。若気の至りで、まことに失礼な限り。でも中村さんも中村さんで、"かかってこいよ"というポーズを返された」

 

 なとど、ユーモアを交えて語りかけた。最後の質疑応答では、日大三高小倉全由監督からこんな質問が。

 

「自分が関東一の監督時代、初めて甲子園に出たのが1985年の夏です。そのときの東東京の決勝の相手が帝京さんで、ウチの選手はホームインするたびに帝京さんのベンチに向けてガッツポーズをしていました。前田先生が、中村順司監督をにらんだようなものですが(笑)、そのときにはどんなお気持ちでしたか」

 

 これに対して前田氏、

 

「中村監督が私にやったように、"かかってこいよ"でしたかねぇ(笑)」

 

東京を牽引した好敵手

 ちなみに85年当時、小倉監督は28歳。帝京はこの年、センバツで2度目の準優勝を遂げるなどすでに強豪で、小倉監督の関東一は、どうしてもかなわない。

 

 監督に就任した81年秋こそ準決勝で勝っているが、82年秋は準決勝で、初めて夏の決勝に進んだ83年は2対3で敗れている。

 

「甲子園に出場するために、どうしても倒さなければならないのが帝京さんでしたが、つねにはね返されていました」(小倉監督)

 

 関東一は85年夏、ようやく甲子園に足を踏み入れるのだが、85、86年の秋も、決勝で帝京に敗れている(ただしどちらも、翌年のセンバツに東京からアベック出場している)。

 

 小倉監督は97年から母校・日大三に移り、夏の優勝2回を含む甲子園通算36勝。都内では、前田監督に次ぐ数字だ。東東京の帝京と西の日大三、夏の対戦はなくなったが、2019年秋には、東京の準々決勝で対戦した。

 

 会場の神宮第二球場は過去、数々の名勝負が繰り広げられてきたが、再開発のためにこの日がラストゲーム。締めくくりが東京の好敵手対決とは、野球の神様もなかなかイキな計らいをする。ちなみにこのときは帝京が2対1で勝利。前田監督は、翌年夏限りで勇退することになる。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第69号

「1強」大阪桐蔭を止めるために来春センバツ出場校がやるべきこと

 

 

秋の日本一を目指す明治神宮大会は、大阪桐蔭(近畿=大阪)が5点差を逆転して広陵(中国=広島)を下し、大会史上初の2年連続優勝。来春のセンバツでも優勝候補筆頭として連覇を狙う。

 

何試合か神宮球場で観戦したが、相変わらず選手の層が厚い。投手陣は左腕エースの前田悠伍(2年)を筆頭に、今年も好投手を揃えている。ただ、前田の直球は140キロ前後。東邦(東海=愛知)戦では本塁打を打たれた。ツーシームやスプリットといった変化球は多彩でキレがあるだけに頼ってしまい、直球がおろそかになる傾向がある。

 

 神宮はマウンドの傾斜が低く、土が硬いため、球が浮きやすいことを差し引いても、高めの割合が多かった。決勝の広陵戦ではボール2個分は高いボール球をストライクに取ってもらえたから良かったものの、通常のストライクゾーンなら、負けていたかもしれない。センバツまでに直球の質を上げないと、打線がいいところにはつかまる可能性がある。とはいえ、今大会で登板した南恒誠(2年)、藤井勇真(2年)、松井弘樹(2年)、南陽人(1年)の投手陣は、いずれも140キロ近い球威のある球を投げていた。西谷浩一監督が前田の起用に固執しないで済むのが強さである。

 

 打線は2番の山田太成(2年)、3番の徳丸快晴(1年)を中心に切れ目がないが、“らしくない”送球ミスや守備力の甘さが気になった。

 

総合力高い夏王者

 

 対抗は今夏の甲子園大会を制した仙台育英(東北=宮城)だ。登板した高橋煌稀(2年)、湯田統真(2年)、仁田陽翔(2年)、田中優飛(2年)の投手陣は大阪桐蔭と双璧。打線は右打者は右中間、左打者は左中間と逆方向に強い打球をはじき返していて確実性が高かった。準決勝の大阪桐蔭戦は4-5と接戦で、こちらも総合力は高い。

 

 広陵は主砲の真鍋慧(2年)が今大会2本塁打。バックスイングの際にバットのヘッドが投手側に入るクセがあるため、速球に詰まる傾向はあるものの、大阪桐蔭戦で打ったのは評価できる。主戦投手の倉重聡(2年)の直球は130キロ台半ばながら、冬の間に140キロ前後まで伸ばせれば面白い。今夏はエースだった高尾響(1年)も足の故障が治り、好投した。沖縄尚学(九州=沖縄)の東恩納蒼(2年)のフォームは理想的で球が伸びていた。

 

「甲子園で優勝を狙うには好投手が2人以上必要」というのは最近の常識だ。今夏の甲子園準々決勝で大阪桐蔭が敗退した試合も、下関国際が左右2投手の継投で目先を変えたことが奏功した。

 

大阪桐蔭1強時代」をどこが止めるのか。センバツ出場校は冬の間にタイプの違う投手を2人以上つくるべきである。