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高校野球あれこれ 第113号

今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【巨人編】 

1試合2発の和製大砲と、甲子園後に注目集めた次代エース

球界を代表するスラッガーに成長した岡本(巨人)は、3年春の甲子園で1試合2本塁打を放った 

 第105回目を数える夏の甲子園大会へ向けて、高校球児たちがすでに熱い戦いを繰り広げている。今回は彼らの「先輩」であるプロ選手たちの高校時代にスポットライトを当てる。
 セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は巨人編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。

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岡本和真:智弁学園(奈良)

 史上最年少で「3割30本100打点」達成し、WBCでも活躍した不動の4番の威圧感は、高校時代からすでに備わっていた。

 小学生時代から抜きん出た才能を周囲に見せ付け、中学時代はシニアリーグ日本代表の4番として全米選手権に出場して優勝に貢献し、多くの強豪校スカウトの声がかかっていたという。そして子供の頃からの憧れだったという地元・奈良の智弁学園に進学すると、1年秋から4番に座ってすぐさまアーチを量産し、2年生までに高校通算本塁打数50本をクリアして見せた。

 甲子園デビューは2014年の3年春まで待たなければならなかったが、その分、鮮烈だった。初戦の三重(三重)戦、初回の第1打席でいきなりセンターへの本塁打を放つと、第2打席のヒットを挟んで迎えた6回の第3打席ではレフトへ大飛球を飛ばして1試合2本塁打。続く2回戦で田嶋大樹(現オリックス)を擁する佐野日大(栃木)に延長10回サヨナラ負けを喫したが、ファンの脳裏に“岡本和真”を強烈に印象付けた。

 続く3年夏も注目されたが、今度は初戦で岸潤一郎(現西武)を擁する明徳義塾(高知)と対戦して4対10で敗退。当時のチームには1学年下に廣岡大志(現オリックス)、2学年下に村上頌樹(現阪神)がいたが、甲子園では上位に進出できなかった。

 智弁学園は、岡本が卒業した2年後の2016夏に「エース・村上」で初の全国制覇を成し遂げると、前川右京(現阪神)を擁した2021年夏も決勝進出(智弁和歌山に敗れて準優勝)。今年のチームも松本大輝(3年)を筆頭に強打者が揃っており、近畿王者として前評判の高い。夏の初戦は7月16日だ。

戸郷翔征:聖心ウルスラ(宮崎)

 巨人軍の次期エースとして実績と信頼を積み重ねている23歳の若き右腕は、高校2年の夏に甲子園の舞台に立った。

 2017年夏、まだまだ高校野球ファンに馴染みの薄かった聖心ウルスラが、2005年夏以来2度目の甲子園出場を果たした。その県大会で6試合中5試合(先発4試合)に登板して計37イニングで45奪三振を奪った2年生エースが、戸郷だった。今以上に細身長身の体型から伸びのあるストレートを投じていた。

 迎えた甲子園では、1回戦で早稲田佐賀(佐賀)と対戦した。立ち上がりから140キロ台の直球にスライダー、チェンジアップを交えて4回まで無安打ピッチングを披露し、最終的に毎回の11奪三振を記録しての9回8安打2失点(1失点)の堂々たる投球でチームに甲子園初勝利を届けた。

 だが、続く2回戦で聖光学院(福島)に4対5で惜敗。自らの2点タイムリーで3回表に3点を先制したが、3回以降失点を重ねて7回1/3を10安打5失点(自責4)で姿を消した。さらに新チームとなった2年秋は県3回戦敗退、3年夏も県ベスト8で敗れて再び甲子園の舞台に戻ってくることはできなかった。

 それ故に全国的には“忘れられた存在”となっていた戸郷だが、その名を思わぬ形でとどろかす。3年夏の大会終了後、宮崎で合宿を張ったU-18侍ジャパンが宮崎県選抜チームと壮行試合を実施。そこで戸郷は1回途中から2番手で登板すると、最速149キロのストレートに鋭い変化球を交え、根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)などから計9奪三振をマーク。世代トップの選手たちを揃えた打線を相手に5回1/3を投げて5安打2失点に抑えて「あのピッチャーは誰だ⁉」と話題となり、同年秋のドラフト指名につながった。もし、合宿地が宮崎でなければ、今とは異なる野球人生を歩んでいたはずだ。

 今や日本球界を代表する投手となった戸郷だが、母校の聖心ウルスラは戸郷卒業後にはまだ甲子園出場を果たせていない。だが今夏は、県大会初戦で前年夏王者の富島に5対3で勝利した。続く3回戦は、7月17日に予定されている。

中田翔大阪桐蔭(大阪)

 日本を代表するスラッガーは高校時代、甲子園の舞台で投打“二刀流”として類まれな能力を披露した。

 甲子園初登場は1年生だった2005年夏だった。2学年上に平田良介(元中日)、辻内崇伸(元巨人)らがいたチームで「5番・一塁」として出場すると、1回戦の春日部共栄(埼玉)戦では投手として5回途中からリリーフ登板し、147キロを直球と鋭いスライダーも披露した。打者としても1年生ながら左中間へ豪快な一発を放ち、ベスト4に進出した中で新たな怪物出現をファンに印象付けた。

 1年秋からは「エースで4番」となり、同学年の岡田雅利(現西武)とのバッテリーを組んだ。最速151キロを計測した豪快さだけでなく、変化球を巧みに操り、指先の繊細さも併せ持ったセンス抜群の投手だった。だが、2年春の府大会で右ひじを痛めたことで「打者・中田」へと傾倒することになる。迎えた2016年、2年夏の甲子園は1回戦の横浜(神奈川)戦でバックスクリーン左へ一直線に突き刺さる一発を放ってファンを驚かせた。だが、続く2回戦で斎藤佑樹(元日本ハム)擁する早稲田実西東京)に敗退。自身も4打数無安打3三振での“斬られ役”となった。

 2007年の3年時は右ひじの故障も癒えて「4番・投手」に復帰し、春の甲子園に出場した。初戦の日本文理(新潟)戦では7回を7四球と乱調ながら1安打9奪三振無失点に抑え、続く佐野日大(栃木)戦では打者に専念して2本塁打を放った。そして常葉菊川(静岡)戦では、田中健二朗(現DeNA)との白熱の投手戦の末に1対2で敗退。3年夏は大阪大会決勝で敗れて涙を飲んだ。

 甲子園では高校通算87本塁打の実力を発揮し切れなかった中田だが、仙台育英佐藤由規(元ヤクルト)、成田の唐川侑己(現ロッテ)とともに「高校ビッグ3」と謳われ、ドラフト1位で4球団競合の末に日本ハムに入団した。故障している間にパンプアップした肉体がスラッガー色を濃くしたが、投手としてもセンス抜群で「二刀流」に挑戦できるだけの能力を持っていたのは間違いない。

 大阪桐蔭は中田の卒業後に栄華を極め、今年も世代ナンバーワン1左腕・前田悠伍(3年)を擁して優勝候補に挙げられている。その前に中田も最後の夏に敗れた大阪大会を勝ち抜くことができるか。7月16日に初戦を迎える。