「このチームで甲子園へいきたいという思いは強い」。昨秋の滋賀大会で初優勝した直後、彦根総合を率いて2年目の宮崎裕也監督(61)は、喜ぶ様子も見せず、淡々と話した。県立の北大津を春夏6度、甲子園へ導いた湖国の名将だ。続く近畿大会でも、近大新宮(和歌山)を4-2で破って(タイトル写真)、センバツ出場に王手をかけた。

ライバルの地元へ乗り込んだ名将

 宮崎監督が彦根総合に赴任したのは3年前の4月。北大津から安曇川に異動後は、野球部指導に携わらず鳴りを潜めていた?が、生来の野球好きの虫がうずき出し、定年を前に早期退職した。向かった先は、北大津時代からのライバル・近江の地元、彦根市にある私学だった。

 

宮崎監督は大津市の出身で、比叡山3年の夏には甲子園8強入りを果たした。現在は彦根市にある彦根総合の選手寮近くに住む(筆者撮影)
宮崎監督は大津市の出身で、比叡山3年の夏には甲子園8強入りを果たした。現在は彦根市にある彦根総合の選手寮近くに住む

 女子校からの転向組がすぐに甲子園で活躍するケースはままある。神村学園(鹿児島)、済美(愛媛)などがよく知られるが、いずれも転向後すぐに結果を出している。彦根総合が共学になったのは平成18(2006)年で、野球部もその2年後に誕生したが、十数年の間、目立った成績は収めていない。宮崎監督の就任は、彦根総合にとって大きな起爆剤となった。

近畿大会で8強入りし、センバツ懸けて大阪桐蔭と対戦

 厳密に言えば赴任した年の8月の監督就任だが、宮崎監督が事実上、指揮を執り始めたのは、現在の2年生が入学した一昨年の4月から。前監督時代の上級生も指導したが、主力として活躍した選手はわずかで、入学早々から公式戦に出場していた現メンバーも少なくない。新チームはセンバツにつながる昨秋の滋賀大会決勝で瀬田工に快勝し、創部以来初の県大会制覇で近畿大会初出場を決めると、初戦では近大新宮と互角の好勝負を演じる。外野手の好返球で2度も相手の生還を阻止し、終盤の勝負所で逆転するなど、ベテラン監督と選手の経験が勝敗を分けたような試合だった。そして、王者・大阪桐蔭との準々決勝へ進むことになった。勝てばセンバツは当確。しかし、大敗すれば甲子園が遠のく大一番だ。

大阪桐蔭から序盤にリードを奪う

 試合は序盤から激しく動き、大阪桐蔭のエース・前田悠伍(2年=主将)の乱調につけ込んで、捕手・森田櫂(2年)の適時打などで彦根総合が4-2と序盤戦を制した。

 

大阪桐蔭のエース・前田から適時二塁打を放って、4-2とリードを広げ喜ぶ彦根総合の森田。近大新宮戦でも好機で快打を放ち、勝負強さを発揮していた(筆者撮影)
大阪桐蔭のエース・前田から適時二塁打を放って、4-2とリードを広げ喜ぶ彦根総合の森田。近大新宮戦でも好機で快打を放ち、勝負強さを発揮していた

 

 しかし中盤の4回に入ると、王者は彦根総合のエース左腕・野下陽祐(2年)をじわじわと攻める。2死までこぎつけたがあとアウトひとつが取れず、連続押し出しに失策などで一気に5点を失う。あとは王者が貫禄を見せ、9-4で彦根総合を押し切った。近畿大会は8強に終わったが、初出場ながら高校球界の頂点に立つチームに堂々と渡り合ったことは評価できる。

大阪桐蔭とのスピードと体力の差を痛感

 「大阪桐蔭を実感できたのは大きい。選手たちは、(大阪桐蔭が)思ったより小さかったと感じたはず。『俺らでもやれるぞ』と」。指揮官も、センバツの懸かった試合で、王者を慌てさせたという手応えはあったようだ。しかし、この試合を通して痛感したのはスピードと体力の差。これが冬の強化ポイントになった。北大津時代からの1日1000スイングは継承し、最新鋭のマシンを使ったトレーニングで瞬発力と筋力を徹底して鍛えた。

センバツでは、封印してきた作戦も披露するか?

 投手は野下に加え、ともに140キロ超の速球を持つ右腕の勝田新一朗(2年)と武元駿希(2年)の三枚看板で、「投手力は近畿でもトップクラス」(宮崎監督)と自信を持つ。

 

投手陣の一角を担う速球派右腕の勝田。秋は救援登板が多かったが、宮崎監督は「状態が上がってきている」と話し、大舞台での先発起用も視野に入れている(筆者撮影)
投手陣の一角を担う速球派右腕の勝田。秋は救援登板が多かったが、宮崎監督は「状態が上がってきている」と話し、大舞台での先発起用も視野に入れている

 

 一方の野手陣はやや小粒だ。北大津時代は豪快な本塁打攻勢で甲子園を席巻したが、このチームには長打力がない。「つないでつないで、駅伝打線ですわ」と謙遜する。あと、北大津時代に甲子園で見せたある作戦も「封印してきたけど、解こうかな」と笑った。その作戦とは?これは甲子園でのお楽しみとしておこう。

直接対決で「打倒!近江」は果たせず

 このチームの目標の一つには、「打倒!近江」があった。言わずと知れた湖国の盟主で、昨春のセンバツ準優勝校だ。秋の滋賀大会では3回戦での直接対決も考えられたが、彦根東に逆転負け。「目の前で負けてショック。実際に対戦して倒したかった。選手も同じ気持ちやったと思う」とライバル敗退に宮崎監督は落胆した。北大津時代から近江とは「湖国2強」を形成し、激しく甲子園出場を争ってきたが、宮崎監督退任後は近江の独走が続いていた。それでも近江には感謝の気持ちがあるという。

近江がつけた優勝への道を歩くだけ

 「近江が、滋賀のチームに(優勝までの)道をつけてくれた。いままで道もわからんかったけど、近江が平らにならして舗装までしてくれた」と一昨年からの近江の活躍を称え、「近江が歩きやすくしてくれた道を歩くだけ。それ(準優勝)以上の成績、言うたら日本一しかないやないですか」と近い将来の甲子園優勝を見据える。年齢的なことを考えても、悠長なことは言っていられない。それだけに、冒頭の「このチーム」が、期待通りの結果を出したことに安堵している。

大阪桐蔭と当たるまで負けたくない」

 近畿は大阪桐蔭神宮大会優勝によって、7校が一般枠選出されることになった。近畿8強に残り、大阪桐蔭と渡り合ったことで、彦根総合が選出される公算はかなり大きい。33校が選出される一般枠全体を見渡すと、彦根総合は唯一の甲子園未経験校となりそうな気配で、本番でも初戦を乗り切れば一気に波に乗りそうな予感がする。「もう一回、大阪桐蔭とやりたい。冬を越えてどこまでやれるか。大阪桐蔭と当たるまでは負けたくない」と湖国の名将はどこまでも貪欲だ。