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高校野球あれこれ 第174号

 

 最強打者の骨折で甲子園は無理かも」 溢れた悲観的な声突然回ってきた4 

 

牛島和彦氏は2年の秋季大会で準優勝も近畿大会を前に香川伸行捕手が離脱

甲子園出場は無理じゃないかの声に発奮した。1978年の秋季近畿大会で牛島和彦投手元中日ロッテ現・野球評論家がエースの浪商は優勝し、2年連続での選抜出場をつかんだ。1回戦は興国に9-2(8回コールド)、決勝は東洋大姫路兵庫6-5、準決勝は箕島和歌山11-4(8回コールド)、決勝は尼崎北兵庫7-3で下した。4番の香川伸行捕手元南海が怪我でスタメンから外れた中浪商ナインの意地が爆発しての優勝でもあった

 

当時の浪商はエースの牛島氏とともに、4番・香川捕手の強打は大看板だった。「香川はすごかったですよ。(大体大付属中学の時から関西では有名でしたしね。(浪商では)1年の時からもうバッティングは別格でしたねパワーというか遠くへ飛ばす力は持っていましたねと牛島氏も舌を巻くばかりまさに頼れる4番がいたおかげでチームも強くなった牛島氏らが2年生だった1978年秋季大阪大会も順調に勝ち上がった

 

浪商、PL学園興国岸和田の4校による決勝リーグ戦となり浪商は21敗の2位で通過した負けたのは小早川毅彦内野手元広島ヤクルト)、山中潔捕手元広島ダイエー中日日本ハムロッテ)、阿部慶二内野手元広島らが主力のPL学園だった。「1-3で負けましたね。PLのピッチャーはアンダースローウチの打線はそういうタイプに弱かったんです本格派には強いんですけど軟投派は苦手だったんですよねぇ」。

 

秋季大阪大会をPL学園に次ぐ2位で近畿大会に出場するのは前年の1977年と全く同じパターンだったが大きな違いがひとつあった。「大阪大会で香川が右手の人差し指だったと思いますが骨折したんですよと牛島氏は話す。4番打者のまさかの怪我はチーム内外にも衝撃を与えた。「学校中で香川が出られないのなら近畿大会は厳しい選抜出場は無理かもみたいな話が広まったんです」。その話を知って浪商ナインは気合を入れ直したという

 

悲観論渦巻く中で優勝牛島和彦は投打に活躍した

同級生とかみんなが香川ひとりで野球をやっているんじゃないって言ってね何かそれで結束したというかパッと力が出せるチームになったんですよ」。その結果が近畿大会優勝牛島氏が4番打者を務め準決勝の強豪・箕島戦では3安打3打点と打つ方でもチームを盛り上げた。「投げて打って近畿大会は準決勝決勝と1日に2試合投げたんじゃなかったかなぁ」。チームの誰もが気迫で香川不在を乗り切ったのだ

 

あの近畿大会はPLとか箕島とかがいる中での優勝でしたからね香川がスタメンで出られないのに優勝したから今度はこれに香川が加わったらものすごく強くなるんじゃないかって話がパーッと広がって選抜の優勝候補みたいにも言われるようになったんですよねぇと牛島氏は笑みを浮かべながら振り返った実際1979年の選抜で浪商は準優勝細身の牛島氏とぽっちゃりの香川捕手の浪商バッテリーはさらに脚光を浴びた

 

水島新司氏が作画の名作野球漫ドカベンの主人公・山田太郎捕手に体型と豪打が似ていたことからドカベンと呼ばれた香川の人気はうなぎのぼり同時にイケメンエースの牛島氏も女子高生らに騒がれる存在になった。「僕はあの時香川のおかげで注目されたんですけどね漫画のドカベンのピッチャーの里中も小柄だったんでねと牛島氏は言うがこの選抜以降里中とは違うヤンチャなイメージもまた拡散されることになる