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高校野球あれこれ 第173号

ブルペンで見届けた甲子園は正解です」 

 

視聴率50%伝説目撃に僕は無理

 

金石昭人氏はPL学園3年夏に背番号「10」でベンチ入りした

高校野球の歴史に伝説を作った広島日本ハム巨人の3球団で20年間プレーし通算7280セーブをマークした野球解説者の金石昭人氏は、PL学園大阪)3年の夏に全国制覇を果たしたメンバーの一員だった。「僕は甲子園では1球も投げてないんですけどあの大会は凄かった。“逆転のPL”で騒がれましたからね勝戦は視聴率が50%だったんでしょ」。謙虚に照れつつプレーバックした

 

1978。PL学園は西田真次投手後に真二元広島)、木戸克彦捕手阪神プロスカウト部長のバッテリーを中心に選抜ベスト8。夏も激戦区の大阪大会を勝ち上がり代表の座を掴んだ春はベンチ入りを逸した金石氏だったが夏は背番号「10」を着けて夢にまで見た甲子園の土を踏んだ

 

この大会は南陽工山口の剛腕・津田恒美投手後に恒実元広島)、豊見城沖縄で強打の石嶺和彦捕手元阪急オリックス阪神ら注目選手が目白押し横浜神奈川愛甲猛投手元ロッテ中日1年生エースで話題になった

 

PL学園は優勝候補に挙げられていたとはいえ控えの金石氏の希望は高校生らしく素朴かつ正直なもの。「やっぱり甲子園のマウンドで一回は投げたいじゃないですか投げたいのは投げたかったですよでもみんな僅差の試合僕は無理なんでずっとブルペンで投げていました」。

 

さすがに甲子園は難敵ばかり初戦の2回戦の日川山梨終盤まで突き放せず5-2。相手のエース石川賢後にロッテで最高勝率のタイトルを獲得した程の好投手だった。3回戦の熊本工大高現・文徳には西田が2本塁打完封の独り舞台で2-0。決勝は県立岐阜商を西田が再び完封し、1-0で逃げ切った

 

金石氏の目の前には絶対的な左腕エースの西田が存在した。「ライバル意識はありましたよだけど彼は断トツで力がありました精神的にも総合的にも西田は本当に素晴らしかった」。自身については僕なんかは試合慣れしてませんからビッグゲームの経験が少ない要するに打たれたらどうしようとか点を取られたらどうしようと考えちゃうだから今思えば僕は甲子園で投げなくて正解です」。

 

逆転のPL”、奇跡的な逆転勝利で全国制覇黄金時代の幕が開いた

そしてPL学園はここから2試合連続で奇跡的な逆転劇を繰り広げる

 

準決勝の中京愛知現・中京大中京。0-49回を迎えた金石氏でさえ「4点差だからね半分諦めてたのだが相手の継投策が決まらず同点に追い付いた延長12回に押し出しでサヨナラ勝ち。「厳しい場面でのピッチャー交代って難しいんですよ自分じゃなくなっちゃうんですと中京サイドを慮る

 

高知商との決勝戦でも、0-22年生エース森浩二元阪急オリックスに沈黙して最終回に入った木戸の中犠飛1点差に迫るも2それでも西田が一塁線を破る同点二塁打柳川明弘外野手後に社会人野球・本田技研監督が左中間へサヨナラ二塁打を放ちあっという間にひっくり返した。「僕はまた逆転とは思わなかったけど相手チームは意識してしまうんでしょうね前日のPLの逆転ゲームが頭にありますから」。

 

PL学園にとって初めての甲子園制覇だった。「僕らの年代に憧れて、PLに入ろうという選手が一杯いました伝統ができた。『PL GAKUEN』のユニホームはカッコイイと思うし憧れますよねユニホームを着ただけで対戦相手は名前負けしちゃうそういう時代でしたね」。

 

1981年選抜優勝の吉村禎章巨人編成本部長兼国際部長“KKコンビ桑田真澄巨人2軍監督)、清原和博元西武巨人オリックスらの後輩が続く礎になった

 

登板機会なしも一緒に投げている気持ち」…閉会式のTV視聴率は驚異の50.8%

優勝直後の閉会式の番組平均世帯視聴率はNHK総合で50.8%(ビデオリサーチ調べ関東地区を記録した。PL初優勝は熱戦の内容と同様に数字上でも驚異的なインパクトを残している

 

金石氏は当時192センチと一際目立つ長身栄光の校歌斉唱で主将も担っていた木戸の隣に並んだ木戸は顔をくしゃくしゃにして号泣する背番号「10」体をポンと叩いてねぎらうさらには右腕を回して優しく肩を抱き声を掛けた

 

あの木戸がねワンワン泣いているんですよキャプテンでやり切った。『良かったなーって甲子園はみんな全員で戦っているイメージでしただから西田1人が投げていても僕も一緒に投げている気持ちでした

 

 金石氏はあの夏をあの瞬間を永遠に忘れない