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高校野球あれこれ 第105号

名勝負列伝-【31】宇部商×PL学園 1985年選手権大会

 

 <甲子園は清原のためにあるのか!!>

 

今回は「名勝負列伝」です。桑田清原集大成の夏、3年生の決勝戦を振り返ります。

3年連続の決勝進出。1983年は1年生4番の清原が右翼ラッキーゾーンに甲子園初本塁打を打ち込み、背番号11の桑田が七回途中まで粘投した。3―0で横浜商(神奈川)を下して優勝し、「KK時代」の幕開けを告げます。1984年は延長十回、取手二(茨城)に4点を奪われて準優勝。2年生になった桑田が右手中指のマメをつぶして力尽きました。同年春も準優勝。85年の春は準決勝敗退。「けっこう頑張ったと思うんですよ。だけど、学校に帰ってもシーンとしている」と桑田が回想する。だから「最後の夏は絶対に優勝したる」とキャプテンの松山は心に誓います。「そうでないと、ぼくたちの3年間の意味がなくなってしまう」

高校1年生の夏から5季連続で甲子園に出場した、桑田真澄清原和博の「KKコンビ」。ただ、全国制覇を成し遂げたのは高校1年生の夏「のみ」…と言っては言い過ぎでしょうか。ともあれ、高校3年生の夏。PL学園はすさまじい執念をもって甲子園に乗り込んで来たのです。この大会2回戦から登場したPL学園は、初戦の対東海大山形戦で猛打爆発。毎回得点を挙げて29-7という大差をつけるのです。

この大会、中々ホームランが出なかった清原選手ですが、準々決勝の対高知商戦で、後に大洋ホエールズ中日ドラゴンズで活躍する、中山裕章選手からレフトへ推定140mの超特大のホームラン。続く準決勝の対甲西高校戦でも清原選手は2本塁打を放ち、チームも15対2と快勝して、決勝に進出します。

この大会の決勝戦。PL学園と対戦したのは宇部商。両校はこの年の春の選抜大会の2回戦で対決。その際、宇部商は2-6で敗れていました。決勝戦宇部商のマウンドに先発したのは、この大会後半から不調が続いていた「背番号1」の田上昌徳投手ではなく、この大会好リリーフでチームを決勝戦まで導く原動力となった「背番号11」の古谷友宏投手でした。古谷投手が初回、1死2塁のピンチで迎えた清原選手を平凡なセンターフライに打ち取ると、宇部商が2回表に1点を先制。その後も宇部商ペースで試合は進むのですが、4回裏、清原選手の第2打席。古谷投手のシュートがわずかに浮いた「失投」を清原選手は見逃さず、打球はレフトのラッキーゾーンに飛び込む同点弾となりました。

試合は6回の表に宇部商が3対2と逆転します。ですが、その直後の6回裏。清原選手この試合の第3打席。真ん中高めに少し浮いたストレートを振り抜くと打球はセンターの中段に飛び込む、この試合2本目の同点ホームランとなりました。

両手を挙げてガッツポーズをとり、ベースを一周する清原選手。そこでこの試合を実況していた朝日放送のアナウンサー・植草貞夫さん「甲子園は清原のためにあるのか!!」という名文句が生まれます。

「甲子園は…」と言うものの、3対3の同点のままで試合は進みます。9回裏PL学園の攻撃も既に2アウト。このまま延長戦突入か…と思われた時、2番・安本選手がセカンドとセンターの間に落ちるポテンヒットで出塁。その後3番松山選手を打席に迎え盗塁で2塁に進塁。1本ヒットが出ればサヨナラという場面に変わります。一打サヨナラのピンチを迎えた宇部商がタイムをかけます。松山が滑り止めをつけるために清原に近づくと、こう言われます。 「マツ、決めてくれ」

カウントは2-3のフルカウント。投げる前、味方野手に向かって振り返り「2アウト―」と声を出す古谷投手。それは味方の緊張を解くというより、自分自身の気持ちを落ちつける動作にも見えます。一方、PL学園の桑田は、「延長に入ったら、もうもたないな」と思っていました。「松山、頼むから打ってくれ」

3番打者で、主将を務めていた松山選手はこの日ノーヒット。古谷投手からすれば、この日2本塁打を打っている清原選手が次に控えていることを考えれば、ここで松山選手を歩かすわけにはいかない…と考えていたことでしょう。そんな風に次の清原選手を意識しすぎたのでしょうか、古谷投手の投げた速球はわずかに真ん中よりに入ってきます。

「自分で決める。キヨに回そうなんて、みじんも考えんかった」という松山が、フルカウントから低めの直球をとらえます。二塁手の頭上を抜けていく白球の弾道を、「今でもはっきりと覚えている」と松山と桑田は口をそろえます。

安本が滑り込んだ本塁ベースのすぐ脇で、右手にバットを持った清原が両腕を突き上げます。ベンチにいったん戻ってグラブを置いた桑田が、その歓喜の輪に、最後に加わりました。

勝って当然という重圧の中で成し遂げた2年ぶりの全国制覇。校歌斉唱では、ほとんどの選手が号泣といっていい状態でした。必死にこらえているように見える桑田の表情が大きく崩れたのは、アルプス席にあいさつした後です。

「キヨ、ありがとう」。互いの健闘をたたえ合うかのように、「KKコンビ」は抱擁を交わしました。

清原の甲子園通算13本塁打は史上最多、桑田の20勝は戦後最多記録として、今も輝いています。

余談ですが、桑田清原の夏3度の決勝の相手はすべて公立高校。このころは今と違い強豪の公立高校が多かったです。

 

本日は以上です。

 

紹介するのは、「永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット」です。

 

超名門野球部「謎の休部」の真相が明らかに

甲子園春夏通算96勝、全国制覇7回を誇るPL学園野球部は2016年夏をもって休部に追い込まれた。最後の部員は特待生もいない「普通の高校生」の12人。著者は、連戦連敗を続けながらも必死に戦う彼らの成長を追うとともに、関係者の実名証言を積み上げ、桑田真澄清原和博立浪和義宮本慎也前田健太錚々たるOBを輩出した名門がなぜ、「事実上の廃部」に追い込まれたのかの真相に迫った。

学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の意向、監督に野球経験者を据えない学園の判断、「強いPLの復活」を求めるOBの声――様々な事情に翻弄されながら、12人は「ラストゲーム」に臨んだ。

第23回小学館ノンフィクション大賞受賞作。選考委員も絶賛!

高野秀行(ノンフィクション作家)

「抜群の取材力と高い完成度。PL野球部『栄光と凋落』の裏にあった秘史が描き出された」

三浦しをん(作家)

「名門校の重すぎる伝統を背負った『最後の12人』の必死の頑張りに、思わずジンときます」

古市憲寿(社会学者)

「多くの読者はPL野球部の異常さや崩壊を笑えないはずだ。本書は平成版『失敗の本質』である」

編集担当からのおすすめ情報

PL学園野球部を取り上げた書籍は数多くありますが、その創設の経緯や黄金期の圧倒的な強さの背景に、学園の母体であるPL教団の「信仰」が深くかかわっていたことを初めて詳細に明らかにしたのが本書です。2年以上をかけてPLの野球部、学園、そして教団関係者への取材を積み重ねた著者によって、「謎の休部」の裏側が明らかにされます。

 

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