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高校野球あれこれ 第175号

敬遠指示に吠えて造反”…

 

ベンチの監督に黙って見とけ」 

 

疲労困憊でも貫いた意地

 

 

1979年選抜決勝で敬遠指示に激怒伝令の選手を怒鳴りつけた

甲子園のマウンドでベンチに向かって吠えた。1979年選抜大会で牛島和彦投手元中日ロッテ香川伸行捕手元南海の黄金バッテリーを擁する浪商大阪は決勝に進出した箕島和歌山に敗れて準優勝だったが注目度は格段とアップしたそんな中伝説になっているのが決勝の舞台で浪商・広瀬吉治監督から敬遠を指示された牛島氏が伝令の選手を怒鳴りつけて拒否したシーンだ心境などを当事者が語った

 

それは8回裏2死二塁、7-61点リードの箕島の攻撃中に起きたバッターは箕島の4番打者・北野敏史内野手それまでの打席で右前打中越三塁打右越え本塁打を記録しており二塁打が出れば選抜初のサイクル安打となる打席でもあった。1点ビハインドの浪商にしてみれば当然これ以上の失点は防ぎたい広瀬監督は一塁が空いていることから敬遠を決め伝令をマウンドの牛島氏のもとへ走らせた

 

しかし牛島氏は態度を硬化させた。「投げているのは俺や! 黙って見とけって言ってこい!』と言いましたもうバテバテでしたから敬遠するのも嫌というのがあったし、1年生から投げてきて敬遠なんかほとんどしたことがなかったしサイクルヒットを打たれるのが嫌で敬遠するみたいになるのも嫌だったんです」。

 

この選抜で牛島氏は6-1で勝った1回戦の愛知愛知、3-2で勝利した2回戦の高知商高知延長134-3でサヨナラ勝ちの準決勝・川之江愛媛、5-3でものにした準決勝・東洋大姫路兵庫戦とオール完投だった川之江戦では221球を投げ翌日の東洋大姫路戦でも150球とヘロヘロ状態。「特に川之江戦がきつかったですねあの日は雨も降っていたんですよ次の日も投げて……。決勝の朝は起きれないくらい疲れ切っていましたね」。

 

 

勝負策は裏目に出て1点差敗戦監督は理解しゃあない

決勝の相手・箕島には1978年秋季近畿大会で11-48回コールド勝ちしていたがその時とはコンディションなど状況が違いすぎた。「体は動かないけどとりあえずボールを放っているみたいな感じでした」。まさに気力だけでマウンドに上がっていた。「あの時は敬遠して下手に球数を増やすのだって嫌だったんですよ」。そんな状況と持ち前の勝ち気な性格が重なっての敬遠拒否となったわけだ

 

監督に対して乱暴な言葉でもあったが僕は伝令の選手が)“勝負したいと言っていましたとか言葉を変えて監督に言うと思っていたんですよでもあとでベンチにいたヤツに聞いたらそのまま監督に言っていたっていうから……」と苦笑いしかも勝負した結果北野に右中間二塁打を浴びて追加点を許すとともにサイクルヒットの偉業も達成されてしまった

 

あれね三塁まで走ってアウトになって二塁打になったんですよ三塁打だったらサイクルじゃなかったんですよねまぁあそこで敬遠しても次の打者を抑える自信もなかったんですそこまでの体力も全然残ってなかったのでねと牛島氏は振り返ったが痛恨といえば痛恨。6-89回表に牛島氏がタイムリーを放ち浪商は1点差に詰め寄ったが反撃もここまで。7-8で敗れあくまで結果論だが、8回裏の1失点が響いた形にもなってしまった

 

「(広瀬監督にはあとですみませんでしたと謝りました監督はお前たちの力でここまで来たのだからいいよそれもしゃあないって話をしてくれましたけどねと牛島氏は明かすそんなこともあった選抜だがこの準優勝で浪商バッテリーは全国区の人気者になったあれから45語り継がれる指揮官へ向けての黙って見とけ発言は牛島氏にとってももちろん忘れられない思い出の一コマだ 

 

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