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高校野球あれこれ 第12号

優勝は智辯和歌山智弁対決制す

 夏の甲子園智辯和歌山が投打に智弁学園を圧倒し、9-2で勝利し、21年ぶりの優勝を果たしました。21年前は猛打のチームで大会通算100安打、11本塁打の新記録を作っての優勝でした。以降はなかなか優勝できませんでしたが高嶋前監督からバトンを渡されてから3年目の中谷仁監督(1996年春選抜準優勝、1997年夏選手権は主将として優勝した時の正捕手です)の見事な手腕でした。

 初日のブログで優勝監督について書きましたが、中谷仁監督は「優勝するにふさわしい監督」と思いました。品性、人間性に優れていると思います。

 智辯和歌山卒業後はプロに進みましたが、阪神楽天、巨人とプロ通算15年で、1軍出場は111試合に過ぎません。特別強肩でもなく、打撃は非力。だが、体でワンバウンドを止め、ここぞというタイミングで投手に声をかけ、ベンチでは高校球児のように、大声を張り上げてチームメートを応援していました。そんな姿勢が認められ、花が開きかけたのが楽天時代の2009年です。当時楽天野村克也監督は「プロ野球を50年以上見てきて、最低の打者」と毒舌でこきおろしながらも、「一生懸命さが伝わってくる。ベンチに帰ると、俺やコーチと必死にミーティングをしとる」と言って、中谷を試合に使いました。この年、キャリアハイの55試合に出場。田中将大永井怜とバッテリーを組み、球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献しました。ドラフト1位で阪神に入団。2位が後にエースになる井川慶。将来の正捕手と期待されましたが、同僚選手の投げた携帯電話が目に当たり、失明の危機に陥りました。目が治りかけたころ、打撃練習をしようと思い、室内練習場で投球マシンと向き合います。ところが、全くバットに当たりません。涙を流しながら、マシンの球を捕球することから始めたといいます。2軍では、1学年下の藤川球児とも苦楽をともにしました。2005年秋に楽天にトレードされ、毎年秋には戦力外通告の危機におびえました。背水の思いで臨んだ2009年、藤井彰人の故障、嶋基宏の伸び悩みでチャンスをつかみ、交流戦の甲子園でプロ初本塁打を放った時は、阪神の選手からも祝福されていました。2009年秋、ヒーローになった試合後に聞いた言葉が忘れられません。「こんな勝負のかかった状況で試合に出してもらえる。うれしくてたまらんです。お客さんがこんなに入った中でプレーできる。プレッシャーなんてありません。幸せなんです」下積みの苦労を知る男が勝負師となり、指導者として全国制覇。素晴らしいですね。私は他にも以前のブログに書きましたが浦和学院森士前監督、今年で勇退する帝京の前田三夫前監督など選手時代に補欠だった苦労人が監督として成功するのを見ると応援したくなります。レギュラーではなかったからこそ選手の気持ちがわかり、指導に効果があると考えます。

 本日は以上です。夏の甲子園が終わり、今後は名将監督、名勝負などを不定期で発信していきます。今後もよろしくお願いいたします。

 

智弁和歌山(和歌山)
   400 001 121|9
   020 000 000|2
智弁学園(奈良)
(和)伊藤、中西―渡部
(智)西村、小畠―植垣
本塁打 渡部1号(1)(小畠)