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高校野球あれこれ 第139号

九州王者・熊本国府の強さの秘密は指揮官のトラウマ? 神宮で全国レベルを経験し、満を持して初の甲子園へ

 

秋の九州王者となり、初のセンバツ出場をほぼ確実とした熊本国府。手堅いゲーム運びの裏側には、指揮官の苦い経験がある 

山田監督が甲子園で犯した拭い去れないミス

「じつは僕、やらかしているんですよ」

 と語るのは、2023年秋の九州大会を制し、来春のセンバツ出場を決定的なものにした熊本国府の山田祐揮監督だ。

 熊本工を卒業し、近大でもプレーした30歳の若き指揮官。高校2年時の2009年夏には、背番号17を付けて甲子園の大舞台も経験している。そんな山田監督が“やらかした”のは、三重と対戦した甲子園初戦のことである。

 1回表、熊本工は2点を先制した。この時サードコーチャーとして腕を全力で回しながら、ふたりの走者をホームに生還させたのが当時2年の山田監督だった。ところがその裏、レフトでスタメン出場していた先輩選手がミスを犯したことにより、山田監督は急遽レフトの守備に就くことになった。

 まさか初回から出場するとは思ってもみなかった。そのうえ、言い渡されたのが急すぎたため、キャッチボールもしないまま出ていってしまう。その直後、山田監督は目の前に転がってきた球脚の速いレフト前打をファンブルし、二塁ランナーの生還を許してしまったのだ。

「相手の応援が凄くて、音圧と歓声にやられてしまいました。初めて声で押されている感を味わいましたね。とくに僕がエラーをした直後が一番凄かったですけど(笑)」

 現役時代の山田監督はバッティングが好きで、守備練習はハッキリ言って大嫌いだった。内心“面倒臭ぇな”と思いながら、毎日ノックを受けていたのだという。そんな選手が、いきなり守備から試合に入ることになったのだ。しかもそこは甲子園で、相手のアルプススタンドとは目と鼻の先のレフトの守備位置だ。

「めちゃくちゃ緊張しました。当然ですよね。普段から真面目に練習していないのですから。“飛んでくるなよ”と祈りながら守っていましたが、やはり代わった選手のところに打球は飛んでくるものです。その後も、失点には繋がらないエラーをもうひとつ犯してしまい、試合中盤で交代を告げられました。途中出場のレフトがふたつのエラーを記録するなんて、あまりないことですよね。僕のファンブルのせいで3年生の夏を終わらせてしまったのですから、僕にとっての甲子園はいまだに“悔いを残した場所”でしかないのです」

「一球一球を大切に守る」ことを身上に

山田監督の信念をベースとした、徹底した守備力の強化が秋の九州大会での快進撃につながった 

 山田監督は近大を卒業後、日南学園(宮崎)でコーチ・寮監を務め、在籍した4年間で夏2回、春1回の甲子園を経験した。その後、熊本国府に転籍し、21年秋に監督となった。その後も日南学園金川豪一郎監督とは練習試合を盛んに行うなど交流が続き、数々のアドバイスも受けている。

 日南学園を春夏通算5度の甲子園に導いている金川監督に「指導の引き出しを増やしていただいた」と感謝する一方で、やはり現在の熊本国府は、山田監督自身が甲子園で味わった苦い経験がチーム作りの基となっている。

「準備することと、守備への意識。とくに守備に関しては徹底して指導しています」

 学校から車で片道40分と離れた場所にグラウンドがあるため、平日の全体練習は2時間ほどしか確保できない。しかし、山田監督はそのうちの約8割の時間を守備練習に割いているのだ。

「選手の中には“もういいよ”と思っている者がいるかもしれないし、守備が嫌いになった者もいるかもしれません。ただ、それぐらいやっておかないと、本番で“飛んでくるな”と思いながらミスをする選手になってしまうのです」

 秋の九州大会は4試合で失策は3。うちふたつが失点に絡んだが、それ以上に取れるアウトをきっちりひとつずつ積み重ねていく堅実さが目立った。準決勝で神村学園、決勝は明豊と、優勝候補と目された甲子園の常連校を立て続けに撃破。準決勝は変則左腕・植田凰暉(2年)が持ち味を発揮し9回までに16個のゴロを打たせて1失点で完投した。10安打を浴びながらも、27個のアウトを着実に取り切った。決勝も低めを丁寧に突く坂井理人(2年)の投球が、ショートの山田颯太(2年)を筆頭に野手陣のリズムを盛り立て、捕球・送球ともに安定した守備を引き出したのだった。

「一球一球を大切に守ることだけに集中しました。坂井が頑張っていたので、しっかり守ってやろうと思いました」と語ったのは、4番の中嶋真人(2年)だ。準々決勝(大分舞鶴戦)の7回に同点打、準決勝で逆転打など、打線のヒーローとなった中嶋のコメントに、九州王者・熊本国府の強さが集約されていると言っていいだろう。

15年越しのトラウマを払拭した先にあるもの

秋の九州大会決勝は坂井理人の低めを突く投球が、野手の好守を引き出した。 

 初めて臨んだ明治神宮大会は、東京王者の関東一に2-6で敗れた。初回、無死二塁の場面でショートの山田がゴロの処理を誤ってしまう。その失策の後、無死1・3塁から次打者のショートゴロの間に先制点を許してしまった。

 山田監督は「慣れない人工芝特有の、低く球脚の強いゴロだった」とかばうが、結果的に「初回のミスは失点に絡むことが多い」という定説を実証するプレーとなってしまった。指揮官自身が現役時代に甲子園で犯した、あのプレーのように。

 しかし、山田監督が「それ以上に痛かった」と悔やんだのが、0-1の5回二死2塁から代打・堀江泰祈(2年)の適時三塁打で喫した2点目だった。

「あの回をゼロで凌げば、九州大会のような終盤勝負の展開に持ち込めたはずなんです。やはりすべてにおいて、全国大会はレベルが違いました」

 九州大会では「失点しても、次の1点を与えない野球」を実践し、頂点に立った。準決勝の神村学園戦は押し出しで1点を先制されながら、追加点を許さず9回1失点で快勝している。また、決勝の明豊戦も1点を返された最終回に後続をしっかり打ち取り、波状攻撃を得意とする相手の反撃を凌ぎきったのだった。

 関東一戦も初回にミスが絡んで失点した後、さらに走者を残して高校通算41本塁打の強打者・高橋徹平(2年)を打席に迎えている。一気に試合の流れを持っていかれてもおかしくない状況の中で、先発投手の坂井を中心に熊本国府はなんとか1点で乗り切った。それだけに「5回を0-1のまま折り返せていれば、九州大会と同じような展開に持っていけたはず」という山田監督の言葉に実感がこもる。

 とはいえ、実りの秋を終えた熊本国府に、学校初となる桜満開の春のセンバツが訪れるのはもう間違いない。安定した守備力で九州の頂点に立ち、神宮では全国レベルを肌で感じ取ることができた。この経験を糧にしたナインが勝利の校歌を甲子園に響かせる時、山田監督の「15年越しのトラウマ」も、ようやく払拭されることになる。