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高校野球あれこれ 第21号

名勝負列伝-【4】PL学園×横浜

 今回は久しぶりに「名勝負列伝」です。

 1998年8月20日高校野球の歴史に深く刻まれた激闘があった。第80回全国高校野球選手権の準々決勝、PL学園対横浜。延長17回、3時間37分、そして松坂大輔の250球。まさに死闘ともいえるその一戦は、点ではなく線で見てみれば、また違った輪郭が浮き彫りになる。現在の高校野球の潮流にもつながる、2つの出来事を振り返りたい。

<延長17回の死闘は「2つの意味」で高校野球の歴史の転換点となった>

 高校野球の歴史を変えた一戦――。記録や記憶を掘り起こせば、多くの試合が頭をよぎる。高校野球ファンであれば、誰もが「この試合こそ!」という一戦が思い浮かぶはずだ。甲子園の照明が点灯された箕島-星稜の延長18回、甲子園のアイドル・荒木大輔早稲田実/東京)、池田(徳島)の「やまびこ打線」、KKコンビ(桑田真澄清原和博)を擁したPL学園(大阪)、松井秀喜(星稜/石川)の5打席連続敬遠……。

 そんな中でもやはり、「一戦だけ」を挙げるとすれば、私は1998年夏の甲子園準々決勝・PL学園対横浜(神奈川)の試合を推したい。

 試合は延長17回、横浜が9対7でPL学園を破り、翌日の準決勝・明徳義塾(高知)戦、翌々日の決勝・京都成章(京都)戦でも勝利し、春夏連覇を果たしている。

 この試合が「高校野球を変えた」と実感できるのは、現在の高校野球の潮流につながる出来事が、この一試合で起こっていたからだ。

 一つは、投手の「球数」が大きくフォーカスされたこと。この試合、横浜の松坂はPL学園を相手に延長17回、実に250球を投げている。試合終了の瞬間、ガッツポーズを繰り出す気力もなく、ただただ「やっと終わった……」というように肩をがっくりと落とす松坂の姿は、多くのファンに鮮烈な印象を与え、この試合の過酷さを伝えた。当時の高校野球は投手の球数や負担について論じられることなどほとんどなく、メディアも松坂の投じた250球を「熱投」と称賛した。私もこの「熱投」に何の疑問を抱くことはなかった。松坂本人はこの翌日、右腕にテーピングを巻きながらレフトで先発出場。リリーフ登板でチームの大逆転劇を演出している。さらにその翌日の決勝戦では先発し、ノーヒットノーランを達成するという異次元の投球。皮肉なことに、松坂がその後の試合で快投を見せたことで「250球」そのものは大きな問題となることはなかった。ただ、延長17回の文字通り「死闘」はその後、多くの議論を呼び、2000年春のセンバツから延長戦が15回までに短縮される遠因となった。2000年以降は延長戦も含め、投手の球数問題が徐々に問題視され、2018年春のセンバツからはタイブレーク制が導入(これにより、延長戦は無制限に)、中止にはなったが今年のセンバツからは1週間500球という球数制限が初めて適用された。松坂の投じた「250球」が、今もなお「熱投」「感動」といった切り口で報じられることが多いのは事実だ。ただ、少なくとも一人の投手が「1試合で何球投げた」という事実があそこまで大きく報じられたことは、それまでの高校野球にはなかったと思う。その意味でも、あの「250球」はその後の高校野球に大きな影響を与えたといえるだろう。

 また、この試合が後の高校野球界に与えた影響はこれだけではない。一昨年センバツでも話題となった「サイン盗み」についても、PL学園対横浜の試合は大きな影響を与えている。この試合、PL学園打線は平成の怪物・松坂大輔から実に7点を奪っている。もちろん、PL自慢の強力打線の力も大きいが、PLサイドが捕手の小山良男の構えから球種を見破り(球種ではなくコースだったという証言もある)、それを打者に伝達していたことも大きかった。断っておくが、1998年時点で高校野球では攻撃側によるサインやコースの伝達は禁止されていない。PL学園だけでなく、多くの学校がいわゆるサイン盗みやコースの伝達を行う「駆け引き」が行われていた。実際のこの試合では横浜サイドが試合中に癖を盗まれていることに気付き、修正したという証言もある。ドキュメンタリーなどではその攻防が事細かに再現されるなど、「高校生離れした頭脳戦」としても、この試合は語られている。私は甲子園で「サイン盗み」や「相手の癖を盗む」という行為が当たり前に行われているということを、この試合で初めて知ったが、そういうファンは他にも大勢いたはずだ。そこで感じたのは、「卑怯」「高校生らしくない」というよりも、むしろ高校生がそこまで考えて、高度な野球をやっているのかという「驚き」だったように思う。しかしその翌年、1999年センバツから打者走者やベースコーチがサインを見て打者に球種やコースを伝える行為は禁止されることとなった。すでに1998年の時点で高野連は「マナーの向上」を指導要綱に組み込み、サイン盗みなどに警鐘は鳴らしていたが、注目度も大きかったこの一戦が正式な禁止の引き金となったともみられる。高校野球では現在も、禁止されているはずの「サイン盗み」が横行しているといわれている。ただ、23年前は「駆け引き」とされていた行為が、今は「ルール違反」なのは間違いない。スポーツは定められたルールの範疇(はんちゅう)で、勝敗を決するのが大前提だ。

 延長規定が変わり、サイン盗みも禁止された今、甲子園で「PL学園対横浜」のような試合が再び起こる可能性はほぼゼロとなった。高校野球ではルールが改正されるたびに、「ああいう試合がもう見られなくなる」といった反対意見が噴出し、そのたびに議論が巻き起こる。歴史は流れ、高校野球も時代に沿って変化をしていく。むしろその変化のタイミングは、まだまだ遅いくらいだ。ルールが変われば、確かに「ああいう試合」は見られなくなるだろう。ただ、新たなルールのもとで、それを超えるものが生まれる可能性もある。

PL学園対横浜」の一戦は、間違いなく高校野球の歴史に残り、歴史を変えた。

 高校野球は、この試合を超えることを目指す必要はない。そうではなく、この試合も含めたすべての過去を糧に、教訓にしながら、これからも変化を恐れずに進んでほしい。

 本日は以上です。

 この試合の舞台裏を描いた名著「ドキュメント横浜vs.PL学園 (朝日文庫)」を紹介します。

 

ぼくらの声☛伝説の「横浜vs.PL学園」戦です。その試合を克明に追った本がこの本です。
伝説となった横浜対PLの延長17回の激闘。その裏で選手たちが当時考えていたことは?
横浜の松坂・後藤・小池・小山、PLの上重・田中・大西など、のちに大学やプロでも活躍する彼らの当時のことが詳細に書かれています。
ちなみに本の表紙の写真が当時の横浜高校の背番号「1」松坂大輔投手。
試合の中の局面局面でどんな会話があったか、当事者(選手・監督)がどんなことを考えていたのか、細かく追われています。
この試合をビデオに録画しても持っているのですが、画面からはわからないことも沢山あります。
何より、高校生の試合であっても、このレベルになるとこんなところまで考えて戦っているのか!
と思わざるを得ない内容です。

ぼくらの声☛言わずと知れた高校球界の盟主PL学園。怪物松坂を擁し史上最強チームとして春夏連覇に挑んだ横浜。平成10年夏の甲子園準々決勝、この東西の横綱が互いに譲らず球史に残る延長17回の死闘を繰り広げた名勝負の裏側には、こんなにも高校野球の常識を超えた最高の技術、戦術、心理戦が潜んでいたとは。
ぼくは甲子園でこの試合を観戦し、そのあまりの熱戦に感動し涙しました。後にこの本を読んだ時、観戦時にはわからなかった一つ一つのプレーの奥にある戦術の深さ、選手たちの精神の逞しさ、チームワークの素晴らしさに再度感動し涙しました。この本には高校野球そのものの、そして一つのことに一生懸命になる高校生の素晴らしさが凝縮されています。野球が好きな人もそうでない人にもぜひオススメの一冊です。