【センバツ2023】準優勝の報徳学園…母校とともに生きてきた岡本コーチはアルプス席のムードに手応え
息子2人も野球部OB
報徳学園高は21年ぶりのセンバツ制覇にあと一歩、届かなかった。だが、立派な準優勝。2023年春、相当なインパクトを残した。
昨秋の関東大会4強の試合巧者・健大高崎高(群馬)との初戦(2回戦)でセンバツ6年ぶりの勝利(7対2)を挙げると、勢いに乗った。
3回戦では昨秋の東海大会覇者・東邦高(愛知)を延長10回タイブレークでサヨナラ勝ち(5対4)。昨夏、東北勢で初の全国制覇を遂げた仙台育英高(宮城)との準々決勝も3対3で9回を終えタイブレーク。10回表に1失点も、その裏に2点を挙げサヨナラ勝ちした(5対4)。さらに、準決勝では大阪桐蔭高のセンバツ連覇を阻止。0対5から試合を引っ繰り返し(7対5)、伝統である「逆転の報徳」の真骨頂を見せた。
山梨学院高との決勝では力及ばず、3対7で逆転負けを喫した。アルプス席で試合のたび、目頭を熱くさせている報徳OBがいた。2022年4月から母校を指導する岡本歩コーチである。
報徳学園高とともに生きてきた。高校時代は三塁手。息子2人も同校野球部OBである。
長男・蒼さんは2017年春、主将(外野手)としてセンバツ4強に進出した。永田裕治前監督(現日大三島高監督)が同大会限りで勇退した春である。卒業後は立大でプレーした。
次男・豪さんは内野手。3年夏はコロナ禍で甲子園をかけた地方大会が中止という厳しい現実を味わった。現在は立大3年生である。父は長男が在学中は保護者会副会長、次男の在学中は同会長を務めた。野球部OBとして現場と父兄、双方の立場を知るのが強み。永田前監督の後を受け、17年4月から指揮する大角健二監督からコーチ就任の打診を受けた。
「私を含めて、報徳にはお世話になりました。たくさんのOBがいる中で、声をかけていただき光栄です」
一歩引いた視点で助言
報徳学園高は新2、3年生で97人という大所帯。新1年生が入学すれば、約150人に膨れあがる。A~Fまでチーム分けをしており、岡本コーチが担当するのはC以下である(Aはレギュラー、Bはベンチ入りメンバー、C、Dは新3年生を中心に新2年生、Eが新2年生中心、Fは新1年生)。もちろん、実力主義で下級生でも力があれば、A・Bに入れる。
「この人数ですので、いかに一つの方向に向かわせるかが課題です。控えチームの練習試合に引率することもあります。『結果出せ!』と後押しするのが私の役割。A・Bチームでどこのピースが足りないのか? そこを見極めてアピールすることも必要です。結果を残した選手は大角監督に推薦します。逆にメンバーから漏れた選手のケアもしています」
大角監督の下には、礒野剛徳部長を含めてコーチ陣6人がいるが、岡本コーチは最年長の50歳。「気を使わせないようにしています」と、一歩引いた視点で助言することが多い。指揮官からすれば、視野の広いありがたい存在だ。
抜群のチームワーク
大角監督は甲子園初采配で8強に進出した18年夏以降、全国舞台から遠ざかった。コロナ禍もあり、難しい運営が続いた。
「言葉には出しませんが、いろいろな重圧があったと思います。今回のセンバツは、そうした苦労が報われた、と。大角監督は一言で言えば人格者。気遣いのできる指揮官です。微力ながら、力になりたいと思っています」
センバツ準優勝。一つの成果を収めたが、岡本コーチが何よりも手応えを得たのは、アルプス席のムードだった。今春から声出しが解禁。報徳学園の応援席の「一体感」は他を圧倒していた。「逆転の報徳」「粘りの報徳」の背景は、抜群のチームワークにあったのだ。
「今回のセンバツは普段着の野球ができたと思います。甲子園で1試合、戦うごとに成長した。応援も一致団結して、まとまっていた。同じ目標に突き進んでいたと思います。皆が戦力。これが、報徳の全員野球です」
報徳学園のグラウンドは、内野部分は野球部のスペースだが、外野部分はラグビー、サッカー部と共用だ。「雨が降ったら大変……。2つある室内、ウエートルーム、校舎内など、体を動かせる場所は限られる。それが当たり前。報徳はずっと、その形でやっていますから」(岡本コーチ)。施設面を、言い訳にしない。選手個々のモチベーションが高く、伝統校に身を置く自覚とプライドがある。今春のセンバツは「強豪復権」への足がかりになった。夏の甲子園の全国制覇は金村義明氏(元近鉄ほか)がエースだった1981年。42年ぶりの頂点へ、報徳学園高はすぐに再始動する。
※ 今回の報徳学園は実に高校生らしく、甲子園の観客を魅了し、味方につける、魅力
たっぷりなチームだったと思う。「逆転の報徳」お見事でした。感動しました。